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しまむらかずおが描くつれづれ(その14)  第66話~第70話

 

 

 

第70話 「年の瀬」  by しまむらかずお

 

 

 

 

 

今日は大晦日。

 

例年よりもずっと暖かくて全然ピンとこないが、

 

まもなく紅白歌合戦が始まるので

 

やはり大晦日なのだ。

 

 

 

半年ぶりに東京の息子たちが帰省してくるので

 

我が家では年賀状書きと並行して

 

その準備にと

 

掃除や片づけに尻を追われてきた。

 

まさに年の瀬の気ぜわしい数日だった。

 

 

 

もう少しで新年。

 

それはそうなのだが、やっぱりピンと来ない。

 

初詣にも親戚の寄り合いにも出かける予定だが

 

「あけましておめどう」の言葉に

 

どれほどの実感が伴うのか、やや不安である。

 

 

 

今年1年を振り返ることも

 

新年の抱負を述べることも

 

いつになく、何となく面倒くさい。

 

困ったもんだ。

 

それほどに新鮮味のない年の瀬である。

 

 

 

それは歳を喰っちまったからなのだろうか。

 

ん…それもある。

 

お年玉ももらえないし、晴れ着もないし、

 

きらきら輝く新春の陽射しがふりそそぐ…

 

そんなお正月の気分は、しばらく味わってはいない。

 

はしゃぐ姫たちを尻目に

 

気にしているのは正月肥りぐらいである。

 

それはそれで幸せなことなのだが

 

困ったもんだ。

 

 

 

とはいえ、やることはいっぱいある。

 

正月早々に動き出さなければならないこともいっぱいある。

 

やりたいことと、やらねばならないことは紙一重。

 

どうせやるなら嬉しくやりたいものだ。

 

久しぶりに初日の出でも見に行って

 

心を引き締めつつ

 

やる気や希望を奮い起こしてみましょうか。

 

 

 

動き出すのに「よいしょっ」と声の出る今日この頃。

 

新しいものにもうとくなった自分に喝を入れて、

 

ちょっと遠くの景色を見て

 

今の足元を見てみよう。

 

 

 

正月を迎えて数日後に

 

もう一度このエッセイの続きを書こうと思う。

 

そうすると自分の心情変化が自分で分かるかも。

 

まもなく新年。

 

周りの人たちにもいいお正月が来ますように。

 

 

 

今年もいっぱいお世話になりました。

 

来年もどうぞよろしくお願いします。

 

(2015.12.31)

 

 

 

 

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(注)文章の内容がこの欄にふさわしくない場合には、掲載しない場合があります。ご了承ください。

コメント: 5
  • #5

    ムーン (日曜日, 03 1月 2016 10:58)

    「明日という字は、明るい日と書くのね〜♪」

    しまむらさんのエッセイで、「明日の漢字には日と月がある」って、書いてたことがあるような気がします。

    年が明けて、綺麗な太陽とお月様が続いています。
    遠く離れた人も、同じモノを見上げてるんだなぁ思うと、つながりを感じられます。

    さて、年の瀬の大みそかが終わっての明日はお正月でした。
    しまむらさんのエッセイを読んで、「そうだよなぁ、自分で、ときめくモノを探し直してみよう☆」
    って、改めて思いました。

    さてさて、しまむらさんの、後編のようなエッセイ、いつ登場するのか、楽しみにしています。

  • #4

    sakura (金曜日, 01 1月 2016 00:14)

    明けましたよ。
    おめでとうございます(*^^*)

    初日の出に、初詣、
    新しいのは気持ちがいいですね。

    新しいエッセイも楽しみにしてます。今年最初にKAZUOさんの心に響くものは何かな?

  • #3

    ぴあの (木曜日, 31 12月 2015 23:54)

    毎年、大みそかの日の夜には、車で5分ほどの実家に一人で帰ります。
    妻でもなく、母でもなく、娘に戻って。
    特に、何をするでもなく、何を話すでもなく、1~2時間だけ。

    でも、今日は、昔してくれてたように、マニキュアを塗ってくれました。
    不器用な私はいつもお正月だけ、母に塗ってもらってたのです。

    今、娘と夫がくつろいでいる私の家に戻り、
    このエッセイに気がついて、
    ほんと、ピンと来ない年の瀬ですね、なんて思いながら、
    ふと、ピンクの指先を見て。

    いつもと変わらない大みそかを迎えることができたな、と
    小さな幸せをかみしめつつ、
    今の私を、明るくなった、楽しそう、と母が言ってくれるのは、
    しまむらさんのおかげと、感謝しながら、
    今年を終えようと思います。

    楽しいこと、いっぱい、ありがとうございました。
    いろんなことを教えてくださって、ありがとうございました。
    来年も、楽しみにしてます。



  • #2

    フェアリー (木曜日, 31 12月 2015 23:39)

    本当に暖かくて"年の瀬"って感じがしませんよね。

    今年いっぱい頑張って来たんだから、マッタリ正月もいいんじゃないですか?

