エッセイ・コーナー  KAZUOは要りませんか?

しまむらかずおが描くつれづれ(その15)  第71話~第75話

 

 

第75話 「宮本くん・その2  by しまむらかずお

 

 

前74話は、私の高2のときの

 

四国一周自転車旅行のお話で

 

宮本くんというのは

 

その旅に一緒に行ってくれた2つ上の男性のことである。

 

前話では、後ろの荷台にくくりつけてあった黒いバッグが

 

いつの間にか落下して、中村の赤鉄橋の上でそれが判明。

 

来た道を戻って懸命に探したが見つからず

 

中村署に届け出て、同市内のお寺に泊まった…

 

そこまでだった。

 

 

 

次の朝…

 

本当は昨日のうちに足摺岬に着いている筈だった。

 

「今日こそは」と意気込んだが

 

昨夜からは雨になっていた。

 

天気予報を聞きたかったが

 

私のトランジスタ・ラジオは落としたバッグの中。

 

不安なままにペダルを漕いだ。

 

 

 

中村からは2時間もあれば着く距離。

 

その筈だった。

 

ところが土砂降りの雨。

 

ずぶ濡れになりながら向かい風の中を進む。

 

何とか土佐清水の手前まで来た頃には

 

小さな橋を渡ると膝まで水に浸かる状態になった。

 

重たくなった自転車を押しながら進む。

 

 

 

土佐清水の漁港を過ぎた頃には

 

辺りは夕暮れ並みの暗さとなり。

 

道渕のジョン万次郎の墓所は

 

雨に打たれながら見上げたものだった。

 

カメラは雨に濡れて使えなくなっていた。

 

 

 

どんどん辺りは暗くなる。

 

頼みの地図は雨でボロボロとなり

 

自分たちの位置さえ分からない。

 

ともかく狭い一本道をひたすら進む。

 

 

 

そんな頃

 

小さな集落に辿り着いた。

 

雨の中、雑貨屋に灯りが見えた。

 

自転車を止めて店内を覗きこんだ。

 

とにかく何か食べたかった。

 

おばちゃんが出て来た。

 

二人の様子を見て驚いたように

 

「まあ、アンタらあ、どこから来たが?」

 

矢継ぎ早やに質問を浴びせかけた。

 

「たまーるか、そんなに濡れて」

 

「風邪、引くぞね」

 

「ラーメンでも作っちゃおか」

 

…「すみません」。遠慮する筈もなく

 

熱いインスタント・ラーメンを

 

フーフー言いながら、ありがたくいただいた。

 

冷え切った体にようやく体温が戻った感じだ。

 

 

 

さらにおばちゃんの質問は続く。

 

「あんた今晩、どうするが?」

 

…「足摺岬まで行く」

 

「足摺ち、もう遅いぞね」

 

「それにこの台風やき」

 

…私たちは台風に向けて走っていたらしい。

 

「泊まるところはあるが?」

 

「とにかく、風呂、沸かいちゃおき、入りなさい!」

 

「その間に、前の消防屯所に話してみるき…」

 

 

 

嬉しいお風呂をいただいて

 

お店のすぐ前の消防分団の2階に上がった。

 

手を伸ばせば届くほどの低い天井から

 

裸電球が一個、目の前にぶら下がっている。

 

着替えなどない。落としたバッグの中だった。

 

貸してもらったバスタオルを体に巻いて

 

座蒲団を枕に、毛布一枚で寝た。

 

 

 

余りに心細くなって

 

自宅に宛てた手紙を書いた。

 

実は、この4日後、松山市のはずれの町で

 

青少年赤十字(JRC)の四国大会があって、

 

そこには私たちを見送ってくれた団の仲間たちがやって来る。

 

その大会に私たちも合流することになっていたのだ。

 

その団員たちに、着替えを持って来てもらいたい、

 

それから、お金を貸してほしい、そう書いた。

 

暗い部屋の中で、前のお店で買った便せんに向かって

 

腹這いになって書いた。

 

何だか涙が出た。

 

「一切迷惑はかけません」と豪語して、出て来た旅行だった。

 

悔しかったし、情けなさでいっぱいだった。

 

 

 

後日談がある。

 

その時、一緒に横で寝ていた宮本くんの話である。

 

その翌朝のこと。彼は「寝れんかった」というのである。

 

寒くて、ではなく、私の息が気になって、ということだった。

 

私は今でもそうらしいが、息が深い。

 

深いというのは、大きく息を吸って、一度止まり、

 

しばらくたって大きく長く吐く、のだそうだ。

 

吐いた後もしばらく止まっていて、また、大きく吸うのだそうだ。

 

いびきはかかないが、どうやらそうらしい。

 

あとで習ったヨガの呼吸法そのままだ。

 

その夜はやっぱり疲れ果てていたのだろう。

 

そんな深い寝息が彼を心配させていたのだ。

 

今更ながらに、ごめんなさいと、ありがとうが言いたい。

 

 

 

そんな朝を迎えて、雑貨屋のおばちゃんに何度もお礼を言って

 

「いよいよ今日こそ、足摺岬」と意気込んで

 

雨の中、スタートした。

 

予定より1日半も遅れている。

 

勢いよくカーブを左に曲がった。

 

がっくりきた。

 

そこに「足摺」があった。

 

長い旅路の夕方に目にするはずの足摺がそこにあった。

 

あの屯所は既に足摺だったのだ。

 

何だか気抜けがしつつ、バスターミナルに寄って

 

サイン帳に丸い大きなスタンプを押した。

 

