エッセイ・コーナー  KAZUOは要りませんか?

しまむらかずおが描くつれづれ(その8)  第36話~第40話

36-40
40-アテ


第40話 「アテ」   by しまむらかずお

 

 

今日は久々に晴れ間を見た。

昼間、小さい姫たちがシャボン玉に興じていた庭のデッキにも

夜の帳がしっとりと降りた。

その椅子に腰かけて一服するのが

最近の私の習わしだ。

 

住宅の屋根に囲まれたわずかな夜空に

小さな星が二つほど見えている。

ふっと「アテ」っていう言葉が浮かんだ。

 

どうしてなのかよく分からない。

「あて?」「アテ?」と、何度か口に出して言ってもみた。

でも、それが何なのか、というより

いったい何の意味があって、今、そんな言葉が降って来るの?って感じ。

そのタイトルでエッセイを書け、っていうこと?

はぁぁぁ? なんでやねん。どーゆーコト?

疑問符いっぱいだけど、しょうがないので、こうしてパソコンに向かっている。

 

そう言えば、

よく、「メロディが空から降ってくる」とか、「歌が降りてくる」とか、言うよね。

ものすごく嘘っぽくて、かっこつけた香りがする言葉だけど、

確かに、実は、そんなことはしょっちゅうある。

歌が出来てから、振り返っても、なんでこの歌ができたのかって考えると

特に理由はないし、原因不明。

だから、歌は作るというより、歌は生まれてくるのだ…と私はよく言ってきた。

これもまた、「かっこつけ」と思われるかもしれないが、本当に生れてくるのだ。

 

でも、ひとつだけ分かっていることは、

自分の中にないものは、生まれて来ない、ということだ。

 

「卯月の夢歌」と名付けた独唱ライブの日が近づいている。

「独りでしか歌えないウタがある。」をテーマにしたソロ・コンサートだ。

だから、いつものバンドではやってない曲や、ものすごく久しぶりの曲、

要はギター一本で歌うのに相応しい曲を抜き出していた。

パソコンの画面には、「KAZUO-SONGS」とか、「作曲中」とか、

「新曲」といったファイルがあり、

それを開きながら、一曲ずつ歌ってみたりした。

 

中には、その存在すらすっかり忘れていた曲や、

メロディさえ浮かばない曲もあって、往生した。

そうなのだ。楽譜といっても、私の場合、

歌詞の上にコードネームが振ってあるだけのシロモノ。

私が歌えないと、この世から消えてしまう曲もあるのだ。

おーの、もったいない。

文明の利器、ICレコーダーなんぞもあるんだから、入れとけよ、と自分でも思う。

 

そんな作業の中で、

そのファイルにはない歌が、不意に生れてきた。

「新曲降臨」である。

 

とはいえ、私の場合、歌詞付きのメロディ…要は「歌」となって、降りてはくるのだが、

それが何の歌なのか、「私」とは誰なのかも不明のまんま、降りてくるのだ。

往生しまっせ、ホンマに。

 

それでも、ずっと、どんどんと出て来るままに歌い続けてゆくと、

少しずつカタチが現れて、そのテーマも見えてくる。

「あなた」が誰なのかも、分かってくる。

その頃から、ひとつのストーリーとしてまとめてゆくという作業に変わってゆくのだ。

ああ、ややこしー。

 

それが楽曲の体をなしてくる頃には、声がかすれるほどだ。

ナンギやなあ。

それでも、歌の持つ景色が見えて来はじめると、思わず泣き出しそうになったりする。

涙を流しながらも、歌いつづけてゆく……オレってヘン?

 

今回の新曲のひとつ「Best Shot」は、そんなふうに生れてきた。

この曲は結構、「難産」だった。

3日間もずっと歌い続けて(もちろん間をあけて)、ようやく今日、仕上がった。

4月18日にご披露する。

自分で言うのも何だが、結構「いい歌」だと思う。

「アテ」にしてもらっていいと思う。(おっと、ようやくテーマ登場だ。)

ただし、その他の歌も、出来たばかりの時は、「いい歌」だと毎回思ってはいるので

その良し悪しは、みんなに決めてもらうことにしよう。

 

さて、今日のテーマの「アテ」だが、

それについて語るのが、何だか面倒臭くなっちまった。

だって、単に「降ってきた」だけなんだもの

でも、これも何かのおぼし召しだろうから、一応語ってみようと思う。

 

