エッセイ・コーナー  KAZUOは要りませんか?

しまむらかずおが描くつれづれ(その16)  第76話~第80話

 

 

 

第80話 「いま・むかし」  by しまむらかずお

 

 

吉田拓郎が70歳になった。

NHKSONGSで久々に彼の「いま」を見た。

久方ぶりの全国ツアーを始めるのだそうだ。

練習スタジオで多くの若いミュージシャンに囲まれた彼は

元気そうだった。

 

よかった。

体を壊していると聞いていたので

その後どうなのかなあ、と心配していた。

 

彼のソロ・デビューの前、

広島フォーク村出版の『新しい船を動かすのは古い水夫じゃない』、

その名のついた真っ赤なジャケットに誘われて

LPを買った。

その中には、かの「青春の歌」があった。

 

「♪喫茶店に彼女とふたりで入って、コーヒーを注文すること」

「あー、それが青春」…。

フォーク全盛の70年代。

私も若かったが、

人生を考え、今をこれからをどう生きるベきか、なんて

眉をしかめて論じていたころ、

かの拓郎は、こともなくあっさりと

軽目の「青春」を、しかもロックビートに乗っけて

あのしわがれ声で、ぶっきらぼうに歌っていた。

 

「なんじゃあ、これは」というのが、私の初印象だった。

それまで、きれいなメロディの

ほんわかしたフォークに馴染んでいた私は

これはフォークじゃない!なんて思ったことだった。

 

ジャケットの歌詞には、

当時には珍しくコードが振ってあったので、歌ってみた。

「オレには向いてない」…、それが結論だった。

 

その後、井上揚水が現れて、アルバム『断絶』を発表。

その「なんちゃあじゃない」歌詞も彼が歌うと

深~い意味を持って聞こえる、魅力的なシンガーだ。

 

南こうせつが「神田川」を歌うころ、

既にフォークは、世界平和から三畳一間の幸せへと

その場を縮め、

小田和正はあの声でLove Songの大家となった。

 

私はもうそのころには「ぐうぴいぱあ」を率いて

盛んにコンサートを開いていたころだ。

私は、人生も、命も歌にしたが

やっぱりLove Songもたくさんこしらえた。

 

拓郎のインタビューで彼はこう言った。

70になっても80になってもLove Songを歌いたい、作りたい…。

めちゃくちゃ同感した。

本当のことをいうと、「今更…」っていう気持もないではなかったが、

今もLove Songは生まれている。

生れてくるものは世に出してあげねばならないのだ。

急に心強くなった。

 

そんな彼は70歳。

南こうせつは67歳だそうだ。

そうか、彼は私とおない年だったのか。ふーん。

小田和正だってすでに69、井上揚水は68歳。

ちょっと「若手」の、「さだまさし」でも64歳。

みんな頑張ってるなあ。

すごいよなー。

オレもがんばろっと。

 

 

先日、黒潮町佐賀でやさしくなろうコンサートがあって、

本当に懐かしい人たちとも再会を果たした。

この町との出会いは1992年にさかのぼる。

24年も前のことだ。

思えばこの町の人たちとの出会いが

この「やさしくなろうコンサート」の原点だ。

以来、600か所余りを巡演した。

この町で、「母親たちのオガリ」という一冊の作文集に出会い、

それを歌にしたことから、「人権シンガー」とも呼ばれる私が生まれたのだった。

 

今日のコンサートでは、そのころ一緒に頑張って作り上げた、

「オガリ~ふるさとの子どもたちへ~」の劇中歌も一緒に歌った。

あの県民体育館で3,500人を前に、総勢150人で歌いあげた、

「私のふるさと」がそれだ。

当時のVTRを大きく投影しながら、みんなで歌った。

最初は、登場する顔見知りの、しかも若い顔に歓声が上がったが、

徐々に、画面に食い入るように、静かに画面に見入った。

そこには、単なる昔の映像や音を超えて、

今につながる、みんなの思いの熱さを感じたからに他ならない。

 

『胸張り、大声で歌いたい…これが私のふるさと…』。

9分を超える曲のフィナーレ。

全員が手に手をとって、高々と掲げ、声を張り上げて歌う姿に

今日の場内からも大きな拍手が湧きあがった。

私もやっぱり感動して、涙ぐんでしまった。

 

昔のことを自慢げに語る年寄りにはなりたくない。

それよりも、今から何をしたいかを語る人でありたい。

ずっとそう思ってきた。

今と昔は確かに違う。

古いものがすべていい筈もない。

今更、「古きをたずね、新しきを知る」なんて、

実にまどろこしい。

幼き者も、若き者も、年老いた者も、みんな今を生きている。

そのことに違いはない。

共に同じ時代を生きる者たちが、それぞれの『違い』を活かし合いながら、

共に生きるのが本当だ。

幼さや未熟さや、経験の多さや、こだわりや、気づかいや、対立や受容など、

その違いが合同する素敵さは、おそらく『町』にあると思う。

そんな町を、これからも目指してほしいものだとつくづく思う。

 

懐かしいだけで終わらないもの、

新しいだけでは始まらないもの、

そんな普遍なものを作り上げていきたいと思う。

 

もちろん独りではなく、みんなと一緒に。

(2016.9.11)

 

 

 

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コメント: 2
  • #2

    花ちゃん (月曜日, 12 9月 2016 13:19)

    しまむらさんに出会った時の私は13歳。
    今や、、、
    そうですか。
    しまむらさんも、そんなお年になったんですね。
    少しビックリしました。
    昨日、退職されたような、そんな感覚がしています。
    年々、日々が過ぎるのが早いですねえ。

  • #1

    sakura (日曜日, 11 9月 2016 22:53)

    久しぶりのエッセイですね☆

    そうなんだ!
    拓郎 70歳、南こうせつに、井上揚水は60後半、
    (あ〜小田和正のコンサートチケット取れなかったなぁ(>_<))

    ある時から、自分の歳こそ忘れがちになるけれど、それは自分の青春時代を盛り上げてくれた方々があい変わらず活躍して見せてくれているから。と言うのもあると思います。

    年齢を重ねて魅力を増す…
    なんてとっても凡人には難しいと思う今日この頃ですが、ワクワク、ドキドキする気持ちはいつまでも持っていたいなぁと思います(*^^*)
    自分でも探しますが
    また、いろいろな企画楽しみにしてまーす♪