 

 

白い灯台が見える展望台に向かった。

 

灯台は暴風雨の中でかすんでいる。

 

絶壁に荒い波が打ち寄せて砕けている。

 

展望台はコンクリートで出来た屋根付きの白い建物だった。

 

柱や壁には記念の落書きが、ぎっしりと書かれている。

 

私も書いた。黒いマジックで。

 

「足摺の嵐にけぶる灯台を眺めて悲し十六の旅…」。

 

確か、宮本くんも書いたが、その文章は憶えていない。

 

後日、成人してから訪れた岬には、

 

その展望台の建物はすっかりなくなっていた。

 

 

 

雨は少し小やみになった。

 

見残(みのこし)に向かう。

 

名物のグラスボートは台風のため動いていない。

 

せっかく来たけれど何にもすることがない。

 

トイレの扉の前に四国地図があった。

 

「ボクらあ、ここから来たがでねえ…」と話していると

 

ふいに声がかかった。

 

前髪を揃えた長い髪のお姉さんだった。

 

といっても、ハタチぐらい。

 

高校生の私たちにはお姉さんである。

 

しかも可愛くて奇麗。

 

実は足摺のバスターミナルで見かけていた方である。

 

その話をすると彼女も私たちを見ていたらしく

 

…そりゃそうだろう、ズタボロの二人組は気になるわなあ…

 

興味深げに話が続いた。

 

「ボクたち四国一周の旅なんです」と、少し胸を張った。

 

「へえー」と驚いて、「アタシんちは宇和島なの」

 

…「宇和島だったら通りますよ」

 

「じゃあ、ウチに寄ってってよ」

 

「宇和島城の大手門のすぐ前だから、すぐ分かるから…」と

 

住所のメモを渡してくれた。

 

「じゃあね」と手を振って去って行った。

 

 

 

それから先はなぜか快調にブッ飛ばした。

 

宿毛(すくも)を抜けて愛媛県との県境へ。

 

面白いことに、「愛媛県」の看板の根元から

 

急に道路が広がって、しかも舗装までされている。

 

何だか嫌味な気がしたが、「高知は貧乏なんや」と、

 

笑いながら初の「県外」へと踏み入れた。

 

通るバスは宇和島バス、その白い車体が珍しく見えた。 

 

 

 

ほどなく宇和島市に入った。

 

静かな町並み。お堀の内側に可愛い天守閣が見える。

 

城下町らしく、佇まいはしっとりと落ち着いている。

 

大手門があった。

 

その前のお堀に沿って、趣ある家屋が連なっている。

 

彼女の家はその中にあった。

 

言われた通り、すぐに見つかったことに、やや驚いた。

 

その前で自転車を止めた。

 

「どうしよう…」

 

「どうしよう、言うたち、行くゆうて約束したがやき」

 

「そうでねえ…」

 

思い切って、縦格子の引き戸をゆっくりと開けた。

 

 

 

 

 

 

 

今日はここまで…。

 

2016.4.15

 

 

▼エッセイへのご感想をお書きください。

(注)文章の内容がこの欄にふさわしくない場合には、掲載しない場合があります。ご了承ください。

コメント: 3
  • #3

    rittyan (土曜日, 23 4月 2016 23:43)

    しまむらさんの16才の自転車旅行、この時期、私が中村にいた頃ではないかな と思いながら、読ませていただきました。
    中村に行った時は、まだ舗装されてないところもあったり、山道はガードレールもなかったりしました。
    たいへんな道を自転車ですごいですね。
    泊まったお寺は、太平寺では?
    土佐清水のおばさんは、土佐弁でした?幡多弁ではなかったですか?

  • #2

    あっぷる (月曜日, 18 4月 2016 00:26)

     「足摺の嵐にけぶる灯台を眺めて悲し十六の旅…」。

    16才から、今のKAZUO様の片鱗があったんですね(^^)♪

    さてさて、「宮本くん・その3」、お姉さんとのご対面を楽しみにしています(笑)

  • #1

    フェアリー (金曜日, 15 4月 2016 18:29)

    えーーっ
    台風の中を自転車で進んでたんですね(>_<)

    「一切迷惑をかけません」と豪語して出てきた旅で、
    地図も、ラジオも、お金も無く、カメラまで壊れちゃって…

    でも、あるのは予想もしていなかった人との出逢い。
    土佐弁のおばちゃん
    あったかいなぁ

    小説みたいだけだ、実話なんですよね。

    綺麗なお姉さんとの出逢いで
    16才の少年はどんな成長をするのかな?
    期待し過ぎ?
    でも続きが早くも読みたいです(*^^*)







 

第74話 「宮本くん」  by しまむらかずお

 

 

 

町の姿の変貌は、

 

思い出の場所を遠慮なく奪ってゆく。

 

今まであった建物がいつの間にか壊されて

 

単なる空き地になったり

 

真新しい建物に代わってゆく。

 

馴染んでいた風景が消えてゆく。

 

それも、どこの町で見られる景色に塗り替えられてゆく。

 

古いものが新しいものに変わる。

 

それは当たり前なのかもしれない。

 

消える・生れる…世代交代もまた当然のことなのだろう。

 

 

 

そんな景色のひとつに、大きな建設会社があった。

 

しばらく前に閉鎖されていたらしく、

 

最近になって大きな物流センターが建てられた。

 

その会社に足を踏み入れたことはなかったが、

 

ずっと気になっていた場所だった。

 

そこは、宮本くんがいた場所だったのだ。

 

 

 