この土佐では、年配の女性が自分のことを「アテ」ということがある。

これは本来は京言葉。大阪では「ワテ」となる。

遠い昔、流浪の地だった土佐に、いにしえの京言葉が伝わったのだろうか。

そういえば、高校の時に習った「古語」には、

土佐弁に今も息づく言葉がいっぱいあって嬉しくなった。

「げに」とか、「にかあらん」とか。

 

また、前述の「アテになる・ならない」のアテは、「頼り」の意味で、

「アテがある・ない」のは、先行きの「見込み」や「目当て」を表している。

さらには、お酒好きの人の必需品は「アテ」。これがないと酒が進まない。

「アテ」のない郵便物は届かずに戻される。などなど。

「アテ」の言葉は意外に多い。

さすがに「降ってきた」だけのことはある。

 

とはいえ、ここは言葉研究の場ではないので、

これ以上の解説は不要だろう。

それにしても、私も誰かにアテにされて、生きていきたいものだ。

かく言う私は、今もアテのない旅路を進んでる。

 

…な~んちゃって。

                             (2015.4.14)

 


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コメント: 2
  • #2

    あっぷる (水曜日, 15 4月 2015 14:37)

    「アテ」…、エッセイのタイトルを見て、まず頭に浮かんだのは、ハテナハテナ(笑)
    その次に、少〜し考えて、「アテがある、アテがない」の「アテ」。
    最近では、所用の後、アテもなく車を走らせてる方が、「あ、ここ来たかったとこ!」ってトコに到着したり、素敵なモノを見つけたりします(^^)

    へぇ〜、言葉研究所ではないけれど、いろんな「アテ」があるんですねぇ〜♪♪

    でもでも、ラストの二つの「アテ」が、さっすがKAZUOさんって感じです(^^)

    また、エッセイ書いてくださるのをアテにして、楽しみに待っていますね(^_−)−☆

    あ、独唱ライブならではの曲や新曲も、とっても楽しみにしていまぁすっ♪♪

  • #1

    フェアリー (水曜日, 15 4月 2015 14:36)

    おもしろ〜い(^ ^)
    なんだかんだいいながら、
    ちゃんと「題」に戻ってる。

    今回は読みながら感動してしまって、
    途中で「題」を忘れてました。

    独唱ライブまで、
    あと少し
    涙しながら歌い続けた
    難産の新曲も楽しみに、
    行きまーす(^ ^)ふ

39-三


第39話 「三」      by しまむらかずお


 

「春に三日の晴れなし」

その言葉のとおり、今日も細かな雨が降っている。

 

そう言えば、小さなころ、

私は親父によくこう言われた。「三日坊主」…。

ま、本当に頭は坊主だったけれど。

当時から、飽きっぽかったのかなあ、俺。

やりたいことがいっぱいあって、何でもやってみる。

でも、長続きしない。すぐに他のことに目が行っちゃう。

ま、子どもと言うものは、そういうものだ。

 

けれど、歳を喰ってからも、その傾向は変わらない。

困ったものだ。

いわゆる集中力というものが不足しているのだろうか。

だって、面白そうなものがあると、今やっていることを放り出して、

そっちへ行く…。実に困ったものだ。

 

そんな私が今は、「次のこと」をずっと探している。

けれど、なかなか見つからない。

そんな状態が続いていて、ちょっとイライラしている。

「新しモノ好き」なはずの私が、

その「新しいモノ」に、なかなか出会えない感じなのだ。

「夢」はいつでも見ていたいのだ。

 

NHKの朝ドラの新作、「まれ」が先週から始まっている。

夢ばっかり追いかけて、家族を貧乏にしている父親に嫌気がさして、

その娘の「希(まれ)」は、「夢なんか要らない」と叫び、

ケーキ屋さんへの憧れを打ち消して、「地道にコツコツと」を信条にした。

そんなヒロインが目指すのは「コームイン」。

あらら、こりゃめった。

「夢ばっかり追いかけていたコームイン」だった私は

どないやねん。

ま、人それぞれっちゅうことだわさ。

 

「夢は目標となってこそ、生きがいの対象となるものだ」…。

これは、わが「劇団Kちゃんねる」第5作、

「オーロラの歌が聞こえる」のフィナーレの一節だ。

もちろん、自分が書いたセリフなのだが、

その夢も目標も、何となく見えにくくなっている。

それが今の私の憂鬱感につながっている。

 