 

 

第79話 「VEGA」  by しまむらかずお

 

 

VEGA(ベガ)とは、

夏の夜の天の川、こと座の中で最も明るい星。

七夕の物語でお馴染みの「織姫」のこと。

わし座のアルタイル(彦星)と、白鳥座のデネブとともに、

夏の「大三角形」を形づくる。

今夜は星空が広がりそうだから

夜空を見上げてみたいと思う。

 

先週の土曜日、

「VEGAの小夜曲」(ベガのセレナーデ)と

名付けたコンサートが終わった。

高知市を一望できる五台山展望台のレストラン

ふっと目をやると夜景が美しい会場で開かせてもらった。

 

そんなロケーションが気に入られたのか

5月の上旬から早々とチケットの予約が相次いだ。

2か月も前だったのにこんな状況は始めてだった。

いつもなら、本番2週間前に約半分の席が

ようやく埋まるって感じなのだが

何だか不思議だった。

 

私の人気が上がって来た、

そうは思いたいが、多分、会場選択の成果だろうね。

このところの私のライブには、呑み喰いがセットになることが多い。

ま、お客さんのほとんどが女性たちなので

美味しい景色と美味しい料理や飲み物

それがセットだといいらしい。

私の歌は? 音楽は? どうなんだ?と

ちょっと言いたくなる。

 

40席が丁度ぐらいの会場だったので

こじんまりとささやかに…と思っていたけれど

結局70人を超える方からご予約をいただいた。

3列席の予定が5列席になった。

何度もレストランを訪れて、机のカタチや椅子の数などを調べ

場内図は4度も書き換えた。

たった30分の会食時間。

混乱を避けるためにと、飲物券を作り、席札も作り

夜景を邪魔しないようにと

舞台のセットの位置やカタチにも工夫が必要だった。

 

あれっ? 私は確かミュージシャン。

いい音楽、いい演奏、いい歌をお届けすることだけに

専念するのがスジってもの。

多分ほかの音楽家たちはそうなんだろうね。

だがしかし、そこが、しまむらかずお。

やってしまうんだなあ、そこまで。

いい音楽、いいライブとは、

その環境づくりがそのベースにあってこそだと

思うからであります。

その上で、しっかりと歌をお届けするのが私の流儀。

とはいえ、毎回ながら、大変だわあ。

だれかあ、褒めてくれいー。

 

そして当日。

「きっと雨だあ」とみんなに言われ続けたこの企画。

そりゃあ、レイン・マンの私が一番気にしたわさあ。

ところが、どうだ!

梅雨明け前だというのに、晴れたぜよ。

これが一番嬉しかった。

お蔭で、用意した席はたった1席を残して満席となった。

この出席率は凄い!

山の上での開催を心配していたのにである。

本当に素晴らしいお客様。

ありがとうです。

 

設営は夕方の5時から。

開場は6時半。早目に並ばれたので5分前に開場した。

机や椅子の配置に時間を取られ

音や灯りのセットが時間不足となった。

お客さんが入ってきた時、

私はまだチューニングもしていなかったほどで、

声出しはまったくできないままだった。

それでも開演は時間通りとした。

開演5分前になってから

私はサンドイッチをひと口だけかじりながら

爪を整えた。

司会者の前振りが始まった。

日没はしていたが、外はまだ明るい。

残念ながら今日は夕焼けにはなっていない。

ウーロン茶をゴクンとひと呑みして

舞台に向かった。

 

舞台にライトが入った。

「皆さんこんばんは」と声をかけた。

ぎっしりのお客さん。

それぞれのお顔もまだ見える明るさ。

音に不安があり、声も出してない不安もあったが

そんなことはその方々には関係ない。

しっかりと歌っていくしかない。

しかも1曲目から、なんと新曲。

ついつい、短いあいさつの予定だったトークが長引く。

でもお客さんの反応は温かい。

何だか嬉しそうに、笑ってくれるし、拍手してくれる。

すごくいい感じだ。

さあて、声は出るか?

 

そーっと歌い始めた。

「♪淋しい歌なんて聞きたくないーよ」…

この日のためにこしらえた「リクエスト」と名付けた歌だ。

シーンと聞き入る場内。

店の隅々まで声が響いて行く感じだ。

ヨーシ。いいコンサートにするぞー。と心で叫んだ。

 

第1部はギター一本でのソロ。

全6曲。考え抜いたプログラム。

何度も曲をすげ変えた並びだ。

1曲ごとにトークが入る。

時間は気になるが、みんなが余りにも楽しく反応してくれるので

ついつい調子に乗って、やや長話になる。

いろいろ考えていたのに、結局、大した話はできなかった。

ま、いつものことだけどね。

 

第1部が終わり、休憩中に客席を回った。

嬉しそうに声をかけてくれる。

「どうですか」って訊くと

なぜか、「面白い」「楽しい」と返してくる。

「トークが」という意味らしい。

「えーっ?歌は?」と訊き返す。私はシンガーなのだし。

「ええ、それはもちろん」と、やや「ついで」っぽく言ってくれた。

ま、とにかく、みんなが喜んでくれればいいのだ。

フンだ。

 

休憩のあと、藤島裕之さんのピアノが入って

第2部が始まった。

1曲目は「ライフ・オン・ライブ」。

藤島さんならではの流麗な旋律の上に

私の声が響く。

気持良く歌わせてもらった。

その3曲目には、この日のテーマ曲「VEGAの小夜曲」。

練習のときから、二人が一番気に入っていた曲だ。

「♪久しぶりだね、星見るなんて…」

声に気持が乗り移って、とってもいい曲になった。

本当にそう思った。

 

第2部も合わせて全部で13曲。

途中で音のトラブルもあったが

構わず歌い切った。

私としては精一杯。

あとは、皆さんがどう感じてくれたかだ。

お世話になった方にお礼の電話をし始めたところだが

その反応は気になるところ。

いろいろと聞かせてほしいと思う。

 

