エッセイ KAZUOは要りませんか?

しまむらかずおが描くつれづれ(その9)  第41話~第45話

41-45 その9
45-腹


第45話 「腹」      by しまむらかずお

  

遅目の夕食を済ませて、今は腹いっぱい。

ベルトから上がつかえて、息が苦しい。

それほど逞しくもない体に腹部だけ円形に飛び出して

まるで幼児体型。そんな感じ。

可愛くもない。困ったものだ。

 

元来、十二指腸が変形していて

いわば胃の出口がギューと握られたように塞がっている。

だから食べた後は一時的にこうなるのだ。

二十代のストレスが今もこのような苦しみを呼んでいる。

 

…ずっと、そのように解釈してきたが

なんだかこのところ、食後、数時間経っても

その腹の出が収まらない。

もしかして肥満?

ありえなーい。

 

慌てて、風呂場に行き

久しぶりに体重計に乗ってみた。

黒々としたデジタル数字は、なんと、59.9。

ヤバーイ!

着衣のままとはいえ、人生初の60キロ超え直近!

まさかまさかの結果である。

壊れてはいないかなどと疑いつつも、

トイレに行って小をなし

再度乗った。…59.4。

いかんいかん、これはまずいぞ。

 

自分の体型にはこれまでまったく関心を払わずにいたワタシ。

このところ、大きなストレスもなく、

毎日ご飯がおいしく食べられて

食後はテレビを見つつ、うたた寝をして、

なんて幸せな生活。

運動といえば、「被災地にピアノを贈る運動」ぐらい。

それも終えて、体を使うことも減って、

要はグータラしていた。

その結果、ま、当然といえばトーゼンだが。

どないしょー。

 

昔から、「貫禄」からは程遠く

貫は重さで、録は給料、その両方ともないからさ…。

そう言って、細めの体を言い訳していたワタシ。

それが今ごろになって、ドーユーコト?

シンチンタイシャが鈍くなる、それってローカ?

ヤバイ、ヤバイゾ。

こりゃメッタ。

 

歩いてみるかあ。

走ってみるかあ。

でもシンドイなあ。

そう言えば、この間、ちょっとの坂道でも息が上がった。

なるほど、しっかりと体力も落ちているらしい。

体にいいことって、何にもしていないからなあ。

 

深夜のテレビでやっている痩せる器具のたぐい、

それを買う気にもならないし、

どうせ長続きしないのは目に見えている。

食を減らすかあ。

甘いものを控えるかあ…。

 

なるほど、

こうして世の人々は今まで悩んで来たんだなあ。

オレもその仲間入りするかあ。

ダイエット、ダイエットと連呼しつつ

思わず間食に手を出す…そんな仲間に。

これだとばかりに意気込んで、その種の食品を注文し、

1カ月足らずで「効果なし」との結論を出す…そんな仲間に。

 

いやー、その人たちに急に親近感を持ちますねえ。

なんでも自分自身に降りかかってこないと

人の気持ちは分からないもんですねえ。

 

さてと、どうしたもんですかねえ。

えーと、まずは、身辺を慌ただしくする。

どこにでも行ってみる。顔を出す。

気の進まない役割でも引き受ける。

もうちょっとだけ人生を深く考える。

あんまり簡単には満足しないで、物足りなさをずっと持つ。

人の意見にはしっかりと耳を傾け、聞き流さない。

進んで人の世話をする。労をいとわない。

不満は体に溜めて、不平は漏らさず、一人で抱える。

先の予定をいっぱい詰めて、常に先のことを案ずる。

たとえ、たった2時間ほどの催し物でも、

ひと月も前からあれやこれやと考えを巡らせて思い悩み、

当日はもちろん、全力投球でコトにあたり

周りの人たちには気を使い、気を回し、言葉をかけて、笑顔を絶やさず、

それが終われば、ああすれば良かった、ああするべきだったと

何度も振り返って、反省と後悔を重ね、

そのすべてが自分のせいだと責任を痛感し

眠れない夜を過ごす。

 

そうすれば、きっと痩せる…。

 

ていうか、ビョーキになるかも。

腹は引っ込んでも、不健康になるよね。

昔の私はそうだったのかも。

 

では、健康的に腹を引っ込めるためには?

腹芸で世を渡る。

腹黒になってすべてを人のせいにする。

腹を割って話さない。

腹をくくらず、テキトーにことをこなす。

腹を立てまくる。

 

…違うよね。

 

さてさて、何をすればいいのかなあ。

楽して…成果はないよねえ。

でも、シンドイのは…ヤダよなあ。

でも、これ以上になると

ズボンが入らなくなるし、

Tシャツは似合わなくなるし、

夏に向けて困るよね。

ステージでのシルエットも気になるし…、

よーし、明日から絶食!

無理だよねえ。

よーし、明日から…

 

どないしょー。

 

困ったなあ。

弱ったなあ。

気になって、眠むれなかったら嫌だなあ。

そうだ、冷蔵庫にケーキがあったなあ。

 

あれ、食べてからなら

眠むれそう。

2015.5.8

 

 


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コメント: 8
  • #8

    sakura (木曜日, 21 5月 2015 22:04)

    その後、お腹の様子はいかがですか?
    その昔、優しいお顔に、
    男の人にしてはちょっときゃしゃな
    KAZUOさんが、タンクトップになった時の二の腕の筋肉にキュンとしたのを覚えています。

    今、時代は“細マッチョ”が人気だそうですよ(*^^*)

  • #7

    土佐のおんちゃん (火曜日, 12 5月 2015 17:25)

     ひさしぶりに、かずおさんの筆がびゅんびゅんと走りまくってますねぇ
    楽しくリズムカルに一気に読み終わりました・・・アイスクリームも溶けないうちに!