でも今、何もやってない訳じゃない。

それなりにせわしく、なんやかやとやっている。

それぞれ、楽しみも喜びも、やりがいももちろんある。

けれど何となく単発型で、短距離走。

大きなもの、遠くに行くもの、続けられるもの、

いわばゴールまで体力の限りを尽くして全力で…

といったような、充足感と達成感が待っているような

そんな目標がほしいのだろうと思う。

ま、贅沢な話だ。

 

「石の上にも三年」の諺のごとく

今やっていることを゛地道にコツコツと“続けることも重要だろうね。

でも、ぜんぜん私には向いてない。

「継続は力」よりも、「変化は進歩」のほうがピンとくる。

新しいものの発見に目を凝らそう。

新しい出会いの物語に期待しよう。

 

それにしても、「三」の数字に関する諺の何と多いことか。

「仏の顔も三度まで」、「三度目の正直」、「二度あることは三度ある」…。

歌の世界にも「三年目の浮気」とかもあるけれど、

何ごとも、「三日、三月(みつき)、三年」で、だいたいの判断はつく。

男女の仲もおよそ、そうらしい。

このまま続けるか、見切りをつけるか、次の段階に進むか、

そんな、何らかの結論を出すのは、

この「三」のつく時期を節目とするのがいいのかもしれない。

ま、余計なことだわさ。

 

「三」はまた、分かりやすい表現に多用される。

「〇〇の三条件」だとか、「三点セット」だとか、何となく馴染みがいい。

「YES」か「NO」かの「二つに一つ」の選択よりも、

三つ目に「どちらでもない」の項目があるほうが私は好きだ。

「好き」「嫌い」だけでなく、「別にぃ…」「今んとこ、どってことないしぃ…」

そんなグレーゾーンがあってもいいだろう。

「♪白黒つけないカフェ・オーレ」のCMに拍手を贈りたい。

ま、そんな曖昧さが、墓穴を掘ることもたまにはあるけどね。

何だか、ごめんなさいです。

 

日本には四季があって、

それも三か月ごとに巡るもの。

今は春。

すべての草木が芽吹き、

新しい緑の葉を広げている。

2015.4.10

 


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コメント: 3
  • #3

    カフェオレ (金曜日, 10 4月 2015 21:56)

    三というか、この一文字からエッセイにしちゃうKAZUO三、さすがです(^^)

    私も友だちと、よく話題にします。
    「三年先の○○さんはどうしてる?」
    未来系でなく、現在形で話してもらいます。

    「三年先のKAZUO三はどうしてますか?」
    三年先の現在形でお答えくださいね(笑)

    あ、エッセイコメントには返信ないんでしたね(笑)
    でも、投稿御礼コーナー、ありがとうございます♪♪

  • #2

    月のうさぎ (金曜日, 10 4月 2015 15:48)

    新しいNHKの朝ドラ
    そんな内容だったんですね!
    「まれ」
    夢ばっかり追いかけている父と
    夢なんかいらないと、
    コームインを、目指す娘
    どうなるんでしょう???

    コームインをしながら
    夢を追い続けていた
    KAZUOさんの
    エッセイで知ったからには
    録画してでも
    行く末を見守らなくっちゃ (^_^)

    三ヶ月は楽しめますか?

  • #1

    フェアリー (金曜日, 10 4月 2015 15:00)

    「夢は目標となってこそ、生きがいの対象となるものだ…」
    かっこイイですね。
    そんなセリフが湧いてくる
    KAZUOさんですから、
    やっぱり
    次は何が生まれてくるのかな〜?
    って期待してしまいます (*^^*)

    桜も、葉桜
    新緑が眩しい季節になります。

    新しい出会いがあると
    いいですね。

38-木蓮


第38話 「木蓮」   by しまむらかずお

  

木蓮の花が咲いた。

桜よりも早く咲いた。

そして桜よりも早く散りかけている。

 

庭に隣家の一階の屋根を超えるほどの木が一本ある。

親父が植えた木なのだが、残念ながら私は、植物にも食物にうとい人物。

余りにも大きくてきれいな色の花が咲いたので、思わず「これ何?」と訊いた。

「モクレンよね」との答えだった。

「そうかあ、これがモクレンかあ」…

しみじみと高い木に咲く花を仰いだ。

 

木蓮は桜と同じように、葉よりも先に花が咲く。

春先の青空に向かって薄いピンクの花が開く。

その花びらは赤紫の花を包んでいる。

「シモクレン(紫木蓮)」というのだそうだ。

真っ白いのは「ハクモクレン(白木蓮)」と呼ばれている。

 