それにしても、

嬉しそうにお手伝いをいただいた実行委員の皆さんや

音響、照明その他の技術スタッフの皆さんにもお礼が言いたい。

会場を提供していただいた「パ・ノ・ラマ」の皆さんにも。

そして何よりも、駆けつけていただいた皆様方に

感謝の言葉を送りたいと思います。

皆さん本当にありがとうございました。

 

また頑張って、いいコンサートをめざします。

ぜひ、またお越しください。

さらにいい歌もこしらえて、お迎えしたいと思います。

今月は、いろんなところで歌を歌うことになっています。

様々な方々に合わせて、曲を選んで。

 

明日は七夕。

きっと今年は、ベガとアルタイルの

1年ぶりの遠距離恋愛が叶う日になることでしょう。

今のあなたなら、短冊にどんな願い事を書くのでしょうね。

 

明日、天気になあれ。

2016.7.6

 

 

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コメント: 4
  • #4

    月のうさぎ (金曜日, 08 7月 2016 23:34)

    コンサート
    行きました☆

    最初の「リクエスト」と言う曲は、しまむらさんの優しさがすごく伝わって来て、
    "あなたのためだけのコンサート"をしてくれるみたいな歌詞があって、いいな〜と思いました。

    「VEGA小夜曲」もピアノの綺麗な音としまむらさんの高い声が一緒になって、キュンとしました。

    今回のコンサートの内容でCDにしてくれませんか?
    また、聴きたい曲がたくさんありましたo(^▽^)o

    美味しいサンドイッチにケーキも頂いて、とっても満足なコンサートでした。

    ありがとうございました♪

  • #3

    sakura (水曜日, 06 7月 2016 22:26)

    KAZUO様
    "VEGAの小夜曲"
    ありがとうございました。
    行って良かったです(*^^*)

    ちょっと照れながら
    「青くさ〜い恋の歌」を歌ったかと思えば、
    二部ではピアノの方の繊細なメロディーに乗せて、綺麗な声が響いて♪
    夜景も見ながらうっとりしました。

    ピアノの方と二人のバージョンも
    すごく良かったです。
    ぜひ、また聴きたいです。

    あの可愛いドリンクのチケットも作ったんですか?
    休憩中には、声を掛けてくれたり、トークもお茶目で
    KAZUO様を
    今回身近に感じれて
    嬉しかったです。

    このエッセイで、
    お客の私達に見えない所で、いろんな苦労や工夫をしてくれているんですね。
    さすがプロだなぁと思いました。
    エッセイも込みで
    益々ファンになります(*^^*)

    次の"十月桜の夢歌"
    -秋に咲く私を見つけてください-
    なんてまた、意味深なタイトルなんでしょう。
    今から楽しみにしてます♪

  • #2

    フェアリー (水曜日, 06 7月 2016 21:47)

    素敵なライブをありがとうございました♪

    音楽の楽しみ方っていろいろあると思いますが、
    会場の元々もつ雰囲気があって
    そこをどう使うか、何を持ってくるか、照明によって・・・
    音が響いて、歌声が絡みあって
    時にブレイクして

    始まってから、終わるまで
    そして余韻
    本当に、その時間 丸々息を飲む思いで一瞬一瞬を浴びるライブが
    大好きです。

    特に しまむらさんのライブは、場所によって、集まる方によって、全く違うカラーを出すので
    毎回楽しみです。

    今回は男性二人で、夜景と共に
    何ともオシャレなライブでしたね(*^^*)
    「VEGAの小夜曲」私も大好きな曲になりました♪
    また 聴きたいです。

    私の今の願いはそれかな☆

  • #1

    あっぷる (水曜日, 06 7月 2016 17:38)

    KAZUOさん♪

    「BEGAの小夜曲」、おつかれ様でした(^^)♪

    KAZUOさんの澄んだ声と、だんだん暮れ行く夜景がマッチして、素敵な時間でした(^^)♪

    テーマ曲はもちろんのこと、愛おしい選曲いっぱいで、心に染み入りました(^^)♪

    かと思えば、途中やラストに、弾けたKAZUOさんも楽しかったし(^^)♪

    サンドイッチも美味しかったし、ロールケーキも美味しかったし、書きたいことはいっぱい(^^)♪

    そんなこんなの準備をしてくださったKAZUOさんたち、改めて、ありがとーございました(^^)♪

    次の機会を、楽しみにしています(^^)♪

 

 

第78話 「にゅうばい」  by しまむらかずお

 

 

今日は雨。

昨日も雨だった。

「つゆに入ったあ?」

「うん、昨日…」

 

今朝、そんな話をした。

「そうか、“つゆ知らんかった…」

そんなダジャレが浮かんだ。

でも、言わなかった。

 

庭のデッキに出た。

シトシト・ピッチャンの雨。

さほど強くもなく、弱くもない。

まさしく “つゆの雨。

暗い空から真っすぐに降っている。

 

「入梅」…。

この国には、季節を表す言葉が五万とある。

…本当に五万もあるかどうか、数えたことはない。

古くからの言葉もあるが

「梅雨前線」なんて気象庁ぽい名前もある。

そう言えば、春には「桜前線」てのがあって

何となく待ち遠しい呼び名もある。

 

おかしなもので、「そうかあ、梅雨かあ」と思った途端、

「うーむ」と、身長が5センチほど沈む感じがする。

同時に、何だか「やる気」もコップ一杯分減った気がする。

動きが鈍くなり、その速度がややゆるくなる。

そう、これが「入梅症候群」。

気を取り直して、これを書いている。

 

冬が来ないと春にならない。

一度冷え込まないと、桜は咲かない。

梅雨がないと、夏は来ない。

夕立が来ないと、夏にはならないのだ。

そうだ、夏を待つのだ。

一度しゃがまないと、ジャンプは出来ない。

 

…などと、自分を励ましてみたが、

あんまり効果は出ない。

やっぱり、まったりと雨の音を聞いてしまう。

出かける気にはならない。

そう、これが「入梅症候群」の恐ろしいところだ。

 

この梅雨が明ける頃、

私のコンサートが予定されている。

「七夕様」に近い7月2日、

市内を一望できる五台山の

展望レストランで開くことになっている。

このところその準備にウンと力が入っている。

 