  • #6

    花ちゃん (日曜日, 10 5月 2015 10:48)

    同じく、かつてまでのしまむらさんのように、ダイエットなど他人事の私から。
    みんなが「どうやったら、そんなに痩せれるが?」って言うてくるもんだから、素直に言っているだけなのに、そんな私が言うから、みんなから怒りを買ってきた、一言をどうぞ。

    「間食やめて、三食だけにしたら痩せるで。」

  • #5

    北川実香 (日曜日, 10 5月 2015 07:51)

    全くその通りで、共感します♪

  • #4

    カノン (土曜日, 09 5月 2015 22:40)

    えーっ⁉︎
    マジっすか‼︎
    35周年の 一筆書きの様な顔に幼児体型のKAZUOさん

    笑っちゃいます(≧∇≦)
    片手にケーキ、片手にフォークを持ってるアニメが浮かんできませんか?

  • #3

    ぴあの (土曜日, 09 5月 2015 17:53)

    ようこそ、お仲間に。
    なんて言ってる場合ではありません。
    私も最近、本気で悩み始めたところへ、このエッセイ。
    耳をふさぎながら、読み進み、目をふさぎ、頭を抱えてしまいました。
    いい方法があったら、教えてください。(涙)

  • #2

    あっぷる (土曜日, 09 5月 2015 08:41)

    え?えっ?えっー?
    KAZUOさんが、59.9㎏⁉︎
    アリエナーイ(^_^;)

    そう言えば、独身の頃、私のMAXが59.9㎏(^_^;)
    「50㎏台!」と、言い張ったことを思い出しました(笑)

    KAZUOさんに、二つの標語をプレゼントします(^^)
    二者択一で、どうぞ〜♪♪

    「ダイエットは明日から」
    「ちょっと待て、その一口が豚になる」

    **

    さてさて、シフォンケーキが焼ける頃〜♪
    コーヒータイムにしましょうかぁ(^_−)−☆

  • #1

    みゅ (土曜日, 09 5月 2015 06:32)

    あははぁ
    (≧∇≦)b

    一心不乱に読んで、思わず最後

    なぜか、大笑い。

    ダイエットは、永遠のテーマですね。

    若い時は、ダイエットなんぞせぇへんでも、シンチンタイシャなるものが、活発なのか……

    痩せた。
    (*・ω・)ノ

    いや、太らなかった。
    スリムをキープ出来た。
    ですね。

    痩せると言えば……
    私は、妊婦さんの時には、赤ちゃんの為と食べたいだけ食べて、17キロぷくぷくと成長。

    出産してから、母乳で20キロぐらい痩せたけど、老化のせいかリバウンドをし、
    今では、プラス5キロ……いや10キロ
    太った。

    太ったものは、減らせない。
    σ(^◇^;)

    だから、暗示をかける。

    今が、あなたのベスト体型ですよ♡

    と(≧∇≦)b(笑)

    まぁ、私も運動はしてない。
    私もグータラな人ですから……
    これからの老化で、さらに太るのかしら……

    で、若い頃は、スリムだったのよ。
    と井戸端会議をしよう。(笑)

    その中には、しまむらさんもいることでしょう( ´艸`)(笑)

44-劇


第44話 「劇」      by しまむらかずお

 

ゴールデン・ウィークの真っ只中

3日連続で劇を観た。

高知県の高校演劇祭が開かれたのだ。

 

高知城近くの追手前高校の芸術ホール。

校門前は日曜市のストリート。

辺りは県外ナンバーの車が駐車場を求めて渋滞をなし、

手に案内図を持った家族連れやカップルが

ジリジリと暑い陽射しの中を右に左にと動いている。

まさに大型連休の観光地の風景だ。

 

そんな中、まるで別世界のように

ホールの中には緊張感がみなぎっている。

約50分間の劇に魂を込めた高校生たちの舞台。

観るほうも各高の制服組が多い。

ちらほらと保護者らしい人たちやOBらしい人たちも見える。

 

全部で16校。

そのほとんどを観た。

昨年の秋の演劇コンクール、いわゆる「県コン」以来

約半年ぶりに彼らの舞台を観た。

 

あのときは審査員という立場だったが

今回は単なる観客で、もっと気楽に観れる…

その筈だったが、けっこうリキを入れて観てしまった。

というのも、昨秋の各校への講評で

指摘したりアドバイスしたりした手前、

その変化が気になっていた。

 

とはいえ、新年度を迎えて

すでに卒業した「役者」は出てないし、

メンバーは入れ替わっている。

そんな中でも、「あっ、あの時の子だ!」と

役は違えど、そんな役者を発見すると、何だか嬉しい。

ぐぐっと成長している気がして、さらに嬉しい。

 

この演劇祭は、秋の「県コン」とは違って

中学生も出演する。

それがなかなかいいのだ。

この子たちが次の時代を担う。

その実感が特に嬉しい。

 

考えてみれば

野球やサッカーなどのスポーツとは違って

その「試合数」は極端に少ない。

「練習試合」なども演劇にはあり得ない。

校内での発表会を合わせても年3~4回。

四国大会や全国大会に進めない限り

その程度で1年が過ぎる。

テレビで中継されることはまずない。

県コンで最優秀を獲得しても新聞にも載らない。

実に、オモテに出ないクラブ活動である。

 

けれど、もちろん彼らは一生懸命。

「生と死」をテーマとしたものから

高校生の日常を切り取った作品まで実にカラフル。

はっちゃけて飛び跳ねるような超元気な男子が笑いを誘い

いかにもウブそうな女子のセリフが胸を締め付ける。

 