    年が明けたら
    きっとまた走り出すと思いますから(*^^*)

    あ、もうすぐ年が明けます。
    何が待ってるかな?
    どんな出会いがあるかな?
    楽しみな 2016年もよろしくお願いします♪

    でも、正月太りはちょっといただけないかな(o^^o)

  • #1

    あっぷる (木曜日, 31 12月 2015 20:18)

    Facebook投稿しよっかなぁと思って持った、手のひらのスマホの中に、KAZUOさんのエッセイが飛び込んできました(^^)♪

    で、KAZUOさんのエッセイを読みながら、改めて、今年のいろいろを振り返りました。
    で、KAZUOさんや、KAZUOさんの周りの方々にも、改めて感謝を感じながら、なんてことないコメントをしたためています。

    今年もいろいろ楽しませていただき、ありがとうございました♪♪
    来年も、KAZUOさんの中から繰り出す世界を楽しみにしています♪♪

 

 

第69話 「祈り」  by しまむらかずお

 

 

いいものを見せてもらった。

目を閉じると先ほどのステージが浮かんでくる。

スガ・ジャズダンス・スタジオの公演

「70年の祈り~幸福の連鎖~」

本当にいい舞台だった。

 

「70年…」とは、無論、戦後70年のこと。

予科練の兵士だった一人の老人の回顧録のスタイルをとったストーリーで

戦争さなかの記録映像を舞台いっぱいに映し出す中で

魂宿る群舞やソロが展開される。

音楽、映像、照明、そしてダンス、それらが見事に組み合わされて

過ちを繰り返さないとの「祈り」と「決意」に満ちた舞台だった。

 

「あの時、もっと声を上げていれば…」との

後悔に満ちた老いた元兵士の述懐は、

「おかしいぞ」と思いつつも、モノ言わぬ現代の人々への

切なくなるほどの警鐘と受け取った。

「戦争がまたもや近づいている」との感覚があるにも関わらず

声を上げない大衆へのいら立ちさえ感じさせた。

そこから来る「未来への祈り」だった。

まさに同感である。

この時期にこれに取り組まれた「スガ」の皆さんの思いと表現に

大きな拍手を贈りたい。

 

この舞台の始まる3時間前。

私は県立美術館にいた。

そこでは「高知と戦争」と題した写真展が行われていた。

「高知草の家」の岡村啓佐氏が20年かがりで撮られた写真の数々。

731部隊のこと、沖縄戦のこと、高知の被爆者のこと、

岡村氏が実際に中国や沖縄や県内を巡り

彼のカメラと感性で撮られた写真が

細かな説明と被写体となった人々の肉声の記録が添えられている。

しかも実に淡々と。

モノクロームの写真たちは、

切り取られた「時」と「事実」を静かに語っていた。

 

展示順に、それらの写真を覗き込むかのように見ていった。

古びたコンクリートや崩れかけた煉瓦の建物。

生々しい実験道具や惨たらしい過去の道具たち。

中国の捕虜たちを「マルタ」と呼んで、

信じられないような人体実験が行われた証拠の写真たち。

「戦争だったんだもの、しょうがないじゃない」とは

とても言えない、非人道への怒りがこみ上げる。

 

壁面が変わって、戦で散った人々の写真と肖像画が延々と並ぶ。

みんな高知の十代、二十代の若者たちの顔である。

出身の町と亡くなった場所と年齢だけが記されている。

モノ言えぬ写真たちだが、その累々たる「遺影」の連続が

戦争そのものへの虚しさと悔しさを、如実に語っている。

 

次の壁面には、高知の被爆者たちの写真が並んでいる。

広島、長崎の爆心の近くにいて被爆した、

県内在住の方たちへのインタビュー写真である。

深い皺に刻まれた被爆者としての人生を感じる写真である。

「放射能がうつる」と差別され、ひたすらにそれを隠した歴史や、

結婚、出産の際の不安と心配が胸に痛い。

この高知にこれほど多くの「ヒバクシャ」がいたことを初めて知った。

原爆が急にその距離感を縮めてきた感じがした。

 