星空や夜景に似合う歌をと考えていると

例によって歌が生まれてきた。

なぜか、「青~い」感じのする曲ばかり、

やや乱作ぎみに3曲も出来てきた。

なんてこった。

星空や夜景から浮かぶのは、

やっぱり若い日のつたない恋の歌しかないのかい。

自分にツッコミを入れたい気がする。

 

しかし、生れてくるものは、ちゃんと産んでやらねばならない。

ギターを抱いて、細かいフレーズや、歌詞の微調整をして

仕上げている。

私の場合、それを何度も何度も歌ってみて

まるでカンナをかけて、紙ヤスリで表面を磨くかのように

仕上げてゆく。

 

お蔭で、10日ほど前から

右腕が抜けるように重く

腕を下に降ろしているだけで

重さ2キロを肩の付け根にぶら下げているような

鈍い痛みが続いている。

 

以前にもそんな症状はあった。

その時は、総合病院の整形外科に行き、

レントゲンを撮ったあと、

「どこもおかしなところはありませんねえ」と言われ、

「何か肘を使うようなことをしてますか?」と問われたので

「ギターを弾いて、歌を歌ってます」と答えると、

「じゃあ、それですねえ」と、「ギター肘」との名誉ある病名をいただいた。

塗り薬とサロンパスのおっきなのを頂戴して、

2か月ほどで痛みは引いた。

 

今回は、それよりももっと重症のような気がしたが、

またもや「ギター肩」となって、塗り薬もらってもねえ…と

ふと思いついて、接骨院なるものに行くことにした。

こういうところは生れて初めてだった。

ビルの一階の狭い診療所は結構賑わっていて、玄関は靴でいっぱい。

外の待ち合いのベンチにも人がいっぱいで、座るところもない。

しょうがないので、道を隔てた駐車場で順番を待った。

 

診察はスピーディ。

レントゲンなぞもなく、Tシャツの上から、ちょいちょいと体を触って、

看護師に何やら指示。

寝転ばされて電気をかけられた。

結構、痛い。

我慢強い方だが「痛い」って小声で言うと、

やや意外そうに、「痛いですか?」と電圧を下げてくれた。

 

そのあと、そのちょいちょいの先生に

ミイラのお棺のようなシートに乗せられて

「背骨、曲がってますねえ」

「足の長さ、違ってますねえ」

「痛くないほうの左の肩、引っ掛かってますねえ」

挙句の果てには「ぐちゃぐちゃですねえ」と言われてしまった。

そうかあ、ぐちゃぐちゃかあ…と苦笑い。

 

どうやら、私の体は歪み切って、ぐちゃぐちゃらしい。

それゃそうだよな、今まで長い間、使ってきた体。

健康なんて、運動なんて、あんまり気にもせず

生きて来たもんなあ。

 

そんなことを思ってると

「ちょっと痛いですよ」との予告の直後、

ガツンガツンと音がするほどに肩を押し込まれた。

矯正、っていうのか、

これでいいのか、直るのか、

数々の疑問が走馬灯のように一瞬に流れた。

そう、一瞬に。

何だかショックで、「ふわあ~」となった。

 

そのあとは、屈強な若者に腕をガシガシ揉んでもらって終了。

「次はいつ来たらいいですか?」

「いつでもいいですよ、毎日でもいいですよ}との答え。

「どうぞ安静に」とか、「注意すべきことは」の話もなく、

「そんなものかあ」と何だか気抜けがした。

ま、明日も来てみるか、そう思いながらクルマに戻った。

ビルの入口は相変わらず人でいっぱいだった。

「みんなこうして通ってるんだなあ」と、少し関心した次第。

 

その後は、急に肩が軽くなった、ということもなく

「揉み返し」というような感じの重さが続いている。

でもそう言えば、痛くない方の肩には全然凝りを感じなくなった。

ぐちゃぐちゃが、ぐちゃぐらいになったのかもしれない。

 

それにしても、急にその痛みが出た原因は分かっている。

ギターの弾き過ぎだけではない。

実は、先月からジムに通い始めているのだが、

…生れて初めて、運動不足の解消と体形改善に目覚めたのだ。

そこできっと無理し過ぎたんだろうと思う。

すぐに結果を、と頑張ってしまうオレ。

それが原因だろうなと思う。

でも、それも恥ずかしいから、ここだけの話にしてほしい。

 

ともかく、ジムや整体なんて

似合いもしないところに行く自分がちょっと可笑しい。

ま、年齢ちゅうものなのか、そんな時期にようやくなったのか。

そんな体はぐちゃぐちゃの自分が

「青~い」恋の歌を作っているのが、もっと可笑しい。

しょうがないじゃないか、それが今の自分なんだから…。

 

そんな今の自分を正直に

今度のコンサートの中で歌ってみたいと思う。

ピアノの藤島さんとの練習も始まった。

とってもいい感じだ。

ギターとピアノだけをバックに歌う、

その新鮮さがたまらない。

きっと夜景にピッタリの音になる。

そう確信している。

 

梅雨に入った今

肩は痛いけれど、やっぱり毎日、ギダーを抱えて歌っている。

その日の景色を想像しながら。

 

7月2日、その日、晴れるといいな。

 

(2016.6.7)

 

 

 

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コメント: 6
  • #6

    土佐のおんちゃん (月曜日, 27 6月 2016 11:00)

    7月2日は、きっと天の川もまぶしいくらいの晴天でしょう。

    なぜなら、365日入梅症候群さんが体調不良で雨男力を発揮できず・・・
    すばらしい宴になるでしよう・・

  • #5

    ムーン (月曜日, 13 6月 2016 20:21)

    しまむらかずおさん♪

    プレ七夕のようなコンサートで、夜景も見た帰り道に、星空と天の川が見えるといいですね☆彡

    ギター肩の痛さ、だんだん軽減していますか?