とはいえ、やはりまだまだ高校生。

「声、届いてないよー」とか、「もっと動けよー」などと

ツッコミどころはいっぱいある。

けれど、舞台に立つ、観客に向かい合うその大変さを

よく知っている私としては、

ただそこに立っている姿だけで

何だかこちらまで緊張するし、ワクワクもする。

 

それにしても劇は不思議だ。

いわば、すべてが作り物で、いわば大ウソ。

関係者全員の総力を挙げた詐欺ではある。

しかし、そこに演じる役者は自分のすべてのパーツを晒して

哀しみも苦しみも可笑しさも嬉しさも現わしてゆく。

物語は舞台という限られた中で

小さな部屋の一室も、大草原でさえ表現し

役者はその中で本当に怒り、本当に泣いているのだ。

そこにはウソはない。

 

生きている本物の人間がリアルタイムでうごめいている。

ほんの数メートル先の舞台で、同じ時空間を共にする。

私たちはその世界の中で共に生きるのである。

その不思議さと醍醐味が劇の最大の魅力である。

切れ取られた部分や、それらをつなげた映画とは全く違う魅力である。

実に生々しい魅力である。

 

今年の秋にはこの高知で四国大会が開催されるのだそうだ。

劇にふれる機会が増え、人々の関心を集めて

さらに演劇人口が増え、部員獲得が楽になればいいなと思う。

お世話されている先生方は、毎年この大型連休は「ないです」と言った。

本当にご苦労さまです。

 

私が主催する「K‘sパーク」と言う名のお芝居DVDの上映会も

少しでも劇にふれる機会をと、その県コンのあとから始めたのだが

そこによく来てくれているT先生とお話した。

彼が顧問を務める高校の今回の劇は意欲的な創作で

現代性溢れる、しかも高校生の原寸大のお芝居で非常に好感を持った。

そのことを申し上げると、まるで嬉しそうな少年の笑顔になった。

飛び跳ねるように自転車にまたがって忙しげに去って行った。

「よかったなあ」と心から思った。

彼は多分、次回のシアターにも学生たちを引き連れて来てくれそうだ。

 

次回のK‘sシアターは、「蝉しぐれは初恋のレクイエム」…。

2001年の9月11日、ニューヨークで起こった同時多発テロ。

世界貿易センタービル、いわゆるツイン・タワーへの

2機の旅客機突入と同タワーの崩落。

その映像をその日の夜10時、NHKニユースでリアルタイムで見た。

その衝撃は大きかった。

 

その年の12月に劇団公演を予定していた私は

新しい作品の構想中で、ストーリーの組み立てに入っていたが、

そんなものは吹っ飛んでしまった。

心がすさんだ。

 

その後、4機もの旅客機がハイジャクされ

国防総省(ペンタゴン)にも突入したことも報じられて

大変なことになった。

お芝居などやってる場合じゃない。そう思った。

しかもその後、アメリカは「悪魔の国」に報復をとアフガンに侵攻。

大きな戦争に発展していった。

 

その年の12月の劇公演は、

こんなときだからせめてお芝居だけでも楽しいものをと

賑やかで明るい「サンタクロースが歌ってくれた」を

借り物の台本で公演したが

私の心は晴れないままだった。

 

何かしなければと思い、

でも何もできない私だった。

年が明けて、2002年。

この年は「よさこい高知国体」の開催年。

その推進局に勤務する私は多忙を極めていたが

駆られるように、台本執筆を進め

いつになく、早目に脱稿した。

 

ストーリーは、戦火のアフガンから帰国したカメラマンが主役。

東京の劇団の30周年記念公演を劇中劇として描きながら

不思議な失踪事件を追うという、推理小説もどきの作品となった。

昔、戦争をしていた日本と、今、戦争をしている世界をクロスして描き

その虚しさと不条理さを描こうとしたものだった。

 

この作品はみんなが苦労した。

私は「戦争を知らない子ども」として育ったが

周りは親も教師もその体験者だったから

戦争への嫌悪感いっぱいの中で子ども時代を過ごした。

しかし、役者たちはそんな環境すらない。

バブル期に少年時代を過ごしてきた者たちだ。

 

私は彼らに、その体験や伝え聞きを語り

劇への思いをきっちりと伝えなければならなかった。

ところが国体の本番の年。

そんな隙間もなく、演出の大半を団員にゆだねた。

その結果、怒りは中途半端となり、嘆きは嘘っぽく聞こえた。

すべて私のせいだが、それが残念でならない。

 

もちろん、彼らは頑張った。

やや難解で重く固いムードを、勢いある演技と軽いギャグを加えて

食べやすいものとする工夫も随所に盛り込まれた。

結局、台本は幾度も改訂され、本の厚さは倍になった。

それでもそれでも、私の無念さは残ってしまうほどに

作品への入れ込みは強かった。

 

よく言われる言葉がある。

映画は監督次第。

ドラマは脚本次第。

芝居は役者次第…。

それはその通りだと、やや同感できるが、

やっぱり

劇は役者だけがやるものではなく

演出や作者だけで作れるものではない。

そこが一体化して初めて成立するものだ。

舞台美術、衣装、音楽、照明…

それもそれも一体化してこそのものなのだ。

 

結成4年目に入った当時の「Kちゃんねる」の

ウンと力の入った劇をご覧願いたい。

私もそれを観るのを楽しみにしているが

同時に、あの頃に強く感じた平和への希求を

もう一度胸に湧き上がらせたいと思う。

 