最後の壁面には、カラー写真が隙間なく掲示されている。

それらは「フクシマ」の写真である。

やはり岡村氏が実際に現地を訪れて切り取った風景である。

それぞれの写真には何のコメントもなかったが

その写真群の真ん中に張られた白いボードの一文が胸に残った。

それは、映画監督の伊丹十三の父、伊丹万作の言葉だった。

 

それは、「戦争責任者の問題」として、

昭和46年に発表された文の抜粋だった。

…「だまされていた」と言って平気でいられる国民なら、

おそらく今後も何度でもだまされるだろう。

いや、現在でもすでに別の嘘によって

だまされ始めているに違いないのである…。

 

44年も前の文章である。

それが哀しいことに、今の時代にピタリとはまる気がする。

今のこの時期は、後に「戦前」と呼ばれる時期となっているのだろうか。

 

そんなことを思いながら、すべての写真を見終わった頃、

その岡村氏が話しかけて来てくれた。

岡村氏とは、今年の春の「3.11を忘れない集会」で

「福島の今」と題して、ご講演をお願いした間柄である。

私はつい、こんなことを口にした。

 

…自分が若い頃、

「当時の人たちはどうして戦争を止められなかったんだろう」

「僕らは絶対、止めてみせる」。そんなことを言っていたことがある。

でも、何だか今はズルズルと戦争への道に近づいている気がするのに、

止められないかもしれない…

そんなことを言った。

 

さらに続けて、こうも言った。

…おかしいと思いつつも、声が上がらない。

デモにも参加せず、投票にも行かない。

聞く耳を持たない政治がまかり通る今、

何が正しいのかが、見えなくなって来ているのだろうか。

過去をちゃんと振り返ることができてないと、

道を間違って、また繰り返すよね…と

 

岡村氏は、こんな言葉を返してくれた。

…「正」しいという文字は、「一度、止める」と書くんです。

一度止めて、振り返って、しっかりと見ることが大事です…。

 

20年かけて、この戦争というものに取り組んで来られた彼の言葉は

実に重く胸に響いた。

自分も何かしなくては…そう思った。

その時、私は、なぜか東日本大震災のことを思い浮かべた。

あの日、一人の無力さと、歌の非力さを痛感しつつ、

それでも何かしなければと始めた、「ピアノを贈る運動」。

それに続く「3.11を忘れない」活動…

「やっぱり、やめたらいかんですよねえ」とつぶやいた。

「もちろんですよ、ぜひ、続けてください」と彼は言った。

「頑張ります」「ありがとうございました」と頭を下げて展示場を後にした。

 

「んー」と呻きつつ、美術館前の長い回廊を歩いた。

いつの間にか、私の手は力こぶをつくっていた。

雨はいつの間にか激しくなっていた。

 

満席となった「スガ」の公演の最後には

「レインボー・チルドレン」の子どもたちが舞台に登場した。

全員が一列になって両手をつなぎ、こう表現した。

優しさは優しさの連鎖を生み、憎しみは憎しみを連鎖させる。

一人ひとりの優しい気持ちと行動が幸福の連鎖を生む。

そして、それが戦のない世の中を創るのだ、と。

 

その言葉だけでは、やや教科書的な気もするが、

それを子どもたちの声と動きで見せてくれたので、

その通りだなよあと、腑に落ちた。

 

いつの時代でも、思想は文化を伴ってこそ

はじめて、人の心に届く。

改めて、そう思った。

  (2015.12.10)

 


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コメント: 3
  • #3

    花ちゃん (金曜日, 11 12月 2015 09:58)

    私は、戦争を知らなさすぎて、
    過去のことだし、他人事です。
    近付いていると言われても、
    やっぱりどこか、他人事です。
    でも、この文章を読んで始めて、
    「知る」ことから始めなければ。
    と、思いました。
    しまむらさんの体験した一日、
    伝えてくれてありがとうございます。
    目先では、30年以内に70%以上の確率で、
    高知も被災地になります。
    人災も、天災も。
    身近なこと、己のこと、子どものこと。
    として、考えるべきだなと思いました。

  • #2

    フェアリー (金曜日, 11 12月 2015 06:28)

    胸を締め付けられる思いに駆られました。

    「戦争を知らない子ども達」を堂々と歌っていた自分。
    知らないとしていた。いや
    知ろうとしなかった自分。

    終わった事としていた。

    でも、それは「だまされていた」
    と人のせいにしているのと同じ事。

    「正」しいという字は、「一度止める」んです。

    というフレーズが心に残りました。
    「KY」という言葉が流行って、空気を読めないとバカにされる風潮があるけれど、
    ちゃんと自分で確かめる。
    正しいと思ったら、口にする。
    出来る事から行動に移す。