「くん」と書いたのは、当時は18歳だったからで

 

いまは立派な「さん」か「様」である。

 

彼は工業高校を卒業後、その会社に就職した。

 

実は宮本くんの消息はそこまでしか知らない。

 

 

 

にも関わらず、ずっと気にかかっていたのは、

 

あれから一度も会ってないけれど

 

ずっと忘れていない方だったからだ。

 

会えないままそれぞれに大人になったが

 

ずっと気がかりだったのだ。

 

 

 

いつか会いたい、お礼が言いたい。

 

その場所を訪ねさえすれば、それができる。

 

いつまでもその会社にいるとは限らないが

 

その前を通る度にそう思っていた。

 

その場所がなくなったのだ。

 

もう彼の手がかりさえ掴めない。

 

いったい彼はどこにいるのだろう。

 

「不義理」なんていう古い言葉が頭をよぎる。

 

下の名前も覚えていない私が情けない。

 

 

 

宮本くんは私より二つ上だった。

 

まだ16歳と18歳だった二人は

 

改造した自転車にまたがって

 

アルバイトで買った安物のウエアを着て

 

生意気にも黒いサングラスまでして

 

四国一周の旅に出たのだった。

 

私が高2の夏だった。

 

 

 

当初は一人で周るつもりだったが

 

父の反対もあって、宮本くんにも行ってもらったのだった。

 

彼は歳に似合わず、落ち着き払った風貌で

 

とても18歳には見えない、オッチャンだった。

 

陽に焼けた顔に、はにかんだ笑顔が似合う人だった。

 

 

 

8月半ばのお昼前、こぎ出したペダルは快調に回ったが

 

須崎を過ぎて久礼坂に差しかかったところでピタリと止まった。

 

「これより急な坂道あり、道中無事を祈る」の看板だった。

 

それまでに幾度か練習にと、遠距離サイクリングを続けてはいたが

 

そういえば東の方、フラットな室戸方面ばかりだった。

 

 

 

「えいやー」とペダルをこいで登り始めた。

 

当時は未舗装のクネクネ道で、足摺岬へと向かうバスは

 

そのとん先を崖の外に何度も出しながらスリリングに上がってゆく。

 

道はそのタイヤの部分が掘れて、真ん中が高く

 

大きなW型となっていて、しかも、石灰岩の砕石が撒かれていた。

 

ギアチェンジが3段しかない当時の自転車ではすぐに息が上がった。

 

何度もその砕石にタイヤを取られ、横転を繰り返した。

 

車が通る度に崖のキワに自転車を寄せてやり過ごす。

 

これでも国道。平面の地図では分からない久礼坂は

 

このままだと日が暮れる「暮れ坂」だった。

 

 

 

やっとのことで登り詰めた七子峠の小さな茶店。

 

そこであおったコーラの美味しさは言うまでもない。

 

「こればあ上がったら、後はゆったりと下り坂でねえ」。

 

そう言いながら、あぜ道のような狭い国道をさらに西に向かう。

 

 

 

ところが、気分爽快の下り坂なんて全くなかった。

 

「しまったあ、窪川は台地だったあ」と気がついた。

 

ダラダラと黙々とペダルを踏む。

 

下り道はずっと西の「片坂」で、あっけなく下った。

 

海辺へ出た。

 

佐賀の海はきらめいていたが、波が荒く、風が強い。

 

どうやら嵐が近そうな気配だ。

 

 

 

今日の予定は足摺岬。

 

夕暮れまでには着きたい。

 

風の強い海岸線を

 

二人とも焦る気持ちでペダルをこいだ。

 

 

 

中村の赤鉄橋を渡る。

 

辺りは薄曇り。四万十川もどんよりとしている。

 

鉄橋の半ばでふっと振り向くと

 

荷台にくくりつけたバッグがない。

 

そのゴムヒモだけが、ズルズルと後ろに引きずっている。

 

前をゆく宮本くんを呼びとめた。

 

「どうしよう」…そのバッグには新品の着替えと

 

持ち金の半分が入っていた。

 

 

 

「いつまであった?」「いや、前ばっかり見よったき」

 

「ちょっと戻ってみる?」「うん」…。

 

二人は道端に目を凝らしながら、来た道を戻った。

 

 

 

あのバッグには、夏休みのほとんどを費やして

 

バイトで用意したお金とウエアが入っている。

 

升形のお弁当屋さんで、夜明けから仕込み。

 

大きな袋でのきゅうり揉み。

 

部屋いっぱいに並べられた弁当箱への盛り付け。

 

お昼前の弁当配り。

 

県庁の1階から5階の各課へ

 

重たい弁当をフーフー言いながら頑張った。

 

県庁舎の廊下は細かい石畳。そのため台車が使えない。

 

エレベータ前からは全部手配り。

 

東西に長い庁舎で、時間との戦いだった。

 

午後はその回収。

 

特に夏場のこと、回収時の弁当は既に腐りかけの匂いがする。

 

それを抱えたとき、初めて辛いなあと感じた。

 

それでも「四国一周」への憧れがそれを支えた。

 

 

 

そんな思いの詰まったバッグを落としてしまった。

 

来た道を戻りながら、泣きそうだった。

 

夕闇が迫る中、黒色のバッグなんて見つかることはなく、

 

中村警察書に紛失届けを出しに行った。

 

外は日がとっぷりと暮れてしまった。

 

高校生二人を気づかった警察官が、

 

近くのユースホステルを紹介してくれた。

 

お寺だった。

 

だだっ広い畳の間で、小さく丸まって初めての夜を過ごした。

 