5回目となる「K’sシアター」は、

5月16日に開催される。

      (2015.5.6

 


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コメント: 5
  • #5

    レッド (木曜日, 07 5月 2015 00:17)

    ***
    はっちゃけて飛び跳ねるような超元気な男子が笑いを誘い
    いかにもウブそうな女子のセリフが胸を締め付ける。
    ***

    高校生の一生懸命の演劇に、KAZUOさんの心が動くのもすごいなぁ。

    私は、私のできるちっさな一生懸命を生きていこうって思えました。

    「劇」にちなんだエッセイ、ありがとうございました(*^^*)




  • #4

    フェアリー (水曜日, 06 5月 2015 08:21)

    お疲れ様でした。
    読みながら、感動してしまいました。
    お芝居へかける情熱と、想いと、その時を生きる。という
    まさに「今」
    この前のエッセイにもあった様な
    「生」 とってもドキドキするものを
    感じました。
    昨年大変な思いをして審査員をされた事が、今年に繋がっている。
    創り上げる大変さも、喜びも知っている、一生懸命生きる人はちゃんと受け止めて頑張っている。
    素敵な世界ですね。

    何かしないでいられない
    想いで駆られるように書き上げた台本、なのに若者達と幾日も悩み創り上げた作品。
    「蝉しぐれは初恋のレクイエム」
    切り取られた世界に入り込む日が楽しみです。

  • #3

    あっぷる (水曜日, 06 5月 2015 06:30)

    「蝉しぐれは 初恋のレクイエム」

    深い思い、重い思いを、エッセイで読んでの上映会参加、楽しみにしています。

    自分や人を大事にしながら、今を、一生懸命に生きようと、改めて思えました。

    KAZUOさん、ありがとうございました(^^)

  • #2

    みゅ (水曜日, 06 5月 2015 02:33)

    そういえば……

    今気づいたこと。

    第41話 「夢」

    第42話 「生」

    第43話 「花」

    今回、「劇」

    一文字タイトルですね。

    なんだか、面白い。

  • #1

    みゅ (水曜日, 06 5月 2015 02:27)

    蝉しぐれは初恋のレリエム。

    通称 蝉レク

    まさか、2001年9月11日の同時多発テロ。世界貿易センタービル。いわゆるツインタワーへの2機の旅客機の突入タワーの崩壊の翌年の作品だとは知らないし、戦争を知らない世代。
    蝉レクの役者さんと同じ待遇だからか、前にしていたホームページで一部を観ていたせいだろうか、話しをどこかで聞いたせいなのか、とにかく観たいと強く思っていた作品。

    同時多発テロを思い出し泣くのか。
    やや堅いムードの緊張や、勢いづいた演技からの笑いになるのか、それは観なければわからない。

    映画は監督次第
    ドラマは脚本次第
    芝居は役者次第
    と書いてあるように
    面白かった。また観たい。感動した。また芝居してほしい。



    つまらなかった。もういい。の感情は観た個人次第。

    さて、蝉レク。

    心して観よう。

    ハンカチ持参して………

    戦争を知らない私でも、同時多発テロと東日本大震災だけは、未だに心の中ではっきりと思い出します。
    久々にコメントしたい気持ちになり
    なんか熱い気持ちになり、なにかを吐き出したい気分だったので、コメントしました。
    また、5月16日(土)に、お会いいたしましょう。
    おやすみなさいませm(_ _)m

    あ~。スッキリした(笑)

43-花


第43話 「花」      by しまむらかずお

 

このところ晴れ間が続き

空は青く、風が気持ちいい。

私の家の周りでは、庭の花も鉢植えの花も

今だ、とばかりに一斉に可愛い花を咲かせている。

 

ほんのこの間までは

桜の花を追いかけていた私たち。

あっと言う間に桜の花は散り

何ごともなかったかのように緑の葉を繁らせて

フツーの樹になってしまっている。

 

それにしても、花には人目を引く魅力がある。

鮮やかな色合いの花弁など、緑に映えてよく目立つ。

これは人目というより、昆虫や鳥などの目を引いて、

花粉の輸送を手伝ってもらうためだという。

いわば、花自身が

生きるために美しく咲いているのだ。

 

昔から、女性は花に例えられることが多いが

女性もやはり、生きるために美しく咲いているのだろうか。

私は昆虫ではないが、美しい女性はめちゃくちゃ気になる。

…この話、深く掘ると、何となく気まずくなりそうだ。

話を変えよう。

 

今度の日曜日、みんなと誘い合って

「しゃくなげ遠足」に行くことになっていて

その際には公園近くのレストランで

ミニ・ライブもすることになっている。

 

吉野川のほとりのロッジ風のしゃれたレストラン。

自家焙煎の特製コーヒーを

川が望めるデッキでいただくというのは

何とも風情がある。

木質なホールで輪になって

マイクも使わずに歌うことにしている。

ちょっと照れくさい気がするが

楽しみでもある。

 

さて、そのライブで何を歌おうかなと、

パソコン画面の付箋から取り出していた。

何かその日にふさわしい曲をと、思っていると、

歌が生まれ始めた。

例によって、「新曲降臨」である。

 

♪桜の花たちが終わった後に

咲き始めるツツジやシャクナゲ♪

…そんな歌い出しだった。

 

♪そんな花たちのリレーのように

あなたの夢も続けばいいね…♪

…リズミカルなテンポのその歌は、そう続く。

 