    大切な事を教えてもらいました。

    3.11を忘れない集会
    続けてください。

    もっと自分の「祈り」が確かなものになった今、新たな気持ちで行動出来ます。



  • #1

    レインボー (金曜日, 11 12月 2015 05:41)

    しまむらさんにお会いできなくても、エッセイで、思いが、想いが伝わり、いろいろ考えさせられます。
    自分自身の個人的な悩みエネルギーを、公的なことへの意識エネルギーへ転換しなくてはと、反省もさせられました。
    しまむらさんの、ますますのご発展ご活躍を祈念しています。

 

 

 

第68話 「筆山」  by しまむらかずお

 

 

先日、本当に久しぶりに筆山に登った。

登った、と言っても、100メートルちょっとの山。

しかも中腹、しかも車で。

 

高知市の中心部に、そびえる訳でもなく、なだらかに

さほどにその存在を主張する訳でもないこの山は

なんとなく親しみの持てる山である。

そのふもとには、鏡川が西から東へとやや直線的に流れている。

 

幼い頃、この川で泳いでいた私。

当時から水はきれいだった。

今はない「南国橋」から飛び込んだりして遊んだ。

河川敷を埋め立てた南岸には、「こどもの国」があって、

お汽車やヒコーキ、小さなジェット・コースター、

川を往復するロープ・ウエイもあって、幼い思い出が詰まっている。

高校生の夏休みには、そこでバイトもした。

それらはすっかりなくなって、今はグラウンドと市営プールになっている。

 

一方、北岸の河川敷には、年に一度はサーカスがやって来て

その大きなテントの頂上に楽しげな旗を立てた。

子ども心にワクワクしたものだった。

今は「みどりの広場」となっている。

 

その北岸からの眺めが「筆山」の名のいわれである。

北岸の高い堤の内側に「山翠園ホテル」があるが

この場所は、土佐の城主だった山内家のお屋敷の跡だ。

そこからは筆山の全景がよく見える。

鏡川の名のごとく、山の姿が川面に美しく映る。

東側がふっくらと丸味を帯び、その端は細くとがり、

西からつながるまっすぐな山並みと合わせて

一本の筆を横から見るような景色なのだ。

そこからそう呼ばれるようになった。

 

そのように、「筆山」というのは実は愛称。

本名は「真如寺山」という。

国土地理院の地図にもそう表記されている。

真如寺、これは曹洞宗の寺院であり、

これもまた、山内家が領主を努めていた静岡の掛川から分院し、

同家の菩提寺としてこの山に寺院や墓所を置いていたことによるものだ。

 

そんな筆山には私なりの思い出がある。

22歳から青少年の仕事に携わった私は

5月5日の子どもの日には、毎年その山の上にいた。

高知市子どもまつりの会場だったのだ。

市内の子ども会の子どもたちが指導者に連れられて

朝早くからこの山を登ってくる。

その数、約2000人。

ぼうけんハイキングや工作コーナー、紙芝居や手品コーナー、

まるっきり手づくりのお祭りである。

最後には頂上の展望台から、大騒ぎの餅まきも行われた。

 

その開会式・閉会式が私の出番だった。

当時、「シマニイ」と呼ばれていた若~い私は

イッパシのゲームリーダーとして高い台の上から子どもたちに呼びかけた。

「みんなー、元気ですかー」

「ハーイ!」と大きな声。

「この手が見えますかー」

「はーい」

「みんなで僕とジャンケンをしましょー!」

「はーい」

「大きな声で、ジャン・ケン・ポン!」

「勝った人ー」

「ワー!」

「負けた人」

「ワー!」

「じゃあねえ、今度はね、いっぱいジャンケンをして、いくつ勝ったか数えましょう」

「はーい」

「じゃ、行くよ…ジャン・ケン・ポン!」

 

私は大きなジェスチャーで、こぶしを突き出す。

その度に歓声が上がる。

実は、ずっとこぶし…つまり、「グー」ばっかり出すのだ。

子どもたちもだんだんとそれに気がついてきて

嬉しそうに「パー」を出して、また歓声を上げる。

全員がパーばっかりになった頃、私は「チョキ」を出す。

子どもたちの声が「エーッ」とか、「ギャー」とかに変わる。

そして大笑いする。

なんちゃあじゃないけれど、実に楽しい。

 

筆山を見るたびにその光景を思い出す。

「2000人との全員ジャンケン」、

それは私の自慢話のひとつである。

 