ものすごく自分が小さく思えた。

 

憧れの足摺岬はまだずっと先だった。

 

 

 

 

 

…この旅のことを、こうして書き始めると

 

あの頃のことがいっぱいに溢れてきてしまう。

 

一旦、ここで手を止めて、

 

続きは次回に、とさせていただこう。

 

                                                                  (2016.4.14)

 

 

 

▼エッセイへのご感想をお書きください。

(注)文章の内容がこの欄にふさわしくない場合には、掲載しない場合があります。ご了承ください。

 

コメント: 4
  • #4

    あっぷる (月曜日, 18 4月 2016 00:24)

    KAZUO少年、暮れ坂、お疲れさま(^^)♪

    16才の時…、ウン十年前のことを、景色が浮かぶように描写できるKAZUO様、さすがです(^^)♪

    エッセイの発見遅れたので、続きがすぐに読めます(笑)

    さてさて、「宮本くん・その2」、どうなるのかなぁ?

  • #3

    カノン (金曜日, 15 4月 2016 16:10)

    うわーこの写真、
    昭和だぁ
    それにしても息子さん達、そっくり(*^^*)

    島村少年の大冒険
    続きを
    楽しみにしています。

  • #2

    ぴあの (金曜日, 15 4月 2016 09:12)

    小説みたい!!
    薄暗くなっていく道を、必死に自転車を漕ぐ少年二人の映像が、
    目に浮かびます。
    早く続きを!!

  • #1

    フェアリー (金曜日, 15 4月 2016 04:24)

    ハラハラドキドキしながら読みました。
    KAZUOさんの一生懸命な青春時代を。

    で、どうなったの?
    バッグはあったの?
    その後、どんな出逢いがあったの?

    早く続きを読みたいです
    (o^^o)

 

 

第73話 「桜咲く」  by しまむらかずお

 

 

 

今年の桜は、長い間楽しませてくれた。

 

確か去年は、一気に咲いて、一気に散った。

 

いつもの「日本一早い開花」は逃してしまったが、

 

その分、少しずつ咲いて、少しずつ満開になった。

 

「あらら、もう葉桜かあ…」と落胆した後に

 

ちょっと離れたところでは満開だったりして

 

樹や場所によってマチマチに楽しませてくれた。

 

この春ほど桜を楽しんだ春はなかった。

 

 

 

「桜を見ると東北を思う」と書いたのは

 

前72話の「雪」だった。

 

日付を見るとなんと1月の末。

 

2か月半も経っている。

 

その間、このページを開けることもなかった。

 

3月12日のイベント『東の空へ歌よとどけ2016春』

 

その準備に入ったからだった。

 

 

 

9団体、総勢140人も方々に出演いただいたこの集い。

 

なかなかに大変だった。

 

お蔭さまで700人の参加を得て成功裏に幕を閉じることができた。

 

各方面の関係者に心から感謝したい。

 

けれども、いつものことながら「言い出しだしっぺ」は大変だ。

 

やったことのないことは、面白いけれど大変だ。

 

私にしては、結構早目から取りかかったのだけれど

 

それでもなかなか大変だった。

 

 

 

何が大変だったのかは、よく分からない。

 

過ぎてしまえば、なんでそんなに大変だったのかも

 

よく分からない。

 

多分、沢山の方々との調整や段取りなど

 

それがそうだったのだろう。

 

 

 

思い返せば、様々な印刷物の製作や、

 

市内の小中学校へのチラシの全校配布、

 

場内パンフの広告取りとその製作。

 

当日用の映像画面の製作もあって

 

自身の歌の練習などはそのスキマになった。

 

2月にはビデオカメラをさげて宮城県内の被災地にも足を運んだ。

 

その編集作業も直前まで続いていた。

 

 

 

集いが終わってしばらくは、何だかボーッとしていた気がする。

 

「それで何かが生まれたの?」「何かが変わったの?」と訊かれると

 

それもよく分からない。

 

 

 

3.11を忘れないで」「みんなで手をつなぎましょう」のテーマの元、

 

沢山の方々の演奏や踊りや歌など、

 

様々なカタチで表現されたそれぞれの願いは

 

きっと観衆の心に届いたと信じられる。

 

記憶が遠ざかり、意識が薄れたと言われる今にあって

 

こうした呼びかけの大事さは年々増してくるように思える。

 

その一助となり得たには違いない。

 

 

 

だからといって、すぐさまに何かが変わるものでもないと思う。

 

しかしながら、こうした集いによって

 

せめて、思い出す回数が増えれば、

 

あの時に感じた思いやりや優しさが再生されて

 

今の、近くの、この町の、誰かのためにでも

 

優しい行動がとれるかもしれない。

 

そう思いたい。

 

 

 

効果が見えにくいこの種の集いは

 

「やったあー」というような達成感はなかなか得られにくいものだ。

 

堤防を高くしたり、避難タワーを建てたりというようなものと違って

 

思いやりや優しさや心遣いなどは目には見えない。

 

教育効果や幸せや生きがいなども、やはり見えるものではない。

 

けれど、必ずあるものだし、時たまそれがカタチに表れることもある。

 

そんな一瞬に立ち会いたいものだと思う。

 

もしかしたら、そのためにやっているのかも知れない。

 

 

 

3.11から1カ月。

 

福島の桜が見ごろを迎えている。

 

震災直後にも見事に花を開いた。

 

誰も見てくれなくても咲き誇っていた。

 

5年たった今も、見には行けない桜がある。

 

見てあげられない桜がある。

 