そのとおりだと思った。

花にはそれぞれ咲く時期があり、植物には旬がある。

それぞれが芽生え、花が咲き、実がなって、そして枯れてゆく。

ひとつひとつの生命は、それぞれの季節に生きて、消える。

が、ちゃんと別の花たちがその後を引き継いで

しかも、別の色の花を咲かせてゆく。

花たちのリレーは、そうやって続いてゆくのだ。

私たちも同じことなのかも知れない。

 

一生懸命に生きて、花を咲かせ、実を結び、そして枯れてゆく。

でも、その後に、別のやり方で別の人々が、また花を咲かせてゆく。

それは、同じ花でなくてもいいのだ。

 

私は私なりに生きて来た。

もちろん、ずっと順風満帆だった訳もなく

数々の躓きや失敗、衝突…胃を痛めた覚えは沢山ある。

それでも、輝きを放つときもあって、嬉しい涙も何度かこぼした。

勢いある若木のように、何でもできる気がしたときもあり、

テングになって、天下を取った気になって、虚勢を張ってたときもある。

その陰で、一人淋しく夜の町をウロついて、心で泣いた日もあった。

 

それらのすべてが、まるで年輪のように

私の体内で、幾重にも重なっている。

 

私は私なりに生きてきた。

だからこそ、あなたはあなたなりに、

一生懸命に生きてほしい。

特に若い人たちや、幼い子どもたちには、

そうあってほしいといつも思っている。

 

生きるとは、息をすること。

息をするということは、

吸ってばかりじゃいられないし、

吐いてばかりじゃいられない。

吸ったり吐いたりするということだ。

言いかえれば、生きるとは、

貰うだけでなく、あげること。

愛されるだけでなく、愛すること。

 

振り返れば、

数え切れない人たちに支えられてきた。

ありがたいと思うことも、申し訳ないと思うことも

数え切れない。

今頃になってでも、気が付くすべてのことを、

やってみなければと思う。

「恩返し」なんて、古くさい言葉を思い出す。

それができなくても、私なりに出来ることを

一生懸命にやってゆくことが、人生の務めだと思う。

 

花の名前や種類には、トンと不案内な私だが

花の綺麗さは分かる。

大きな花、派手な花でなくても、それが分かる歳になった。

近々見る花たちは、私に何を教えてくれるだろうか。

 

新しい曲のタイトルは

「花たちのリレーのように」と名付けた。

(2015.4.24)

 


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(注)文章の内容がこの欄にふさわしくない場合には、掲載しない場合があります。ご了承ください。

コメント: 6
  • #6

    土佐のおんちゃん (月曜日, 04 5月 2015 14:28)

    これからはもっと空がきれいだ とか

    風のにおいがする とか

    草、花が香りが気持ちいい とか

    そんな五感フルフルな暮らしができる

    そんな人間に

    私は

    なりたい。

  • #5

    カノン (水曜日, 29 4月 2015 13:48)

    ホントだ(*^^*)
    花のリレー 桜、ツツジ、しゃくなげ
    5月は菖蒲、紫陽花に朝顔
    それぞれに綺麗で
    楽しみが続く感じですね!
    ♫花達のリレーの様に
    また好きな曲が増えました。
    *\(^o^)/*

  • #4

    向日葵 (水曜日, 29 4月 2015 00:21)

    なんだか切ないですね。
    生まれてきたからには、いつか消えていく日がくる。
    命は繋いでいくものだとしても
    大切な人を失う悲しさを
    知っている私としては
    本当に本当に辛い事。
    だから
    いつか遠い遠い先にそんな日が来るかもしれないとしても
    今を目一杯楽しんで
    悲しい事は頭から消し去りたい。
    今は素直に生きたい。
    心から愛していたい。
    せっかく
    今を咲いているのなら
    お日様に向かって
    笑顔でいよう。

  • #3

    sakura (月曜日, 27 4月 2015 23:32)

    花は
    散りゆく命だから
    一生懸命咲くんでしょうか?
    それとも時期が来て、
    ただ淡々と咲くのでしょうか?

    いずれにしても咲いている時に
    気付いて貰えると幸せですね。
    「綺麗だね」って言って貰えると
    嬉しいですね。

    もしも見てくれてる人を
    和ませてあげたり
    癒してあげたり
    勇気付けてあげれたら
    満足な「花」の一生になるんでしょうか。
    私もそんな花の様に生きたいな。

  • #2

    あっぷる (金曜日, 24 4月 2015 20:48)

    「花」

    花の歌は作らないと、誰かが言っていた…。
    花の歌は、歌う季節が限られるからと…。

    ♪時は〜、流れ〜〜

    「♪朝顔…えがお…のタネ」
    「♪あじさいの詩」
    「♪すみれ」
    「♪ひまわりの夏」

    「♪しゃくなげ、、、」

    さて、どんなタイトルになるんでしょう?
    なんと、歌詞の数行がアップされているという、大サービスのKAZUOさんエッセイ!
    どんな歌なのか、楽しみ、楽しみ(^_−)−☆

    あ、当日は、行けない、聴けないんだった…(^_^;)

    でも、日曜、心の耳を澄ませて聴いてみよっかな♪♪

  • #1

    花ちゃん (金曜日, 24 4月 2015 17:21)

    ぜひ、教えてもらったたことを
    教えて下さい。
    遠足の記録を
    楽しみにしています。

42-生


第42話 「生」      by しまむらかずお

 

とりあえず生で…

乾杯寸前の会話。

ここで言う「生」とはもちろん生ビ―ルのこと。

これからの季節、ビールはやっぱ「生」に限るよね。

 