そうだ、写真撮っとこ、と思っているうちに、

たった3日でパラパラと一気に落ちた。

カメラを持ち出す間もなく、

すべての花が落ちてしまいそうだ。

 

「逢いたくて逢いたくて、この胸のささやきが…」と歌う、

スターダスト・レビューの名曲、「木蓮の涙」とは、

このパラパラと一気に落ちる花びらのことなのだろうか。

その歌は愛しい人を亡くしてしまう歌なのだが

そう思って見ると、その重たい哀しさが、さらに増す気がする。

 

先日、高知城へ花見に行った。

と言っても、お弁当下げての軽い遠足のようなもので

クルック・ソングメイツの子どもたちと一緒の、ささやかな集まりだった。

お城の桜はまだまだで、今ひとつ気分は盛り上がらなかったが

みんなで輪になって食べるお弁当は、とてもおいしかった。

 

クルックとの付き合いはもう4年になる。

当時、彼女たちの大半は小学校2年生。
まだまだちっちゃくて可愛くて、一緒に手をつないで歩いてくれた。

それがもうすぐ6年生。もう近寄ってもこない。

しょうがないけど、ちょっと淋しい。

 

あと1年もすれば中学生になって、ヒダヒダのスカートをはく。

もしも超ミニの私服で集まったりしたら

今度はこっちが近寄れなくなりそうだ。

難儀やなあ…そんな予感がする。

 

そのあとは、月に一度開いている「K’sシアター」。

今回は、昨年の3月に公演した「ミュージカル桜咲くころ」を上映した。

出演したクルックたちも親たちも、もちろん一般の方々にも、

2時間20分もの劇を見ていただいた。

 

あれから1年…。

大型スクリーンで見る舞台は、どんどんと自分に迫ってくる。

自分で作ったものなのに、何度も泣きそうになった。

後で聞いたら、みんなも泣いたそうだ。

特にその親たちは、始まってすぐから号泣したという。

「何べんか見てるのに」「ストーリーは分かっているのに」と話してくれた。
「最初は我が子ばかりが気になっていたけれど」

「見るたびに視点が変わって、より深く感じることがある」

何より、「あの日のことも、あの日までのこともよみがえってくる」

そう言って、赤い目をこすった。

やって良かったな。そう思った。

 

振り返るのが苦手な私だけれど

こうやって自分の来た道を、みんなと一緒に再度歩く。
結構いいものだと思う。

 

人は何度か立ち止まり、振り返るときがある。

しかし、あの頃は良かった、で終わってはならない。

あの頃はあんなに輝いていたのに、などと思いたくはない。

あれがあったからこそ今がある。
みんながいてくれたから今がある。
それを感じ、それを確認するための振り返りでありたい。

その確認が出来たなら、
もう一度前を向いて、歩き出せばいい。
過去を、背中を押すチカラにして、

胸いっぱいに新しい空気を吸い込んで

新しい一歩を踏み出すのだ。

 

木蓮の花言葉は、自然への愛、

そして、持続性なのだそうだ。

2015.3.30

 


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コメント: 3
  • #3

    フェアリー (水曜日, 01 4月 2015 23:01)

    今更ながらに・・・
    (しまむらさんの歌ではないですよ
    (^ ^))
    木蓮が
    好きになりました。

    ほぼ裸の様な木に
    突然 大きな花がボン!
    と付いて、なんだか情緒の無い花だなぁ
    というのが、
    これまでの私の見方でした。

    でも Facebookの写真を見ると
    セクシーな花ですね,

    3日程咲いて一気に落ちる。
    だからこそ、懸命に綺麗に生きる
    (咲いて魅せる)
    のでしょうか。

    だからこそ
    見る側も心に残る、いや残したい
    思いで見るのでしょうか。

    輝かしい日々を一生懸命作ってきた
    そして生きてきた人は
    これからもその宝を胸に
    また輝く日を夢見て
    努力が出来ますよね。

    努力の先の喜びを
    知っているから。

    そんな時を過ごさせてくれた
    しまむらかずおさんに
    感謝です。

  • #2

    レッド (火曜日, 31 3月 2015 08:58)