それでも桜は咲く。

 

それでも桜は咲く。

 

それでも桜は咲く。

 

忘れずに桜は咲く。

 

 

 

来年もこの集いを開く。

 

毎年開く。

 

そう決意した。

 

2016.4.11

 

 

 

▼エッセイへのご感想をお書きください。

(注)文章の内容がこの欄にふさわしくない場合には、掲載しない場合があります。ご了承ください。

コメント: 4
  • #4

    KANAKO (木曜日, 14 4月 2016 23:23)

    "かるぽーと"
    お疲れ様でした。
    もう、あれから1カ月が過ぎたんですね。

    初めての事は面白い!私もそう思う一人ですが、本当に大変でしたね。
    今回初めて、舞台裏のスタッフをさせていただきました。
    みんなが無言の内に島村さんを中心にして、このコンサートを絶対成功させるんだ!という、緊張感と責任感で自分の役割りは勿論、気が付いた事には進んで動く姿に感動しました。

    島村さんが出逢わせてくれる仲間は、本当に誰もみんな素敵です☆

    来年も、また集会を共に経験出来る事を、そして桜を見られる事を楽しみにしています♪

  • #3

    実香りん (火曜日, 12 4月 2016 19:39)

    毎回、読ませてもらってます。その通りだと思います。私も及ばずながら協力させていただきます。

  • #2

    あっぷる (火曜日, 12 4月 2016 02:21)

    「桜咲く」

    そうですね、KAZUOさん♪
    今年は、桜咲くの期間が長かったですね(^^)

    そうですね、KAZUOさん。
    3.12のイベントへの取り組み期間も長かったんですね。

    そうですね、KAZUOさん。
    このエッセイまでの期間も長かったですね。

    あの大きなイベント、それぞれの潜在意識に、「3.11を忘れない」も、目に見えない何かも、しっかり植えつけたと信じたいです。

    「桜咲く」、何かの合格の代名詞のようにも使われる言葉。

    「桜咲く」、なのに、福島の桜を想うと、心が痛くなります。

    「桜咲く」、KAZUOさんの周りで、笑顔の桜咲きますように(^^)♪

    ****

    真夜中に書く文章は、乱れ桜のようかと思いつつ、送信させてもらいますね(^^)♪

  • #1

    ぴあの (火曜日, 12 4月 2016 01:23)

    桜が咲くと、ああ、桜の木がここにあったんだと気が付きます。
    咲くときは、あんなに自己主張が激しいのに、
    散ると、またひっそりと。

    いろんな花があるのに、どうして、桜は、こんなにも、
    人々の心を引き付けるのでしょうね。

    桜の咲くころ。
    優しさをカタチに、願いをチカラに変えるために、
    続けてください。

    私も思い続けます。

 

 

 

 

第72話 「雪」  by しまむらかずお

 

 

 

 

 

南国高知に雪が降った。

 

珍しく、少し積もった。

 

県内のfacebookの友人たちはこぞって

 

嬉しそうに雪景色の写真をUPしてきた。

 

中でも、子どもたちと急ごしらえの小さな雪ダルマの写真は

 

その笑顔に嬉しさがはじけていた。

 

 

 

冬が来ないと春にはならない。

 

一度冷え込まないと、桜だって咲かないのだそうだ。

 

この短めの冬をちゃんと感じていようと思う。

 

 

 

この高知では、全国に先駆けての開花宣言が常である。

 

3月のうちには辺りの山々は、薄いピンク色が目立つようになる。

 

また今年も花たちは、忘れることなく春を告げてくれるに違いない。

 

 

 

雪が降ると東北を思う。

 

桜が咲くと東北を思う。

 

このところの数年、ずっとそう思う。

 

震災後に訪れたあの町のことを思う。

 

あの町の人々のことを思う。

 

行ったことのない町のことも

 

会ったこともない人たちのことも思う。

 

寒いだろうなあと思い

 

そちらの冬は長いよね、などと思う。

 

 

 

またもやあの3.11の日が近づいている。

 

5回目の「命日」を迎える沢山の人たちのことを思う。

 

あの日からずっと、私は「3.11を忘れないで」と呼びかけてきた。

 

自らも「決して忘れない」と誓ってはいる。

 

でも、ただ「忘れない」と言うだけでは何の役にも立たない。

 

けれど、「ずっと気にかけている」…

 

そんな人たちが、減らないで、増えてゆくとしたら

 

もしかしたら、あの町の方々に力を与えることになるのではないか。

 

そう思いたい。

 

 

 

あれからまもなく丸5年。

 

私たちの、被災地へのピアノ送達事業は33台を届けて昨年終了した。

 

そのあと、ずっと考えていた。

 

これから私たちは何ができるのだろうかと。

 

 

 

これまでに生まれたつながりをこれからも…。

 

それはもちろんそうありたい。

 

でもそれは、何となく個人的なつながりでしかないようにも思う。

 

「このつながりをこれからも」のフレーズは耳ざわりはいいが

 

具体性が見えず、多くの人たちへの広がり感はない。

 

 

 

どうやら私は、「大切な活動」だけに終わらないもの、

 

多くの方たちと一緒に、何かを創り出す、何かを変える、

 

そんな、いわば「運動」を目指しているようだ。

 

運動には、「文化」が大きな役割を果たすと私は思っている。

 

「それが必要だ」と叫ぶだけでは、心に響かない。残らない。

 

心が伴わないものは、単なる作業であり、その人自身の意識も変えないし

 

社会の一部さえ変化しないままに、流れていってしまう。

 