思えば、ビールの味を覚えたのは

高知の「よさこい」に初めて出た夏だった。

競演場で踊った後は必ずビール。

バスに乗り込む時にすでにビール瓶を掴んで席につく。

汗いっぱいの体に気持ち良く浸透する、あの心地良さ。

それもガブ飲み。

若かったあの頃、何も怖くなかった~♪

 

当時、「生」と言えば、ジョッキに注がれて泡立っているものの筈だった。

だから、缶ビールに「生」の文字を見ると、「はあ~?」ってな感じだった。

缶詰め、瓶詰めで「生」?…結構違和感があったものだ。

実は、熱処理を行っていないビールを「生ビール」と呼ぶのだそうで

「ふーん」とは思うけれど、私とすれば

「生」は、やっぱりジョッキでグビグビとやるものでありたい。

ま、どっちであろうと、旨ければいい。

とはいえ、それほどお酒に強くはない私には

その味の違いは、余り問題ではないかもね。

 

いかんいかん、ビールの話をしたかった訳ではなかった。

先日の「ライブ」の話をしようと思ったのだった。

 

生演奏、生放送のことをライブというのだが

やっぱ「生」に限るよね…

だからあ、ビールじゃなくて、コンサートのこと。

録画、録音なら、何度でも繰り返して聞ける。

早送りも巻き戻しも、一時停止だってできる。

「生」はそうはいかない。

同じ場所で、同じ空気を吸いながら、同じ時間の流れを共にする。

実に「生々」しい。

 

そこがいい。

でもコワイ。

どんなトチリも、カスレも、トマドイも

全部見られるし、聞かれるし。

平気そうに見えるかもしれないけれど

実はバクバク。

もう数えきれないほどの「生」をやって来たけれど

やっぱり緊張はするのだ。

特に1曲目はね。

 

先日の独唱ライブ。

紹介されて出て行って、シルエットの中でギターを弾き始め

歌声と同時にライトに照らし出される私…

その予定だった。

 

その会場には、入口に下駄箱があって、

みんな、靴を脱いで席に着いている。

紹介されて、ステージに向かう私。

さあ、と一段高い台に上がろうとしたとき

「あっ」と思わず叫んだ。

ステージ用の靴を入口で脱いでしまっていて、

足元はソックス。

「裸足や」と声が漏れた。客席が湧いた。

慌てて入口まで戻って靴を履き、再度登場して、

まるで「何事もなかったかのように」ギターを抱えた。

 

でも、そこからは最悪だった。

何だか息が上がり、コードを押さえる指に力が入らない。

しかもオープニングのスローな曲。

「やまった…」と思いつつ、歌に入った。

1曲目はぼろぼろ。

トークも丸スベリ。

さんざんなスタートだった。

 

あとから思ったことだが

あの時、そのミスで沸いた客席を逆手に取って

予定を変えて、お喋りから入って和んでもらったら良かったのに。

すると、ぐっと和らいだ雰囲気が出来ていたのに…。

あーあ、もったいない。

 

そこでそうできなかったのは、

やっぱり久々の「ソロ」ということで、

ちょっとした「かっこつけ」の気持があったのだと思う。

だいたい、自分を良く見せようだとか、

いいこと言ってやろうなどと思うと、たいがいの場合スベルもの。

普段から「自然体」を目指す私なのに

なんだか悔しい。

まだまだ修行が足りませぬ。

 

ま、それは、まもなく出来るDVDを見ながら

大いに反省することにしよう。

というより、スタッフの打ち上げの「ツマミ」となって

苦笑いすることになりそうだ。

ね、「生」ってコワイでしょ。

 

そんな私だったが、

休憩後の第2部になると、すっかり落ち着いて

普段通りのトーク満載、笑いもいっぱいのステージとなった。

声の伸びも全然違った気がする。

あっという間に、フィナーレまで進んだ。

やっぱり「かっこつけ」ないのがいいわあ。

何ごとも「リキミ」はよくないわあ。

 

でも、本当のことをいうと、

ものすごく久々の曲とか、新曲とか

「独唱」にふさわしい曲選びや、その歌いこなしに力を入れて

ま、それは当たり前のことだけど

その寸前まで、結構入れ込んでいたのですよ。

とても自然体ではなかったですねえ。

ま、これも言い訳になりそうなので

その評価はお客さんにお任せしましょう。

 

結局、アンコールも入れて14曲を歌い切りました。

2時間を超えるライブにお付き合いいただいた皆様に感謝です。

お楽しみいただけたでしょうかねえ。

またやりますので、見捨てないでまた来てくださいね。

一緒に「生」ならではの、いい時間を作ってくださいませませ。

 

LIVEは、LIFEに通じる。

「生」は生きるという文字だ。

「人生」は、人として生まれ、人として生きる。

そう読めるが、本当は

人に生みだされ、人として生かされてきたのだと思う。

だからこそ、歳を重ねれば、

人を生かす、人に生かされる…

そういう生き方をしたいものです。

 

そんな生き方が

イキイキした時間を増やすのだと思います。

2015.4.20

 


▼エッセイへのご感想をお書きください。

(注)文章の内容がこの欄にふさわしくない場合には、掲載しない場合があります。ご了承ください。

コメント: 5
  • #5

    sakura (火曜日, 21 4月 2015 23:17)

    ライブって本当に貴重ですよね。
    何が起こるか分からない。

    聴きに行った私達にも
    何が聞けるか分からない。

    と、いうのも
    しまむらさんの曲の中でも
    人気の高い
    “ムーンウォーカーの恋だから”の
    間奏を
    しまむらさんが
    “ラララ"で歌うなんて!
    誰が予想してたでしょうか?