    楽になりますように、短冊の願いごとに書いておきますね☆彡

  • #4

    sakura (金曜日, 10 6月 2016 23:47)

    久しぶりのエッセイ
    楽しみにしてました♪

    「入梅症候群」になったところで心配したけど、本当の心配はその後…

    肩の鈍い痛みはその後どうですか?
    身体も、ぐちゃぐちゃだとか
    (>_<)

    でも、今やっと身体を大事にする事に目覚めていただいて良かったです。
    まだまだ これからも
    コンサートや、いろいろな催しに誘って下さいね。

    7月2日 晴れます様に☆
    万が一 晴れなくても
    元気なKAZUOさんに
    逢えます様に様に☆

  • #3

    少女A (水曜日, 08 6月 2016 20:33)

    せんせーい! ギター肩大丈夫ですか?

    ジムに行って体をつくるの、ムリしないでくださいね。¥(^^)¥

    練習も、ムリしないぐらいで、頑張ってください!!

    7月のコンサート、楽しみにしてます!

  • #2

    フェアリー (火曜日, 07 6月 2016 23:44)

    「にゅうばい」
    なんで ひらがななのかなぁ
    と、思いつつ…

    「入梅症候群」に苛まれてグダグダになっている様子は、これまでの しまむらさんと、何らお変わりなく。

    なのに、え⁉︎ ジムですって!
    で、続けて接骨院‼︎
    ホントになんてこったですね(>_<)

    大丈夫なんですか?
    心配です。
    「可笑しい」を連発している場合じゃないですよ。

    そんな時でも
    生まれて来てくれた
    「青〜い」しまむらさんの恋の歌、
    そしてピアノさんとの夜景にぴったりな音も楽しみですが、
    体調を思えば、まだ先でいいですよ。とも。。。 複雑。。。

    お星さま
    どうか一日でも早く しまむらさんの肩が良くなりますように

    そして
    7月2日、その日、晴れるといいな。
    の願いも叶えて下さい☆

  • #1

    あっぷる (火曜日, 07 6月 2016 21:19)

    KAZUOさん、ギター肩は大丈夫ですか?

    声が出なくなった時も、本番では、しっかり歌ったKAZUOさん♪

    咳が続いていた時も、本番では、ノン咳だったKAZUOさん♪

    7/2、夜景をバックの本番では、ギター肩を感じさせないであろう、パワフルな「青〜い」歌を楽しみにしています(^^)♪

 

 

 

第77話 「宮本くん・その最終話」  by しまむらかずお

 

 

 

この「宮本くん」の第1話を書いた翌日、

 

熊本地震が起きた。

 

しかもまだ続いている。

 

今日、震度4の地震が阿蘇方面で2度もあった。

 

いつになったら平穏さが戻るのか、

 

それは見通しがつかない。

 

自然の「動き」、それを我々は何も止められはしない。

 

そんなことは分かっているが、

 

一日でも早く、静かに落ち着いてほしいと願う。

 

 

 

そんな中、何とかこの話、3話まで書き進めたが

 

筆がやっぱり止まってしまった。

 

書いていることさえ、facebookに載せることもやや躊躇した。

 

しかし、この話、何とか仕上げて次の話題に進みたいとも思う。

 

 

 

とはいえ、元々何か言いたくて書き始めたのではない。

 

(ま、いつでもそうだけれど…)

 

今回は特にその「結び」に困っている。

 

知り合いの男性に「島村さん、四国一周、済んだ?」と

 

言われてしまった。

 

実はこの高校時代の四国一周の経験が

 

自分にとって何だったのか、それがどうやら分かっていないのだ。

 

単なる「いい思い出」で終わっていい訳もなく、

 

また、「旅先のエピソード集」で終わってはならないと考えるのだが…。

 

 

 

 

 

松山駅前でJRCの友だちらに別れを告げた僕たちは

 

一路、坂出を目指した。

 

坂出には、松山で知り合った「坪井くん」の実家があり

 

そこに泊めてもらう約束だった。

 

 

 

松山でちょっと遊び過ぎた僕たちは

 

一気にまっすぐ東にペダルをこいだ。

 

今度は雨も風もなく、

 

気になる女性にも出会うこともなく

 

快調に進む。

 

日が暮れはじめた真っすぐな国道を進む。

 

 

 

とっぷりと日が暮れた坂出の坪井くんちでは

 

息子の新しい友だちとして歓待を受けた。

 

夜は坪井くんと三人でいっぱい話をした。

 

四国大会での話やJRC活動の話。

 

特に翌年の高知での四国大会をどうするか

 

それに多くの時間を費やした。

 

 

 

そうは言っても、やはり高校生。

 

話は女子たちの話で盛り上がる。

 

香川には、「明善」なる女子高があり、3本線のセーラー服が

 

男子高校生にはとても魅力を放っていた。

 

四国大会はいつも夏休みに開かれており

 

どの子の制服もずっと夏服にしかお目にかかっていない。

 

「みんなの冬服姿が見たい…」。

 

実にアホな話ではあった。

 

 

 

当時、高知には、

 

そんな大きな大会をやれるような青少年施設はまだなかった。

 

野市町に「青少年センター」が建設されることになっていたが

 

その夏には間に合わない。

 

そこで、特別にそれを理由に「冬休みにしようぜ」とのたくらみが

 

そこで話された。

 

が、これは秘密の話だったし、

 

その本当の動機が不純であったことはずっと隠していた。

 

翌年には本当に『初の冬の大会』を野市で実現。

 

私のアルバムには、見事、冬服セーラーと共にの写真が貼られている。

 

ちなみに、その明善高校は、

 

2001年に男女共学の「英明高校」となったそうだ。

 

…実に残念だ。

 

 

 

坪井くんは、鳴門高校の生徒だった。

 

鳴門市内に下宿を持っている。

 

当然、次の日は鳴門で泊まることになる。

 

出来たばかりの小鳴門橋のつり橋のそばのアパートは

 

狭いが男3人が寝るには十分だ。

 

風呂はない。トイレは共同。

 

当時はごくフツーのアパートだ。

 

男3人で小便に行く。

 

便器の上の窓の景色に驚いた。

 

小高い山の上になんと、高知城があったのだ。

 

何度も目をこすった。

 

(手は洗っていたと思うが…)

 

 

 

高知城は、何度も写生大会で描いたので

 