ここでいう文化とは、言葉、活字、絵、映像、劇、音楽など

 

表現…と呼んでもいい。

 

私の場合は歌である。

 

 

 

振り返れば、「被災地にピアノを」と言い始めたのも

 

私のそんな感覚がそうさせたのかもしれない。

 

「音楽や歌」は、きっといつの日か、元気や希望を育み、

 

心のつながりや一体感を作ってくれる。

 

そう信じられたからだと思う。

 

 

 

私自身の中からも歌は生れていった。

 

震災後の一週間。

 

すさまじい被害の映像が、連日流されて

 

「何かしなければ」、「でも何をしていいか分からない」。

 

しかも、「こんなに遠い町の、こんなに小さな自分」ができることなんて、

 

見つけようもなかった。

 

しかも音楽なんて、腹の足しにはならない。

 

今必要なのは、食糧、薬品、捜索の手。

 

「音楽なんて、無力」。そう思った。

 

その非力感が哀しくて悔しくてしょうがかった。

 

 

 

そんな時、「白い鳥、傷ついて…」と

 

歌が生まれてきた。

 

胸の詰まるほどの切ないメロディーだった。

 

短い歌だったが、サビには

 

「世界中の歌を集めて」「東の空へ歌を届けたい…」と歌った。

 

その終わりには、「こんなに小さな町の、こんなに小さな私からも…」と

 

結んだ。

 

涙が止まらなくなった。

 

 

 

この「forEAST」と名付けた歌は、

 

私に動き出す勇気をくれた。

 

その年の4月。小さなコンサートで、

 

「ピアノを贈りたい」とみんなに言った。

 

そして、「ピアノを贈る運動」が始まり、

 

この曲はそのテーマ曲となった。

 

 

 

それ以来、怒涛のように、各種の取り組みを進め、

 

多忙な日が続いていった。

 

一滴の会の結成、子どもPR隊の募集、支援CDの作成、

 

各地での支援コンサート、募金活動、家庭に眠るピアノの搬出、移送、調律。

 

東北訪問、贈呈先の調査、ピアノ出発式の開催。

 

そして3年目の春には「子どもミュージカル」で運動を振り返った。

 

考えつく全てを実現化していった。

 

 

 

それほどまでに、私を突き動かしたものは、

 

いったい何だったんだろう。

 

どうしてそこまで…

 

それはよく分からない。

 

正義感や善意…そんなものではないと思う。

 

ただ、「何かしないではいられない」。

 

それだけだったろうと思う。

 

 

 

このところ、少し立ち止まって考えていた。

 

大きな災害や事件・事故の被害は

 

時に人を動かすことがある。

 

当事者ではない人がまるで「我がこと」のように

 

悲しんだり、怒りを見せたり、助力を買って出たりする。

 

あの震災後はまさにそうだった。

 

この国のほとんどの人たちが「何かしなければ」と思ったに違いない。

 

そんな思いやりに満ちた雰囲気を私は確かに感じた。

 

逆に言えば、あれほどに惨(むご)いことが起こらねば

 

そんな優しさは持てないものなのだろうか、とも思ったことだった。

 

 

 

そんな思いやりや優しさは、普段から持てないものなのだろうか。

 

遠くの町ではなく、今住んでいる町ではできないことなのだろうか。

 

 

 

目を凝らせば、耳を澄ませば

 

いくらでもその対象に出会えるはずなのだ。

 

支援を必要とする人たちや、埋もれている多くの課題にも。

 

まさか、気がついていて、知らない顔をしているのではないよね。

 

いや、実はそうなのかもしれない。

 

ちゃんと動いている人も、動かない人も、動けない人も

 

それぞれに存在する。

 

「気づいたら、動く」。そんな自分でありたいと私は思う。

 

でも、一人の力は小さすぎる。

 

だから、「みんなで」と呼びかける。

 

そのことを「運動」と呼ぶのだ。

 

 

 

大震災から丸5年の翌日。

 

3月12日に800人規模の集いを開くことになった。

 

今はその準備に追われている。

 

「東の空へ歌よとどけ2016春」。

 

2時間半のこの集いには、140人を超える人たちが舞台に上がる。

 

様々な人たちが思い思いの表現で

 

「優しい気持ちを忘れないで」「みんなで手をつなぎましょう」と呼びかける。

 

音楽で、踊りで、自分の音で、自分の体で。

 

そんな人たちの組み合わせを私は作る。

 

そして、一人でも多くの人たちをその場所に誘(いざな)う。

 

それが私の「運動」なのだ。

 

 

 

もちろん私も歌で訴える。

 

忘れないで、優しい気持ち。

 

手と手をつなごうよと。

 

 

 

それらが何を生み出すか、

 

成果や成功は二の次だと思う。

 

ただ「やらずにはいられない」。

 

その思いだけで、走り回っている。

 

ぜひあなたも、その場にいてほしいと願っている。

 

きっと何かが見えて来る筈だから。

 

 

 

高知市内の雪は、たった一日で消えてしまった。

 

まるで何ごともなかったかのように。

 

3日もすれば、また別のことが気になって

 

雪の冷たさも白い景色も忘れ去られてしまう。

 

そんな気がしてならないけれど。

 

2016.1.28

 

 

 

 

 

▼エッセイへのご感想をお書きください。

(注)文章の内容がこの欄にふさわしくない場合には、掲載しない場合があります。ご了承ください。

コメント: 2
  • #2

    フェアリー (土曜日, 30 1月 2016 22:14)

    しまむらさん
    ありがとう(*^^*)

    「何かしないではいられない」
    思いはあっても、
    じゃあ何が出来るの?
    何をしたら喜んでもらえるの?