    曲が終わってご自身でも
    お話されてましたが、
    カノンズatメンバーや
    カノンズSPメンバーに
    いつも囲まれてた
    しまむらかずおさん。

    メンバーが居ないと
    間奏まで
    自分でやらなくちゃと
    健気に一生懸命頑張る姿に
    益々ファンになりました。

    ベースの方の一日も早い回復を
    心から祈りつつ。

  • #4

    カフェオレ (火曜日, 21 4月 2015 21:41)

    生…ビール♪
    生…ライブ♪
    人生…生♪

    また、生で、聴きたいです(o^^o)

  • #3

    フェアリー (火曜日, 21 4月 2015 12:38)

    「生」は、緊張がどうしても
    伴いますよね。
    一瞬一瞬が本当に
    矢の様に過ぎて行って
    自分の口から出た事は
    どんな事があっても
    自分の前に飛んで行って
    取り残される自分を感じます。

    だから
    「生」が出来る人は
    すごいなぁって思います。

    でも
    観るのはやっぱり
    「生」がいいです。
    一瞬一瞬を、一生懸命生きてる
    息づかいが
    聴こえてきそうだから
    胸の鼓動まで
    聴こえてきそうだから

    一緒にその瞬間を
    生きてる気がするから

    今回のライブのいろいろも
    時間がたったら
    笑い話になるんでしょうかね?

    で、また「生」をやってくれるんでしょうね (^ ^)

    これからも
    イキイキした時間を
    たくさん一緒に過ごさせてくださいね。

  • #2

    あっぷる 追伸 (火曜日, 21 4月 2015 09:12)

    あっぷる 追伸

    Facebookをよく見たら、、。

    「しまむらかずおさんが、しまむらかずおオフィスの写真をシェアしました。ー今ー」

    「しまむらかずおオフィス。エッセイのお知らせ。ー8時間前ー」

    あーっ(^_^;)

    生…リアルタイムじゃなかったんですね(笑)

    ま、いいか、です(^_−)−☆

  • #1

    あっぷる (火曜日, 21 4月 2015 09:07)

    「生」?

    生…、ちょうどFacebookに投稿中に、KAZUOさんエッセイ情報がリアルタイムで飛び込んできたので、「生…リアルタイム」やぁと、喜んで読もうとしたら、、。

    ん?
    生ビール?

    読み進むと、生のライブとかのエッセイで、あぁ、良かった(笑)

    で、せっかくのリアルタイム…生の泡が消えないうちに、なんちゃじゃないコメント、送信させてもらいまぁす(^_−)−☆

41-夢


第41話 「夢」      by しまむらかずお

 

あなたの夢は?って訊かれて、すぐに答えられないのは

あなたが少し大人になった証拠かもしれないね…

 

これは、各地でのやさしくなろうコンサートで

しかも中学生が対象のときによく歌う「MIRAI」の冒頭の詩です。

 

そんなふうに、人には歌ってきたけれど、

今、あなたの夢は?って、訊かれてすぐに応えられないのは

自分です。

 

とはいえ、そんな自分でも、大まかには言えるよ…。
人の役に立つことをしたい。
自分ならではのことがしたい。
生き生きしていたい。

いつも沢山の人たちと一緒にいたい。

気がついたことはちゃんと行動に移したい。
そんなことが出来る人たちを増やしたい。

みんながそれぞれに幸せでいられるようなことがしたい。

 

ね、大まかには言えるでしょ。

でもそんなことが出来るためには何をすればいいのか。

それがよく分からないよね。

 

よく、若者が(若者に限らないけれど)このところ

「とりあえず…」っていう言葉をよく使うよね。

とりあえず…って始めてしまうと

モノによっては、取り返しがつかないことだってあるのにね。

それでも、ウダウダ言ってないで、まず動いてみようよっていうのは

少しは分かる。

 

だから、さっきの大まかなものの一つをとりあえず、

思いつくままにやってみるのもいいかもしれないね。

まず、今出来ることからやってみる…。

うーむ、それは私の場合、やっぱり「歌」でしょうねえ。

 

4月18日の独唱ライブのタイトルを決めるときに

4月は「卯月」だよね。…えーと、歌う歌は「恋歌」?

違うなあ。じゃ、何の歌?

そうだなあ、やっぱ「夢」かなあ…

なんて、アンチョクな感じで「卯月の夢歌」とタイトルを振った。

 

ま、それはそれで良かったけれど

後が大変だった。

結構ありそうなのに「夢」の歌がないのだ。

ま、ないことはないけれど、タイトルに夢の文字があるのは「夢哀歌」…

哀歌は、「エレジー」と読むのだが、

「夕べ哀しい夢を見た…」で始まる、まるで演歌っぽい歌で、

どうもギター一本で歌うにはならなかった。

 

こんなことを書いてしまうと

またもや数少ない熱烈なファンから、「それが聞きたい!」と

ホームページに書き込まれるだろうなあ。

ヤバイなあ。

話を変えよっと。

 

あなたの子どもの頃の夢は何でしたか?