    「ミュージカル桜咲くころ」
    もちろん、東日本に想いを馳せることもあるでしょうし、それぞれの心の中でいろんな感情や思いを持ち、明日へとつなげていく…。

    目で耳で心で再三考える機会を形に残してくれたKAZUOさん。
    その製作にあたって関わった、出演者やスタッフのみなさま方。

    改めて、いろんな感謝を感じます(^^)

    ではでは、モクレンや桜を見つけながらの、車移動に出発しまぁす♪♪

  • #1

    あっぷる (火曜日, 31 3月 2015 01:18)

    「逢いたくて逢いたくて…。」
    の方が、
    「会いたくて会いたくて…。」
    より思いが深く感じるねぇ、なんて話した高校時代を思い出しました(笑)

    「モクレン」、それこそ、この3月上旬に、「この花は何?」と尋ねたら、「名前は耳にしたことあると思うで、モクレン。」と言うので、匂いを嗅ごうとしたら、「もしかして、モクセイと勘違いしてる?」と言われました(笑)

    で、KAZUOさんのエッセイも、お花見と、「ミュージカル桜咲くころ」へと続いていく訳ですが…。

    いつもながら、場面の見えるエッセイをありがとうでした。
    読み終わって、「ずっとずっとの物語」の歌詞も思い出しました。
    「♪それは忘れないで、でも、振り返らないで、ずっとずっとと、歩いて行こう〜♪」でしたっけ?

    さてさて、支離滅裂になりましたが、私も、前を向いて歩いて行きます(*^^*)

37-卒業

 

第37話 「卒業」   by しまむらかずお

  

 

もう3月も終わる。

高知城の桜もようやく咲いて、まもなく4月。

新年度が来る。卒業・進学・就職など、新しい一歩を踏み出す時期だ。

フェイス・ブック上でも、このところ

沢山の晴れ姿の写真がアップされ。

親の喜び、子どもの笑顔、友だちへの祝賀のメッセージなど

咲き始めた桜のごとくに春らしい風景が満載である。

 

先日、私は

朝、少し早起きして車で1時間余りの四万十町に向かい

同町の川口小学校の卒業式に行って来た。

 

卒業生7人のとっても素敵にこじんまりとした

心温まる素朴な卒業式。

私は久々のネクタイに気をとられつつ来賓の席に座った。

考えてみればその種の式に参列するのは5年ぶり。

新鮮な気持ちで姿勢をただして

90分ほどのセレモニーを味あわせていただいた。

 

この子どもたちに会うのは5回目となる。

去年の6月、「やさしくなろうコンサート」に招かれたのが最初だった。

いつものように自作の歌を歌いつつ語り進めたが

低学年の子どもも一緒のコンサートなので

何曲かは一緒に歌うなど、それなりに配慮したプログラムにしてあった。

 

それが驚いたことに

全校生徒50人ほどの学校にも関わらず

返ってくる声が大きくてものすごく元気なのだ。

その他の町でも同じようなことはするのだが

この学校の子どもたちは際だっていた。

それは、いわゆるノリで大声を出しているのではなく

しっかりとした歌声が舞台にまで返ってくるのだ。

本当に感心したし、嬉しい感動も感じたことだった。

 

プログラムの中で、東日本大震災で避難中の

子どもたちの歌、「前へ…」を歌った。

これは福島の子どもたちから送られた詩を歌にしたものだった。

胸いっぱいになって歌い終えたあと、みんなに語りかけた。

その歌が生まれたきっかけを話したのだったが

ふっと、「みんなの歌もあったらいいよね」と、言ってしまった。

 

1列目に陣取っていた1年生から声が上がった。

「うん、つくってー」。

その直後、全員の拍手がその後に続いた。

「ほんとー?」と、ややひやかしぎみに私。

「うん、ほんと、ほんと」と声が上がり、

さらに大きな拍手が今度は長く大きくなった。

あとに引けなくなった。

 

その数日後、校長先生からのメールにはこうあった。

「ほんとに作ってくれますか? 子どもたちが詩を書いています。」

「近々送ります。どうぞよろしく。」

 

さらに数日後、6年生の子どもたちの詩が送られて来た。

テーマは「川口小学校の友だち」だった。

「優しい友だち 面白い友だち 静かな友だち 少し苦手な友だち…」

実に正直で素直なそのまんまの詩。

その中には、「川口の仲間は宇宙一のともだち…」と

ふっとニヤけてしまいそうで嬉しくなるフレーズも。

 