    もちろん捜索に行く事も出来ない。
    募金をしてもちゃんと届くの?

    そんな中、しまむらさんに生まれて来た歌で私達は出会い、

    ♪こんなに小さな町の
    こんなに小さな私からも

    思いをピアノという形にして届ける運動に参加する事が出来ました。
    そして、間も無く5年めを迎える今、少しずつ風化していく人々の記憶の中、
    「忘れないでいて欲しい」.という被災地の方々の願いに
    「忘れていないよ」と答えられます。

    私もこの仲間に居られる事に感謝して、心いっぱい声をかけますね。

    手と手をつなごうよ(^o^)/


  • #1

    あっぷる (木曜日, 28 1月 2016 10:24)

    真夜中に、ふと目覚め…。
    真夜中に、外の寒さを感じ…。
    真夜中に、エッセイを読んで…。

    軽いことは書けないなぁと思いながら、入力を始めました。

    2011年、3月。
    たまたま、ある会で、できたばかりの「forEAST」を聴かせてもらう機会がありました。
    そして、KAZUOさんが書いてくれている初期の思いを、リアルタイムで共有したことを思い出しました。

    あの時、「forEAST」を聴いて、締め付けられた胸が、これを書きながら、また、ギューっと締め付けられています。
    そして、それだけで終わったらいかんよねぇって話していた会話も蘇ります。

    でもでも、私にできているのは、昨日の友人とも、一昨日の友人とも、会話の中で話題にしただけ…。

    KAZUOさんの活動、運動に賛同して、3/12のかるぽーと、せめて、1/800の一人になれたらと思います。

    たくさんの方々の想いが、一つの大きな想いになりますように…。

    …2016.1.28…AM3:00…記

 

 

 

 

第71話 「私の三が日」  by しまむらかずお

 

 

 

 

 

温かいお正月だった。

 

コート不要の初詣。

 

木枯らしのない三が日。

 

もちろん雪も降らず

 

遠くの北山連山は青々としている。

 

県内の観光地では

 

名物のアイスクリンがよく売れたそうだ。

 

 

 

何だかおかしい。

 

いや、面白いという可笑しさではなく

 

変なのだ。

 

地球温暖化と言われて久しいし

 

エルニーニョの言葉も既に馴染んでいる。

 

が、やっぱりおかしい。

 

年の瀬もピンとこなかったが

 

この三が日もまるでピンと来ない。

 

昔から親しんできた「お正月」の風情が全くない。

 

 

 

従って、新年だとか、新しい1年を、などという言葉が

 

何だか空虚。

 

年賀状は沢山届いたが、めでたさも弱い。

 

各人の近況報告は嬉しいが

 

このところの年賀状は写真入りが多くなり

 

子どもや孫の写真はいっぱいあって

 

それはそれで可愛いが

 

当の知人は写っていない。

 

「オレはアンタの顔が見たいんじゃー」と叫びたくなる。

 

「来年は一緒に映った写真にしろー!」と言っておきたい。

 

印刷だけで、何の添え書きもコメントもない葉書には

 

「なんか書けよー!」と突っ込んでおきたい。

 

 

 

東京に住む長男家族は

 

15時間もかけて帰って来てくれた。

 

その兄との会話…

 

ほとんど、バイクとパソコンと家電の話だが、それがしたいのか

 

20分で来られる次男、三男の家族もなぜか総出で、泊まりに来る。

 

その数、自分たちも合わせて、総勢13人。

 

お蔭で恒例の新年会はやめにした。

 

 

 

考えてもみろ、

 

13人の寝具が要る。しかも冬仕度。

 

それを13セットも構えるこちらの身にもなってみろ

 

それを出して、並べて、干して、たたんで、しまい込むだけでも

 

往復6日もかかるわい。

 

お蔭でオレ様は書斎にマットを敷いて転がる始末。

 

「もっと、家のアルジを大事にしろー !」

 

 

 

それに、全員が毎日3食をきっちりと喰い

 

しかも孫はそれぞれ好みが違う。食べる時間も違う

 

風呂に入るのも戦争だあ。

 

3家族とも教育方針が全く違い

 

過干渉型から放任型まであって、ややこしい。

 

テレビも点けたり消したりで

 

こちとらイライラするわい。

 

 

 

居間には電気カーペットを敷いてコタツぶとんをかぶせて

 

食卓としているが、あまりに人数が多すぎて

 

オレ様の席はそのカーペットから外れてて、寒いんじゃー。

 

しかも、話題の中心は長男主導。

 

その上、訳ワカラン、マニアックな話ばかり。

 

それぞれのヨメが普段聞いてもくれないからだろう。

 

思いっ切りしゃべりまくっている。

 

各ヨメの手前、お姫様たちをあやしたり抱き上げたりして

 

その話に参加できずに夜が更ける、

 

今年の目標は、「自分の存在感を増す!」に決めたわい。

 

あー、サビシー。

 

 

 

子どもたちが大きくなるということは

 

そういうことなのだろうか。

 

家族の中心が移動する。

 

オレ様から離れて、息子たちになる。

 

その成長が嬉しい…などとは全然思えない。

 

オレはまだまだ好好爺なんかにはなれないじゃー。

 

昔と同じように、子どもたちから信頼と威厳を尊敬を一身に集めて

 

かっこいい父でいたいのだ。

 

 

 

…無理かもしれない。

 