私は「バスの運転手」になることでした。

保育園にはバスで通っていたので

いつも運転手さんのすぐ隣にちょこんと座って

大きなハンドルを回す姿を真似していました。

 

母親はその保育園の主任保母をしていたので

夜が更けるまで事務室で残って仕事をしていました。

みんなが帰ってガラーンとしたホールに

ヨイショヨイショと椅子を並べて

その先頭に座って丸いお盆を持って

「次は中の橋通りでーす。」とやっていたものです。

 

結局、バスの運転手さんにはなれませんでしたが

大きな車にいっぱい人を乗っけて

どこかに運んでゆく…

そんな仕事ばかりしてきた気がします。

それはバスではなくて、グループや団体をこしらえては

一緒に何かするっていう仕事。

それは今でも同じですねえ。

 

みんながケーキ屋さんにはなれませんし

みんながみんなサッカー選手にはなれませんよね。

 

子どもから大人になるときに

どこかに置いてきた夢はありませんか。

子どもだから出来なかったことは

大人になったらやればいいのに、なんて思いますが、

大人になるってことは、子どもの頃を脱ぎ棄てることなのでしょうかねえ。

 

「いつまで子どもみたいなことを言ってるんだ!」って言われて、

または、そう言われなくても自ら脱皮するんでしょうかねえ。

「夢」にニンベンがつくと、「儚い」と言う文字になる。

「人の夢」は儚いものなのでしょうかねえ。

 

「夢から覚める」という言葉もありますが、

覚めてしまうと消えてしまうものなのでしょうねえ。

いつまでも覚めない夢が欲しくなりますねえ。

「覚める」は、「冷める」に通じるのでしょうか。

いつまでも熱くはいらないのでしょうねえ。

そうやってみんな、大人というものになるのでしょうねえ。

そういえば「おとなしい」とは、「大人しい」って書きますねえ。

大人になれば静かにならないといけないのでしょうか。

 

私はまだまだ、大人しくなれないみたいです。

静かではいられません。

動き回って、歌いまくって、つながりまくります。

今はそうするしかないように思います。

 

何となく、つながりが薄れ、

付き合うけど深くない。

気が付いているけど、行動には起こさない。

優しい気持ちがあるのに、優しく出来ない。

素直になれないままの人が多い気がします。

 

今回のライブの1曲目は、

「素直になれば」に決めました。

(2015.4.17)

 


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(注)文章の内容がこの欄にふさわしくない場合には、掲載しない場合があります。ご了承ください。

コメント: 4
  • #4

    花ちゃん (土曜日, 18 4月 2015 14:11)

    最後から2段落目は、自分のことのように思いました。
    人との付き合いが薄れることで、ウズウズウズウズしています。
    「もっと身軽だったら!」
    でも、これが自分の決めた道です。
    決めた道には、新しい繋がりもあり、それもとても大切です。
    誰かと繋がっている限り「頑張れる」自分がいます。
    人に生かされているな。って、度々感じるようになりました。

    私の一番最初の夢は、「いちごやさん」でした。
    父親に言ったら「イチゴは時期ものやき、ない時はどうする。店が成り立たん。」と、怒られたことを、今でも覚えています。
    ここまで来たら、恨みに近いのです。笑
    子どもながらに、「子どもにそんなこと言わんでもいいやん!」て思って、悔しかったです。
    子どもが夢を教えてくれたら、まずは喜べる親になりたいです

    夢が持てるということは、素晴らしい成長の標ですよね☻

  • #3

    sakura (土曜日, 18 4月 2015 00:31)

    大人しくなっちゃったら
    「しまむらかずおさん」ではなくなるじゃないですか!

    私的には、それなりに忙しく
    成長しながら生きてきたと
    思っていますが、
    今、しまむらさん何やってるかな?ってアンテナを、張ると
    国体をやってたり、
    ミュージカルを、やってたり
    「あ〜やってるやってる(^ ^)」
    それも普通の人が出来ない様な
    事ばかりやってるんですよね。

    すごいなぁって思って見てました。

    そんなしまむらかずおさんが、
    夢をみなくなったら、
    つまんなーい。

    夢は叶えるためにあるんだよ。
    と誰かから聞いた事がありますが、

    叶えてしまったら、それで終わりになっちゃうから

    夢に向かっている途中がいいですよね(*^^*)

    人生は一度きり、
    今は、ドンドン二度と戻れない過去になって行ってしまってる!
    今を楽しまなくっちゃ

    エッセイを読んで
    そうだ‼︎
    自分に素直に生きる事にしよう。
    と思いました。








  • #2

    ぴあの (金曜日, 17 4月 2015 18:15)

    今日は、「心のリンゴをあなたにも」のCDをかけて、
    独唱ライブで歌う歌の予想をしてました。

    「MIRAI」は好きな歌でよく聞くんですが、
    ここにコメントを書こうとして、私がいつも思ってたことと、
    違う解釈の仕方があることに気が付きました。
    なので、いつか歌って教えてくださいね。

    動き回って、歌いまくって、つながりまくってください。
    ライブ、とても楽しみにしてます。

  • #1

    あっぷる (金曜日, 17 4月 2015 01:48)

    「素直になれば」でスタート、楽しみです♪♪

    実は、私も、人に「夢」をよく尋ねます(^_−)−☆
    あろうことか、「あなたの夢を叶えるお手伝いをさせてもらうのが、私の夢」なぁんてことを話しながら、ね。
    私に力はなくても、私が繋いだヒト、コト、モノ、が、夢への階段の布石の1段になれば…、なぁんてね。

    「夢」が思いつかない時、何の制限もなかった子どもの頃の夢を思い出してみて…、なぁんて話す時もあります。
    私の子どもの頃の夢、「心理学の勉強をして、人の欲しいものを当てて、プレゼントする。」でした(笑)

    書きながら、おっきなことをいっぱい実行してきたKAZUOさんが読んだら、チャンチャラ可笑しいかもぉ…、なぁんて気もしてきました(^_^;)

    でもでも、夜中にふと目覚めて、ふと読んだエッセイから、素直に生まれてきた文章だから、このまま送信させてくださいね(^_−)−☆

    ではでは、土曜の独唱ライブ、とってもとっても、とってもとっても、楽しみにしています♪♪