そんな筆山の中腹に古い二階建ての平べったい建物がある。

コンクリートの壁には今も「筆山ユースホステル」の看板がかかっている。

でも、40年も前から営業していない。

その建物を「音楽の練習場にしないか」と

当時の社会教育課長から話があった。もう30年も前のことである。

その頃、既に私は「ぐうぴいぱあ」のバンドを解散していて、

その必要はなくなっていたが、

練習場の確保に苦労してきた歴史を彼は知っていて、

そんな話を持ちかけてくれたのだった。

早速、その施設を見せてもらって、「ぜひ」とのサインを出した。

私たちのような大きな音を出す音楽グループのために、

言わば後輩たちのために、と思ったのだった。

 

しかし、条件があった。

「館は貸すが、楽器類は自分たちで」とのこと。

ま、それは当然とはいえ、

毎回、重たいアンプや大きなドラムセットなど、運んで来る訳にはいかない。

まして、車を持たない高校生たちは、チャリンコこいで上がって来る。

私は意を決して、「利用者協議会」をこしらえて

その名前で100万円の借金をして、それらの大型楽器類や音響セットを購入。

ゴムマットつきのカーペットも敷き詰めた。

公害測定車で騒音レベルも測ってOKをもらい、

「楽器使用料」を設定して、貸し出しが始まった。

 

その利用率は予想をはるかに上回り、使われない日はほとんどなく、

一回1000円程度の利用料だったが、たった半年で借金は完済できた。

やっぱり求められる施設だったのだ。

その後、練習場を全部屋に拡大し、陶芸用の窯まで設置して、

文化製作のメッカとなっていった。

それが今の「筆山文化会館」である。

 

その文化会館が耐震面での問題から、廃止が検討されることとなり、

その「利用者協議会」のみんなが市との交渉中とのことで

その名誉会長と呼ばれる私にもお話があった。

そんな彼らは、ジャンルも規模も違う音楽グループで

めったに合同することはないのだが

自分たちの製作場所を失うことはグループの存亡がかかること。

何度も会議が持たれ、市からは「避難所を兼ねた施設に」との

前向きな回答を引き出したと聞く。

高知の音楽シーンを支える各種のグループは

この文化会館の存在意義と、知名度をさらに上げてゆかねばと

この日、初の「筆山文化祭」を開催したのだった。

 

正面玄関に手作り感いっぱいの野外ステージが組まれ、

周りには飲み物や食べ物のテントが並ぶ。

午前中から5時間にもわたってカラフルなグループが次々と登場し

ずっと音楽が流れる素敵な祭りとなった。

彼らの頑張りに大きな拍手を贈りたい。

 

私はその閉会間際の30分。

ほかのグループとは違って、たった一人でその舞台に立った。

下り坂のお天気を気にしながらも、沢山の人たちが、

祭りの終わりを楽しむかのように、ステージを取り囲んでくれた。

忙しいこれまでを支えたスタッフたちと一緒に合唱もした。

最後の曲は、この会館ができる以前の曲、「RYOMAサンバ」。

懐かしく、楽しく、思いっ切り歌った。

みんなの揃った手拍子が嬉しかった。

 

またひとつ、「筆山の思い出」が増えた日になった。

2015.11.25

 

 


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コメント: 3
  • #3

    フェアリー (水曜日, 25 11月 2015 23:43)

    筆山には、たくさんの思い出がありますね。
    泣いたり、笑ったり、大きな自信をもらったり、私にとっては宝の山です。

    「酒文化」ばかりが有名な高知で、しまむらさんがそれだけ貢献されて出来た「筆山文化会館」
    耐震の部分をクリアして
    高知の「音楽文化」を育ててくださいよ。

    ね!名誉会長 (^_−)−☆

    音楽をしている方達のみならず、人と出逢う場、未来を語らう場として、存続できたらいなぁ♪

  • #2

    あっぷる (水曜日, 25 11月 2015 20:27)

    「子どもの国」で、高校生の時にバイト?
    ○歳年下の私は、遊びに行ったかも〜(笑)

    「2000人との全員ジャンケン」、
    オレンジホールの数より多いですね〜♪♪

    ユースホステルでの楽器準備の経過、「利用者協議会」「公害測定車」、へーッボタンいっぱい(笑)

    楽しく、そうなんだぁと、読み進むうちに、頭の中に、RYOMAサンバが流れてきましたぁ(笑)
    「青い空〜♪♪」とはいかなくても、降らなくて良かったですね(^^)

    KAZUOさん、お疲れ様でした(^^)





  • #1

    ぴあの (水曜日, 25 11月 2015 12:50)

    高知市内にずっと住みながら、初めての筆山。
    筆山文化会館という施設があることも、はじめて知りました。
    でも、みんなに必要とされている場所だということが、
    とっても良く伝わる、筆山文化祭でした。
    駐車場で、入り口で、売店で、セットの周りで。
    スタッフさんはもちろん、お客さんもみんな笑顔でした。
    その中で、歌ってるしまむらさんの笑顔も素敵でしたよ。