見間違わない。三層の小さいけれど形のいい城だ。

 

無論夕暮れ時のこと、シルエットだったが瓜二つだった。

 

 

 

あとで調べてみるとその城は

 

アパートのそばの妙見山の山頂に作られた

 

撫養(むや)城だった。

 

本来は天守はなかったそうだが、

 

県立鳥居記念館として模擬天守閣が建設されたのだそうだ。

 

いずれにしてもそのモデルは高知城に違いないと今でも思っている。

 

鳴門方面に行くと、ついその天守を探してしまう。

 

あれ以来見ていない。

 

一度登ってみたいものだ。

 

 

 

僕たちの旅は

 

思えば無謀だった。

 

寝袋一つ持って行ってはいなかった。

 

すべて人をアテにした旅だった。

 

次の日も、室戸近くの水産試験場の扉を叩いた。

 

坪井くんの紹介だった。

 

たかが高校生の紹介状を握って扉を叩く僕たちは

 

実に厚かましい。

 

泊めてはくれたが、その所員の男性にきつく叱られた。

 

その甘さをバッチリ指摘されたのだ。

 

僕たちは初めてぐっすりヘコんだ。

 

 

 

翌日は宮本くんの知り合いの

 

室戸市職員の宿舎に泊めてもらった。

 

さらに肩身を狭くして、遠慮しつつ泊めてもらった。

 

その日のことは全く憶えていないほどだ。

 

早くこの旅を終えたかった。

 

 

 

そして最終日。

 

一気に高知へと向かう。

 

室戸岬からは一直線。

 

出発してから10日目を迎えていた。

 

気分爽快とはいかず

 

ただ無言でペダルをこいだ。

 

早く到着したかった。

 

見慣れた景色だったのに

 

高知への道は意外に遠い気がした。

 

 

 

高須に入った。

 

葛島橋を渡る。

 

橋を下るとき、高知城が見えた。

 

まだビルが立ち並んではいない時代。

 

はっきりと見えた。

 

『帰ってきたぞー』と両手を上げた。

 

その時初めて、じんわりと涙が出た。

 

もう体はボロボロだった。

 

夏休みは最終日になっていた。

 

 

 

 

1年先輩だった宮本くんは

 

次の年の春、卒業して、

 

その建設会社に就職を決めた。

 

だから、例の冬の四国大会には彼の姿はなかった。

 

あんなにも一緒にいて、10日間も旅をしたのに

 

その後、一度も会ってない。

 

この狭い高知で一度も会えてないのは

 

もしかしたら高知からいなくなったのかもしれない。

 

それも分からない。

 

もう確認もできなくなった。

 

会いたい。

 

無性に会いたい。

 

会ってあの日のことを謝りたい。

 

長い話をして酒が飲みたい。

 

 

 

あの旅はなんだったのか。

 

我々に何をもたらしたのか。

 

それは、会って話をしないと分からないのかもしれない。

 

 

 

 

 

「あの人は今」みたいな番組があって

 

再会を果たす物語が昔あった。

 

僕がもっと有名になれば

 

会えるかもしれないが

 

もうこれ以上、名は上がりそうにない。

 

宮本くん、なんとか僕を見つけてくれないか。

 

会えないか。

 

会ってくれないか。

 

「宮本くーん」、

 

深い夜空にそう叫びたい。

 

 

 

 

 

…ちなみに坪井くんとは、その後もお付き合いがあって

 

40代になってから、大阪で再会を果たした。

 

相変わらず大きな目で、口をとがらせて今を語った。

 

今は東京に居を構えられている。

 

彼が、一度高知に来たいと言い出してから、もう5年が過ぎた。

 

三人揃って旨いタタキが喰いたい。

 

高知城の下で。

 

2016.5.5

 

 

 

 

鳴門の撫養(むや)城。
別名、阿波岡崎城。

ねっ、高知城にそっくりでしょ。

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コメント: 4
  • #4

    あっぷる (土曜日, 07 5月 2016 05:25)

    うわっ!

    ホームページ、ほぼ毎日チェックしていたのに、1日油断した隙に、島村君が、旅を終えていた(笑)

    「高須に入った。」
    「葛島橋を渡る。」

    5/5の五台山帰りに通過した、今現在の葛島橋を思い浮かべて、ホッとしました(^^)♪

    ******

    「誰かの夢が叶うお手伝いが大好きなんです♪」

    なんて青い事を、いまだに本気で口にする私(笑)

    島村君が宮本君に会えて、坪井君と三人で旨いタタキを食べて、旅の意味が腑に落ちるのを、切にお祈りします。

    撫養(むや)城…もとい、高知城のしたで(^^)♪

  • #3

    sakura (金曜日, 06 5月 2016 23:17)

    九州の方々の生活が、一日でも早く 静かに落ち着いて欲しいと願いつつ。

    宮本くん完結編から学んだ事
    ・男の子のあこがれは、やはりセーラー服であること!
    また、これがすごい原動力になる事。

    ・鳴門市内から見える 撫養城は、高知城がモデルになっているのでは(c_c)
    と思うほど似ている事。

    ・青春時代には
    (いつまでそう思うかは、個人差あり…かなりあり)
    目一杯楽しんでおく事。

    そして、親は子どもの成長をなりよりも大事に見守っているという事。
    たとえ目の前に居なくても、心から応援しているという事。

    人間て素敵だっていう事。

    ありがとうございました。
    島村さん(*^^*)

  • #2

    少女A (金曜日, 06 5月 2016 22:49)

    自転車で、四国一周。  すごいです!!