元気な子どもたちの顔を思い浮かべながら歌にした。

ややカントリー系のシャッフルの効いた楽しい曲になった。

軽快なバックをつけて歌を吹き込んで

CDにして学校に送った。

 

そののち、町の合同演奏会で歌うと聞いて

「歌の練習に」と理屈をつけて子どもたちに会いに行った。

大きな拍手で迎えてくれた。みんな嬉しそうだった。

特に、詩を書いた6年生たちはちょっと胸を張った感じで

声を合わせて歌ってくれた。

体育館中にその歌声が鳴り響いた。

心から、「良かった!」と胸をなで降ろした私だった。

 

改めて、「かわぐちフレンズ」と名付けられたこの曲は

学校内や地域のイベントでも盛んに歌われた。

合同演奏会でも堂々と「自分たちの歌」を歌った。

大きなホールの席で私も聞かせてもらったけれど

どんどんと「いい歌」に成長していく、そんな感じがした。

 

さらに驚いたことがあった。

「関西フィルハーモニー」がこの曲を演奏する…

そのニュースが飛び込んで来たのは今年に入ってからだった。

文部省主催の訪問事業だった。

 

もちろん、四万十町まで車を走らせて見に行った。

舞台いっぱいに管弦楽器を持った方々で埋め尽くされている。

客席も川口小の子どもたちをセンターに、各小・中学校の生徒たちで満員だ。

よく知られたクラシック音楽を楽しい解説入りで演奏がされた。

やっぱり生のオーケストラはいい。

響きが違う。繊細さが違う。迫力が違う。

 

プログラムの最後に「かわぐちフレンズ」が演奏された。

自分の曲が、フル・オケで演奏されるのはもちろん初体験。素晴らしい。

川口の子どもたちも大きな元気な声で歌った。

舞台に向かって歌ったので、いわば後ろ向きだったのに、きっちりと響いた。

思わずじんわりと泣きそうになった。

子どもたち一人ひとりとハグしたいほどだった。

 

そのあと、関フィルの方とお話していたので

子どもたちとはそのまま話もできずに、その日は終わった。

だから余計にあの子たちに会いたくて、卒業式に行ったのだった。

君たちのお蔭で、こんないい思い出が出来たよと、お礼が言いたかった。

 

卒業式の日、彼らは既に少し大人になっていた。

高知市内の卒業式は私服がほとんどで

AKBぽいものから袴姿まで様々に着飾って晴れの日を迎える。

川口の子どもたちは、男女とも中学校の制服で現れた。

しっかりした口調で、これからの頑張りを誓った。

何度も拍手しそうになった。

 

それにしても、卒業というのは、

祝うべき日なのに、どこか淋しい。

次の始まりなのだけれど、やはり終わりの日でもあるからだ。

いつまでもそのままで、とか、可愛いままで、とかは

こちら側のわがままだ。

大きくなれと願いながら育てて、大きくなったらちょっと淋しい。

親たちも同じ気持ちだろう。

卒業と言う切れ目がなければ、大きくならないのかもしれない。

 

ひるがえって、自分の卒業って、これから先、あるのだろうか

などと思ってしまった。

人生の終わりが卒業だなんて考えたくもない。

今さら就職なんぞしたくもない。

そうだ、またどこかに入学すればいいのだ。

でも、それもなんだかしんどいなあ。

 

さて、どないしょう。

自分で何かの学校をつくろうか。
あ~あ、それもまた、もっとしんどいなあ。
でも、何かをしたい、始めたい。

私もあの子たちのように、

はつらつと新しい道に踏み出したい。

 

またまた始まる自分探し。
困ったもんだ。

2015.3.24

 


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コメント: 4
  • #4

    月夜のピアノ (日曜日, 05 4月 2015 07:21)

    亀レス失礼します。
    モノを作ることは一人で作ってもそれはとても楽しいことですが、自分が作ったものに自分以外の人の手が加わり、より良いものに成長していく過程を目の当たりにするのも、また醍醐味ですよね。今回、加わった人が、未来への力を秘めた子どもたちだったり、別ジャンルの音楽を極めたプロフェッショナルだったりと、音楽家にとってはこれ以上ない贅沢だったのでは?。
    私もぜひ聞きに行きたかったです。(><)
    子どもたちが絡むと俄然やる気がでるタイプなので。自分ちの卒業式で今年はハジけましたよ。(笑)

  • #3

    sakura (水曜日, 01 4月 2015 22:40)