 

 

 

第67話 「タイジョー」  by しまむらかずお

 

 

「秋のリサイタル」を終えて、6日が経った。

何か書かねばと思いつつ、6日が過ぎた。

初の円形舞台、Love Songの多用など、

私なりに工夫して臨んだリサイタル。

「終わったあ」というほどの大きな実感はまだない。

「お客さんにとって、どうだったんだろう」…。

いつものことながら、ワーワー、キャーキャーと群れてくれる筈もなく、

その答えはそれほどには見えない。

終了後の「お見送り」の際、

一様に「良かった」って言ってくれはするけれど、

やっぱり気にかかる。

 

昨日の夜。

あの日の「音」が手に入ったので

例によって深夜のドライブで聞いてみた。

まっ暗い海沿いの道をノンストップで走りながら、

ボリウムをいっぱいにしてあの日の音を聞いた。

 

少し安心した。

舞台からはそれほどに聞こえない笑い声や拍手が

しっかりと入っている。

「良かった」…楽しんでもらっているようだ。

演奏や歌のよしあしよりも、そちらのほうが気になる。

そんなミュージシャン、どやねん!

それにしても満席のお客様。

本当にありがとうございます。

まだ「映像」は見ていませんが、

それも確認しながら、

さらにいいライブを作っていきたいと思います。

懲りずにまたぜひお越しください。

 

リサイタルが終わって2日後だったか、

夜、ひどい下痢に悩まされた。

腹部に張りを感じ、おへその横は赤く腫れていて、

手で押して探ってみると何となくコリコリしたものを感じる。

しかも、ググっと時折痛みが走る。

その兆候はリサイタルの2日前あたりから続いていた。

 

「もしかして」とか、「ひょっとしたら」と、思わないでもないが、

人間って妙なもので、

「そんなのどうってことない」とか「大したことはあるまい」などと、

「自分だけは大丈夫」と、何の根拠もなく、そう思いたいもののようだ。

私も例外なく、その一人。

 

赤い腫れものは、虫刺され。

腹の痛みは、単なる寝違いの筋肉痛…。

そんなふうに捉えていた。

 

しかし、下痢を伴ってしまったので

「こりゃあ、いかん」と、病院に行くことにした。

病院嫌いの私にしては、「大決断」である。

病院に行ったはいいけれど、

そこの看板を見ながら、いったいナニ科? と困ってしまった。

そこには皮膚科はない。

皮膚の下が心配だったので、

「消火器、ないか?」…

もとい、「消化器内科」を選んだ。

 

「問診票」に素直に今の状態を書いて、体温と血圧を計り、

おとなしく「患者さん」になった。

シャツをめくっておへその横を診てみてもらった。

若い男性医者は、ひと目見てこう言った。

「タイジョー・ホーシン」ですねえ。

「はあ~~?」。

一塁側の審判にタテついた監督が命じられるあの「退場方針?」

…違うよね。

「薬、出しときますから」と、あっさりと診察は終わった。

何だか、気が抜けたのか急に喉が渇いた。

薬屋さんに頼んでおいて、コーヒーを飲んだ。

 

「タイジョー・ホーシン」をネットで検索してみた。

便利な世の中である。

それによると、要は「水ぼうそう」で

漢字で書くと「帯状疱疹」。

子どもの頃、一度直しても、体内にはそのウイルスが潜んでいて、

その免疫力が落ちた頃に発症するとのこと。

50歳を過ぎた人によく現れる。

疲れから来ることが多いとのこと。

今の私にピッタリ!

で、今は、6千円も払った薬を欠かさず飲んでいるところ。

 

しかし、それでも疑問は残っている。

じゃあ、あの下痢はいったいナニ?

その日のことをツラツラと思い出してみた。

その日は、月に一度のしまむら一族が集う日で

私のお誕生祝いもしてもらった。

そのためにと、早朝にスーパーに出かけ、

頼んであった東北物産を4ケースも買い込んで来て

みんなで美味しく食べた。

 

その夜、このところ始めた、ウイスキーの水割りを作って

冷蔵庫からその残り物を出してきて喰った。

エート、お刺身と、貝…

そうか! あの貝が原因か!