     会いたい人に、会えないのは、すごくさみしいと思います。

     会えるといいですね。

  • #1

    フェアリー (金曜日, 06 5月 2016 22:47)

    島村くん宮本くん、お帰りなさい。
    もちろん無事を、祈っていたのですが、その1、その2を、読んできていよいよ最終話を待ちわびた読者としては、ん?終わり?って感じです。

    でも、帰って来た日は夏休み最後の日。

    何も考えずに旅に出て、いろんな方にお逢いして、優しくしてもらい、またある時は、厳しく諭していただきましたね。

    生涯の友として残る友。そして、旅を終えて離れた友。

    あれからウン10年として、今、改めて、ま宮本さん探しを始めてみませんか?
    美味しそうに タタキを食べる
    3人をみてみたいです。


 

 

第76話 「宮本くん・その3」  by しまむらかずお

 

 

 

四国一周自転車旅行中の私と宮本くんは

 

見残で出会った若い女性に招かれて

 

彼女の自宅、宇和島城のすぐ前のお家を訪れた。

 

旅行3日目。

 

予定より1日半も遅れている…。

 

 

 

縦格子の引き戸を開けて

 

声をかけた。「こんにちは…」。

 

日本風の古いお家の玄関は広い土間。

 

シンとして音がない。

 

もう一度少し大きな声で「こんにちは」…。

 

誰もいないのかなあ、と顔を見合わせる。

 

心の中で「どうしようか…」とつぶやいて

 

玄関を出ようとしたとき

 

人の気配がして玄関の戸が開いた。

 

 

 

一人の女性と目が合った。

 

「あ、すみません」と思わず言った。

 

「あのー、こちらの方と見残しのほうで会いまして…」

 

「ああ、娘から聞いてます。ちょっと待ってくださいね」

 

彼女のお母さんだった。

 

「まあ、お疲れでしょ、ま、そこにでもお座りいただいて…」

 

そう言って奥に入って行った。

 

玄関の広い上がりまちに腰かけた。

 

お母さんは、ほどなくお盆を持って現れた。

 

「何にもありませんが…」と冷たい麦茶とお菓子を出してくれた。

 

それは、「母恵夢(ぽえむ)」だった。

 

その名前は知っていた。甘いお菓子だった。

 

 

 

玄関でこれまでの道程をお話した。

 

お母さんはゆったりとした口調で話してくれた。

 

「それが、娘は夕方までは帰れないって言ってました」

 

「そうですか…それじゃそろそろ」と、おいとましようとした時、

 

「まあまあ、まもなくお父さんが帰ってくるので、それまで待ってくれます?」

 

「多分、喜ぶと思います」

 

「ゆっくりしててください、そのうち娘も帰ってくると思いますので…」

 

 

 

まだ日没までには時間がある。

 

今日中に次の町まで行かないと…と思ったし

 

お父さんに会っても、何だか気後れしそうと躊躇した。

 

でも彼女に会えないままじゃ、と思いつつ

 

上がらせてもらうことにした。

 

 

 

お父さんが帰って来た。

 

夕食を食べていけと言う。

 

「えー、そんなあ…」とほんとに遠慮した。

 

厚かまし過ぎじゃろう、と本気で思った。

 

 

 

結局…

 

その夜は、彼女を交えての賑やかな夕食となった。

 

お父さんは楽しそうだった。

 

その娘さんも屈託なく楽しそうに喋った。

 

いい家族だなあと羨ましかった。

 

当時、私の家では「食べながら喋るな」という食卓だった。

 

料理がいっぱい並んだが、

 

こんなふうに人様のお家で食卓を囲んだことなんか全くない。

 

だから、「お代わり」もせずにいると、

 

そのお父さんがこう言った。

 

「遠慮なんかするもんじゃない」

 

「昔から、『遠慮ひもじい、ダテ寒し』って言ってなあ…」

 

遠慮しているとお腹がすくし、

 

ダテ…かっこつけて薄着でいると寒いぞということらしい。

 

そんな諺は初めて聞いた。

 

この宇和島の地は、徳川の時代、

 

仙台の伊達正宗の息子たちが領主を務めたお国柄。

 

だからそんな言い伝えがあるのだと聞いた。

 

ダテは「伊達」のことだと、この時に知った。

 

 

 

「あんたたち、泊まっていきなさい」…

 

少しビールが効いてきたお父さんは、やや命令口調で言った。

 

拒めなかった。

 

お言葉に甘えることにした。

 

お風呂に入った。股擦れが痛くてなかなかお湯に浸かれなかった。

 

ふかふかの布団を敷いてくれたが

 

なぜか寝付けなくて、夜遅くまで漫画を読んだりした。

 

このお家の方たちとはその後、葉書のやり取りを続けたが

 

どこかへ引っ越されて、いつの間にか立ち消えた。

 

申し訳ないが、今ではその名前も忘れてしまっている。

 

でも、あたたかなお家の雰囲気はずっと心に残っている。

 

 

 

翌日、

 

JRCの四国大会は明日に迫っていた。

 

今日中には着かねばならない。

 

宇和島から松山までは100キロ以上ある。

 

私たちは先を急いだ。

 

大洲を過ぎて肱川に沿って上流に向かう。

 

内子を過ぎた辺りから悪路が続いた。

 

中古で買った私の自転車は2度もパンクした。

 

事前の練習でなんとか修理はできたが、

 

さすがに3度目となると気が滅入る。

 

 

 

「先に行っちょって」と私は言った。

 

これ直したらすぐに追いかけるから…。

 

今度は一人でパンクの穴をゴムで塞いでまた進む。

 

修理が不十分だったのか、またペシャンコになってしまった。

 

泣きそうになりながら、またもやチューブにゴムを張りつけて

 

なんとか中山町まで来た。

 

名前のとおり、山の中のこじんまりとした町だった。

 

自転車屋さんで思い切って新品と替えてもらった。

 

こんなことなら、両輪とも新品にしておくんだった。

 

 

 

交換が済んだ頃、

 

「ありがとう」と出発しようとしたが、

 

その自転車屋さんのおっちゃんに止められた。

 

「こっから先は峠じゃ、今から行くと夜になる」

 

「行ったらイカン!」と。

 

この峠は「犬寄峠(いぬよせとうげ)」といって、

 

夜になると野犬が集まって来て人を襲うという言い伝えのある峠だという。

 

「でも、相棒が待ってますから」と何度も言ったが

 

取り合ってもらえず、「ワシが頼んじゃる」と

 

近くの公民館に連絡してくれた。

 

 

 

携帯電話もない時代、

 

宮本くんには連絡が取れない。

 

どうしようもないが、更けてきた峠にはもう向かえない。

 

仕方なく言われるとおり、公民館に向かった。

 