すでに世の中の中心は彼らの世代。

 

その自覚が足りないだけなのかもしれない。

 

…そりゃあ、長時間かけて帰省するヤツらを嬉しく思うし

 

久しぶりに揃う家族たちとその賑やかさが嬉しい。

 

だから、そのための準備や毎日の風呂洗いや、もろもろの準備も嫌じゃない。

 

が、しかし、話の輪の外には放り出されたくはない。

 

…みんなと一緒にいたいよー。

 

 

 

年末からの6日間、

 

そんな日が続き

 

そしてみんな帰っていった。

 

そして今日、その片付けも終わって

 

いつもの生活に戻った。

 

今日も届いた年賀状を、静かになった居間でめくる。

 

それぞれの家族に思いを馳せる。

 

みんなそれぞれだなあ…。

 

 

 

幸せって、単純じゃないよなあ。

 

いろいろあって、いろいろ越えて

 

いろんな我儘と、いろんな我慢があって、

 

時折々の幸せがあるんだよなあ。

 

 

 

今感じられる幸せは

 

たっぷりと味わっておこうよなあ。

 

三が日は、そんな思いを残して過ぎた。

 

さ、今日から私も仕事始めだ。

 

(2016.1.5)

 

 

 

 

 

▼エッセイへのご感想をお書きください。

(注)文章の内容がこの欄にふさわしくない場合には、掲載しない場合があります。ご了承ください。

 

コメント: 8
  • #8

    カノン (火曜日, 05 1月 2016 23:39)

    「年の瀬」といい、「私の三が日」といい、行間に寂しさがありありと出てますね
    T_T

    寂しがりやの…
    しまむらさん、お正月休みも終わりましたよ。
    また、みんなでワイワイ始めましょう♪♪

  • #7

    ぴあの (火曜日, 05 1月 2016 23:30)

    今日のエッセイは、まさしく、心の叫び?
    吐き出して、少しはすっきりしましたか?(*´▽`*)

    でも、にぎやかな、幸せなお正月だったようですね。

    来年の年賀状用に、私も写った写真を用意しとこ。

  • #6

    月のうさぎ (火曜日, 05 1月 2016 23:14)

    Facebookの写真も見ましたよ。
    幸せいっぱい
    羨ましい家族像!

    島村ファミリーはみんな仲良しでいいですね。

    しまむらさんと奥さんの2人から
    今では13人*\(^o^)/*
    お正月からおめでたいお話ですね♪
    笑うかどには福来る
    笑って一年始めましょ(*^^*)

  • #5

    すうさん (火曜日, 05 1月 2016 22:59)

    なんて幸せな島ニイ。世間には結婚せずに困っている二世が沢山いるのに、みんな結婚してくれて、正月には子を連れて帰って来てくれる。これ以上の幸せはないよ!
    でもまあ、13人はチトきびしいね。私だったら帰ったあと寝込んでるかも。まあ、幸せのおつりとして、疲れもまた楽しんで!
    大丈夫、みんなお父ちゃんのファンだよ。

  • #4

    フェアリー (火曜日, 05 1月 2016 22:38)

    華やかな姫さま達に囲まれて
    幸せじゃないですか(o^^o)

    でも、まだまだ"じぃじ"になって目を細めて眺めるだけ…なんて
    ガラじゃないですよね。

    さあ
    ついグチってしまうくらい
    ゆっくり休めたみたいなんで、
    お仕事、お仕事!
    3月に向けて
    忙しくなりますよ‼︎

  • #3

    sakura (火曜日, 05 1月 2016 22:28)

    三が日、お疲れ様でした。

    家族が増えて嬉しいはずだけど、さすがに13組の寝具の準備と片付けは大変でしたね(>_<)

    その上、話のかやの外( ̄▽ ̄)
    寂し過ぎます。

    新年会やりましょう!
    みんなに囲んでもらって
    笑顔になってください(o^^o)

  • #2

    花ちゃん (火曜日, 05 1月 2016 21:15)

    幸せいっぱいの、しまむらさんの叫びですね(^ω^)!
    ところで、一家の中心は父親だなんて、そんなこと、思ったことが全くないですが、だからこそしまむらさんは、やっぱり父親だなぁって、そんな感じがしました。
    家族の中心は、子どもですよー(^ω^)
    って、きっと女の人には言われるに違いありません。
    「あなたが中心なのよ」という素振りを見せてきた、しまむらさんの奥様に、同じく他人の妻である私は、頭の下がる思いがしました。笑
    それとももう少し大きくなれば、父親が男兄弟に囲まれるようになるでしょうか。
    少し先の未来が、楽しみになりました(^ω^)
    幸せの在り方、感じ方は、同じ家族の中でも人それぞれでしょうかね。
    しまむらさん、今年も宜しくお願いします。
    会える日を楽しみに、日々頑張ります(^ω^)!!

  • #1

    あっぷる (火曜日, 05 1月 2016 20:42)

    あははっ(^^)♪

    あ、ごめんなさい(^_^;)

    エッセイ笑い初めをしてしまいました(笑)

    オレ様…主張をしてますね、KAZUOさん♪♪

    「来て嬉しい、帰って嬉しい」、幸せ時間を垣間見せてもらい、ありがとうございました(^^)♪

    ん?
    本人不在の年賀状写真の話も出てましたが、このエッセイへ誘導してくれた家族の写真に、KAZUOさんが写っていないと思ったのは、私だけかしらん(笑)

    KAZUOさん、楽しい嬉しい三が日、お疲れさまでした(^^)♪