クッソーと思ったが、もしもそれが当たらなかったら

病院にまでは行ってない。

「タイジョー…」は、何よりも早期治療が必要だとのこと。

ひどくなると神経痛の後遺症が残るそうだ。

その貝に感謝しよう貝?(笑)

 

皆さんも疲れと貝にご注意を。

これにて退場!…

チャンチャン。

  (2015.10.29)

 


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コメント: 4
  • #4

    土佐のおんちゃん (木曜日, 05 11月 2015 14:21)

    「タイジョーブ」(大丈夫)!!

    お体を大切に・・・!

  • #3

    フェアリー (金曜日, 30 10月 2015 06:39)

    「タイジョー」のオチは
    帯状疱疹ですか⁉︎

    笑ってる場合じゃないですよ。
    リサイタルの時のパンフレットを見たら、11月は奈良に、愛媛に、それから、確か演劇コンクールの審査員もあって、
    月末もライブ⁉︎
    もっともっと忙しくなりますよね。

    今のうちにしっかり
    休養を取ってくださいね。

    KAZUO 要ります!
    のファンの為にも(o^^o)

  • #2

    sakura (金曜日, 30 10月 2015 00:08)

    チャンチャンじゃないですよ!

    素敵なリサイタルの準備、本当に大変だったんですね。
    私は、ただ ただ
    楽しみにして、大満足してました♪

    でも曲作り、舞台作り、演出、
    そして当然 生ライブの主役。

    さすがの
    しまむらさんでも、毎年お誕生日は来てますから、
    お身体を大事にしてくださいね。

    これからも楽しみにしています。ライブステージからの「タイジョー」は無しですよ(*^^*)

  • #1

    ムーン (木曜日, 29 10月 2015 15:09)

    一瞬、タイジュー…体重に見えて、別の意味でドキッとしてしまいました(^_^;)
    タイジヨーホウシン…、しまむらさん、お大事になさってくださいね(*^^*)

 

 

 

第66話 「三日前」  by しまむらかずお

 

 

「しまむらかずお&カノンズSP秋のリサイタル2015

ついに、三日前になった。

今回は、ぐうたらな私にしては珍しく、

随分前から企画は進み、様々な準備やプログラムなども

実に早目に終えている。

ミョーな感覚だ。

 

いつもなら、三日前の今頃は

「あっ、あれ、やってない」とか、「あっ、あれ、言っておかないと」とか

やや焦りぎみに何かと慌てて動いている時期。

今回は何だかゆったりしていて、物足りない。

いわゆる高揚感がまるでないのだ。

 

「あとは、やるだけ」…

そんなの実は面白くない。

ゆったりとその日を待つ…

そんな静かな時間を楽しめばいいのに

それが楽しめない。

困った性分だ。ほんとに。

 

とはいえ、頭の中は当日のシュミレーションでいっぱいだ。

このところ、ずーっと、舞台やフロアや入場口の景色まで

頭の中に浮かんで来ているのだが、

それらはすべて当日にならないと出来ないものばかり。

そんなこんなで、既にやや疲れている。

「待ち過ぎる」というのも、しんどいものがある。

 

昨日、来場者数のチェックがなされた。

すでに満席。

初めての円形劇場にしつらえたせいもあって、

そのキャパが普段より50席ほど少なくなっている。

まだ返事はないが駆けつけて来てくれる方の席や、

「当日券」用の席を、どうすれば確保できるか思案中だが、

これもまた、当日のセットが完了し、

椅子を並べてみるまで分からないもの。

これもまた、「当日待ち」なのだ。

 

演奏する楽曲についても

夏のうちに決まっていて、

淡々と練習は進んでいる。

明日が最終練習。

結成7年目を迎えた我がバンドのメンバーたちは、

手慣れたものの多い楽曲をさらに美しく演奏してくれている。

私はその音の波の中を自由に泳がせてもらっている。

実にいい感じである。

 

そんな中で、唯一緊張するのが新曲である。

今回のテーマ曲「LIFE on LIVE」がそれである。

何ごとでも「初めて」は緊張する。

どう歌うか、どう聞かせるか、

それは全員の緊張を呼ぶ。

しかも、それはなんと1曲目。

まだ温まっていない会場での第一声。

いったいどんなオープニングになるのだろう。

当日、そこに立ってみないと分からない。

これもまた三日前の憂鬱である。

 

「〇日前」で思い出すのは、

2002年の高知国体のこと。

「ひとりひとやく運動」と名付けた市民運動を担当していた私は

この「〇日前」のカウント・ダウンのイベントを様々に企画して、

その盛り上げを図ったことがあった。

 