見ると入口の柱には紅白の布が捲きつけてある。

 

落成したばかりだという。

 

館の女性は「布団もないけど」と申し訳なさそうに

 

座蒲団を貸してくれた。

 

真新しい畳の匂いのする部屋に通されたが

 

何だか落ち着かない。初めての一人の夜。

 

宮本くんのことが気にかかる。

 

 

 

すると、先程の女性が

 

「丁度、中学校のバスケ部が合宿しているので、そちらへ」と

 

案内してくれた。

 

夏休みの合宿はどうやら最終日の夜らしく、

 

賑やかな打ち上げの真っ最中。

 

高知から来た小さな高校生は大歓迎された。

 

お腹いっぱいにご馳走をいただいて

 

これまでの旅のことや、JRCの活動のことなど

 

質問攻めにあった。

 

私はちょっといい気になって、いっぱい喋った。

 

 

 

その夜は、中学校の柔道の道場の畳で寝かせてもらった。

 

広い畳の隅っこで、宮本くんのことを思った。

 

が、今日の道中がハードだったので

 

すぐに寝てしまった。

 

 

 

翌朝、その中学生たちの賑やかな見送りを受けて

 

自転車に飛び乗った。

 

一気に峠を超え、松山へ必死で漕いだ。

 

松山までは20キロほどだった。

 

松山城のふもとの県庁に着いた。

 

その一角に赤十字社の事務所がある。

 

古びた事務所の扉を開けると

 

「あなた、島村くん?」と、声がかかった。

 

「宮本くんがあなたを探していたわよ」。

 

聞けば、松山と犬寄峠との間を

 

一晩中行ったり来たりして探してくれていたという。

 

言い訳はいっぱいあるが、本当に申し訳なくて言葉にならない。

 

ほどなく合流できた宮本くんに、頭を下げたが

 

ちゃんと言葉にしたかどうか、今でも心配が残る。

 

 

 

宮本くんは「良かった、無事で」とたった一言。

 

怒ることもなく、「早よう、行かな」と、自転車にまたがった。

 

彼の目は真っ赤だった。

 

彼の後姿について行きながら、

 

「こめんなさい」といっぱい思った。

 

いい気になってた夕べのことは、とても話せなかった。

 

 

 

JRCの四国大会は、三日間。

 

高知からの仲間もバスでやって来た。

 

私の顔を見るなり、「大丈夫やったあ?」と口々に訊いた。

 

夏の制服と着替えとお金の入った新しいバッグを渡してくれた。

 

 

 

三日間の大会は、楽しかった。

 

大いに語り、大いに交流した。

 

自転車で参加した私たちは、

 

ちょっとした有名人だった。

 

お蔭で新しい友だちも沢山出来た。

 

 

 

そんな中に坪井くんがいた。

 

徳島の鳴門の高校生で、私とは同年である。

 

真面目な人で目がクリッとした男前。

 

髪は大人っぽく七三分け。

 

喋ると口が少しとんがる感じの

 

いわゆる上品なお坊ちゃん風である。

 

多分、人の悪口は言わない、そんな感じのする人だった。

 

 

 

大会の三日が終わり、午後には何人かで

 

松山城へと登り、楽しい時間を過ごした。

 

松山駅前で別れを惜しみながら

 

「来年は高知で会おう」と握手を交わした。

 

そう、次の年は高知での開催だったのだ。

 

その場で、自転車に乗って手を振った。

 

坪井くんには、「じゃあ、また今夜、坂出で」と別れを告げた。

 

坂出には彼の実家があり、そこに泊めてもらう約束をしたのだった。

 

 

 

いざ、坂出へ!

 

「ひとケタ国道」ならではの、真っすぐで広い平坦な道を、

 

ただひたすら坂出へと漕いだ。

 

今日のペダルは今までで一番軽く感じた。

 

 

 

 

この話、次回はいよいよ最終回。

 

乞う、ご期待。

 

2016.4.18

 

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コメント: 4
  • #4

    月のうさぎ (水曜日, 20 4月 2016 22:30)

    旅行3日目。
    予定より1日半も遅れている…。

    と、始まったのに、

    まだ日没後まではまだ時間がある
    でも、彼女に会わずには…
    って
    結局一緒に夕飯を食べたんかい⁉︎

    結局泊まらせてもらったんかい⁉︎

    ツッコミどころ満載で楽しく読ませて頂きました。

    どこまでも人の情けに翻弄される
    島村くんと、
    心配して夜道を一人自転車で、探し続けた責任感のある
    宮本くん。

    共にJRCの大会で大いに盛り上がれて良かったですね。

    その二人が更に出逢った坪井くんは、最終話でどんなドラマを見せてくれるのでしょうか?

    とっても楽しみです。

    明日のおやつは母恵夢にしよっと
    (o^^o)



  • #3

    sakura (月曜日, 18 4月 2016 22:58)

    便利な世の中になったから、
    すぐにスマホとかで調べて
    何でも分かったつもりになってるけど、

    人の優しさや、温もり、有り難さを実際に体験して感じた事がある人は
    きっと、人に心から優しく出来ているんでしょうね。あ!

    思い出は力
    人は宝

    大好きな言葉を思い出しました。



  • #2

    フェアリー (月曜日, 18 4月 2016 16:17)

    "宮本君"と、題を付けたのがシミジミとわかってきました。
    島村君が中学生に囲まれて
    いい気になって喋っている間、真っ暗な峠を行ったり、来たり・・・
    読んでいて涙が出そうです。
    それなのに、会った時怒りもしなかった宮本君。
    ♪運が良いとか、悪いとか人は時々口にするけど・・
    と さだまさしの歌にもありますが、
    島村君は確かに、いい人に巡り合う運を持ってますね(*^^*)

  • #1

    あっぷる (月曜日, 18 4月 2016 02:14)

    宮本くんのお名前、お姉さんのご家族のお名前、それは忘れても、KAZUOさんの記憶は、こんなにクッキリあるんですね(^^)

    ほのかな、何回目かの初恋の心でも、出てくるかと思ったんですが(笑)

    さてさて、次は最終回、ちょっとした小説のような実話、続きを楽しみにしています(^^)♪