    卒業…
    ただ時が流れても
    その日を迎える事は出来ます。
    でもそれは
    寂しい卒業だと思います。

    何かに出逢えて
    一生懸命取り組んで
    やりきって
    自分から迎える 卒業

    だとしたら
    きっと晴れやかな日となる事でしょう。

    そうしたら

    また
    新たな出会いの、予感がしませんか?
    そんな生き方が出来たら
    幸せですね(^ ^)

  • #2

    神野 博敬 (火曜日, 31 3月 2015 22:59)

    しまむらさん
    本当に素敵な曲をありがとうございました。
    しまむらさんとは、何か不思議な縁を感じております。出会いに感謝しております。多分、川口小学校の子供たちも同じだと思います。

    ケーブルテレビの放送をダビングしたDVD.必ず、お送りしますので、もう暫くお待ちくださいませ〜♪(^-^)/

  • #1

    あっぷる (火曜日, 31 3月 2015 01:40)

    ほっとにゅー、3/24?

    毎日、ホームページと、管理人室からを、見ているつもりだったのに、ウカツでした(笑)

    読みながら、一緒に時を過ごさせていただきました。

    卒業…。
    独身で保育士をしていた時は、卒園式は、「別れ」だったように思います。
    自分の子どもの卒園式の時は、次へのステップへの節目で、「旅立ち」、前向きさを感じました。

    いつもながら、KAZUOさんのエッセイを読んで、そのままも感じるし、連想ゲームのように、自分の心のどこかにスイッチが入ることもあります。

    卒業…。

    この言葉の意味…、保育士でも保護者でもない、今の私なりの解釈を考えてみたいと思います。

    「別れ」でもなく、「旅立ち」でもなく、さてさて、、、。

    (*^^*)

36-春雨

 

第36話 「春雨」   by しまむらかずお


 

「春雨(はるさめ)」とは、

豆やイモから採取されたデンプンを原料とした

アジアの乾麺…

 

いや、そうではなくて、

文字通り、春先に降る雨のこと。

 

昨日、今日と続いた雨は、

「一雨ごとに春が近づく」の言葉のごとく、

本格的な春の到来を実感させるほどに温かい雨だった。

 

雨は、どちらかというと陰湿なジメジメした印象だが、

この「春雨」だけは、何となく嬉しさを運んで来そうな感じだ。

別名、「桜雨」とも呼ぶ、実に温かな風情のある雨である。

 

そんなふうに、この国には、

「雨」には、季節感あふれる様々な呼び名がある。

菜種梅雨(なたねづゆ)、五月雨(さみだれ)、

米糠雨(こぬかあめ)、氷雨(みぞれ)など、

雨粒の大きさやその温度まで感じさせる呼び名がある。

そんな日本語が私は好きだ。

 

「春雨」という言葉を知ったのは、映画からだった。

時代劇全盛の頃、要は私の少年時代。

二枚目の大スター、大川橋蔵が演じる「月形半平太」をナマで見た。

 

幕末もので舞台は春先の京都。

ほろ酔い加減で料亭の外に出た半平太。

見送りに出た芸妓・雛菊との会話。

雛菊、ふと片手の掌をかざして天を仰ぎ、「月様、雨が…」と、

傘を開いて差しかけようとする。

半平太、少し空を見上げるが、構うことなく、「春雨じゃ、濡れてまいろう」と、

内袂に手を入れ直し、ゆったりと歩を進め、夜の町に消えてゆく。

かっーこっいいー。

 

実はこの半平太は、実在の人物ではない。

大正時代に旗揚げした「新国劇」の創作で

福岡藩士の月形洗蔵と、土佐藩の武市半平太をモデルにしたという。

同時期に上演され、人気を博した、「赤城の山も今宵限り…」で知られる

「国定忠治」とともに、同劇団の当たり芝居となった。

 

このお芝居はその後、何度も映画化された。

「無声映画」の時代には、「バンツマ」と名高い阪東妻三郎らが演じ、

「トーキー」の時代には、嵐寛寿郎、長谷川一夫、

「総天然色」となってからは、市川右太衛門、大川橋蔵ら、

名だたる男優がこぞって半平太を演じた。

私はこのスターたちを全部知っている。

それほどに映画が好きだった。

 

私の映画好きは今も変わらない。

ちょっとヒマになったり、ちょっと行き詰ったりすると、

「何かいいの、やってないかなあ」と、新聞の映画欄を開く。

芝居をこしらえたり、歌を書いたりする自分だが、

たまに、人のつくったものが見たくなる、そんな時がある。

別に、参考にするとか、勉強だ、などと思ったことはない。

単に、(楽して)楽しみたいだけだ。

 