国体まで1000日を切った日。

…確か、大晦日まであと三日と迫る日だった。

「999(スリーナイン)フェスタ」と称して、

はりまや橋のデンテツ・ターミナルビルの壁面に

3ケタの電動表示の大きな「残歴盤」を新設して、その点灯式を行った。

その後、「500日前大集合」のイベントを、オレンジホールで、

新しく結成された市民団体の方々で満席で迎えることが出来た。

さらに、100日前には、

出来たばかりの「かるぽーと」で「V100フェスタ」を賑やかに開催した。

これには、当時の我が「劇団Kちゃんねる」の若い役者たちが、

舞台設営から、プラカード持ち、国体ユニフォームのモデルまで努めてくれた。

場内の大きな盛り上がりに、国体の成功を確信した日だった。

 

さらにもうひとつ。

ついに国体の夏季大会が始まった日。

中心商店街の「ひろめ市場」や周辺の公園で開催したのが

「ゼロ・カウント・フェスタ」。

これは来県の選手団へのウェルカム・イベントだった。

その時、合同で開催したのが「高知街ラ・ラ・ラ音楽祭」。

これは13年経った今もずっと続けられている。

嬉しい限りだ。

 

いずれにしても、この「〇日前」というのは、

なぜか人々の参加意欲を刺激するようだ。

そんな感じがする。

…にも関わらず、私の「三日前」のこの静けさ。

なんでやねん。

 

早く10月23日が来てくれないかなあ。

みんなに最高の時間をプレゼントしたいと、

手ぐすね引いてお待ちしていますから。

 

これが終わったら大阪に行きたいなあ。

お笑いを見に、「千日前」へ。

…なーんてね。

2015.10.20

 


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コメント: 7
  • #7

    月のうさぎ (日曜日, 25 10月 2015 10:33)

    LIFE ON LIVE
    ありがとうございました*\(^o^)/*

    とっても素敵でした。
    休憩無しだったから
    一本の映画の中にドップリ入ってたみたいに楽しみました♪

    まだ 照明の無い中、メンバーの皆さんが静かに入って来て
    なんか‥しゃべっちゃいけない
    何かが始まる
    ちょっと緊張感

    そして、殆どアカペラでの
    しまむらさんの歌声がホールに響き、時折 ピアノが戯れてくる
    みたいな…
    こんなセクシーなのは
    初めてじゃないですか?

    かと思えば、大笑いするトークもするし、会場のみんなで懐かしい歌を歌えるし、
    撮影OKタイム なんて
    お客様参加型だし、

    最後の方では、幻想的な照明の中
    感動の “singer”

    大満足です(o^^o)
    やっぱり LIVEはいいですね♪
    これからも 楽しみにしています。

  • #6

    ムーン (金曜日, 23 10月 2015 05:32)

    0日前(笑)

    Facebook、仕込み中の写真を見ました(^^)

    お疲れさまでした(^^)

    ここで、どんな波の音が奏でられ、どんな色の風景になるんでしょうか♪♪

    また、Facebookアップを楽しみにしています♪♪

  • #5

    土佐のおんちゃん (金曜日, 23 10月 2015 01:29)

     前日です!

     明日の本番に備えて、仕事中にもかかわらず、かずおちゃんDVDをたっぷりと明日行くメンバーで視聴しました(四名)。

     これにて前日の心構えよし、気合よし、あとは体力温存のためにぐっすり寝ます。

    ・・・おやすみなさい・・・








  • #4

    あっぷる (水曜日, 21 10月 2015 22:42)

    二日前♪♪

    コンサート当日を、楽しみにしています(*^^*)

  • #3

    フェアリー (水曜日, 21 10月 2015 22:29)

    二日前
    になりましたね(*^^*)

    それにしても、島村さんが過去に手掛けて来たいろいろな事は本当に壮大な企画で、ビックリします。
    1000日も前から、仕上がりを想像して、まさに創造を重ねて、関わる人々を わくわく ドキドキさせて、一般ピープルには想像が付かない程の感動の幕が開く。

    ちょっと言い過ぎ?

    でも、私には想像出来ない世界をいつも見せてもらってます(o^^o)

    さぁ 明後日の
    LIFE ON LINE ではどんなステージになるのかな?
    楽しみです♪

  • #2

    ぴあの (火曜日, 20 10月 2015 22:52)

    早く23日にならないかなあ、とワクワクしながら待ってます。
    あと三日。

    最高の時間を、いただきに行きます。

  • #1

    ムーン (火曜日, 20 10月 2015 22:30)

    音の波の中を自由に泳ぐ…素敵な表現ですね(^^)

    ハーバーでの、しまむらさんの立ち姿も素敵(^^)

    三日後、ラヴィータでも、カッコよく登場されるんでしょうね♪♪

    三日後、円形舞台の上で、自由に泳いでくださいね〜〜♪♪