それでも、作品によっては、

「えっ?そっちへ行っちゃう?」とか、「それ、甘いでしょ!」などと、

ツッコミを入れたくなることもあって、没頭できない時もある。

ま、それは面白くない、ということだと思う。

 

逆に、「おっと、そう来たか」とか、

または、ただただ画面に惹きつけられて、我を忘れる…

そんなのにあたると、本当に嬉しい。

来て良かったと、噛み締めながら外に出る瞬間が何よりもいい。

自分のコンサートの時にも、みんなにそう感じてほしいものだと、

いつも願っている。

 

このところ、連続して映画を見た。

それほどヒマでもないのだが、疲れていたらしく、

歌も産気づいてこないし、モノを書く気も失せていた。

映画を見たことで、少し元気になったようだ。

このエッセイを書くに至っているのがその証拠。

 

人間が人間を描く。

それを見た人間が自分を描く。

そんな感じだろうか。

 

今日の雨は、夕方になって上がった。

ここ数日を過ぎると、一度は冷え込むのだそうだ。

そんな、「寒の戻り」と呼ばれる寒い日が来て、

ギュッと桜の蕾は固くなる。

そして次の晴れの日に、一気に花開くのだ。

 

一度寒い日がないと、

花は一気には開かないのだそうだ。

高知の桜の開花はもうすぐだ。

2015.3.20

 

 

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コメント: 5
  • #5

    sakura (火曜日, 24 3月 2015 00:40)

    私も映画大好きです。

    ドキドキしたり、ハラハラしたり
    時には恋したり

    振り返るとたった2時間なのに
    別世界に連れていってくれる。

    あの感覚
    好きですね。

  • #4

    フェアリー (火曜日, 24 3月 2015 00:23)

    雨はあまり好きではなかったけど、
    聞いた事がない雨の名前を調べていると
    こんなコメントがありました。

    春から夏にかけては、植物にとって成長を促す大切な雨が降ります。

    「菜種梅雨」とは、菜の花が咲くころ降る雨で、菜の花をはじめ色々な花を催す(咲かせる)という意味で、「催花雨(さいかう)」という別名もあります。と。

    なんか素敵だなって思いました。

    そう言えば
    確か レインマンも
    人の成長を促していましたよね。

    雨って大切だなぁ。






  • #3

    花ちゃん (金曜日, 20 3月 2015 10:50)

    「春雨じゃ、濡れて参ろう」かっこいいー。
    とても分かりやすい文章で、スラスラ頭に入って来ました。
    なるほど、なるほどー。と、思いながら。
    春は別れもあり、出会いの季節でもありますね。
    妹は春から高校生になり、また新しい世界と出会います。
    しまむらさんの春は、どんな出逢いがあるでしょうか☻
    歌が産気づくような、春先の桜のような、キュッとなってパッと開く、素敵な何かがありますように...☆ミ
    それでは!
    春雨じゃ、濡れて参ろう。

  • #2

    ぴあの (金曜日, 20 3月 2015 10:01)

    私も、昨日、雨を見上げて、
    「濡れてまいろう。」
    て、あったよね、と思ってました。
    実際の映像は見た事ありませんが、このセリフを言いながら、
    かっこよく去って行く人は、何度か見かけました。
    それほどに、印象的なセリフ、場面なんでしょうね。
    確かに、昨日の雨は、暖かく、明るい、優しい雨でした。

  • #1

    あっぷる (金曜日, 20 3月 2015 09:50)

    「春雨」…、雨を連想しながら読み始めたら、早速にフェイント(笑)

    さすが、つかみのKAZUOさん♪♪

    「桜雨」…、初めて聞きました、素敵ですね。

    その後に続く「雨」も、初めて聞いたり、または、こんな漢字を書くのかぁと、納得したり。

    さすが、雨男のKAZUOさん(笑)

    いえいえ、最近は雨男返上中のKAZUOさん、やっぱり、映画とかお芝居に話が移行していくんですよねぇ。

    うんうん、フムフム、なるほどぉ…、いろいろ、ありがとーでした(^^)

    そしてラスト…、寒い日があるからこそ、綺麗な花が咲く…、そう思うと、心の寒さも楽しめそうですね(笑)

    エッセイ、ありがとうでした(^^)