エッセイ・コーナー  KAZUOは要りませんか?

しまむらかずおが描くつれづれ(その6)  第26話~第30話

26-30 写真
30-ブリコ


第30話 「ブリコ」  by しまむらかずお

 

 高知市北部にあるホームセンターの老舗、

「ブリコ」が今日、閉店した。

高知で最初のDIYの店として誕生。

以来39年になるのだそうだ。

私にとっては愛着のあるお店だった。

 

おととい、通りすがりにその店に入った。

閉店セールですべて半額とある。

とりわけ必要とするもののないまま買い物カゴを下げた。

すでに棚はガラガラ。めぼしいものは残っていない。

それでも店内をくまなく見て歩いた。

 

場所は高知駅の北。

このエリアに私は少年時代から住んでいた。

この店で本当に沢山の買い物をした。

新婚の頃も何度も通った。

大工道具も棚板も、家具用の木材もカー用品も。

コンサートの舞台美術の材料も、ありとあらゆるものを買った。

本当にお世話になった。

 

やや淋しさを感じながら、何か買いたかった。

そうだ思い出したとばかり、小さなボルトを買った。

そしてもうひとつ、何にもない棚にポツンと売れ残ったコーヒ-トレイ。

それを「最後の買い物だな」とつぶやきながら記念品のように買った。

もちろん半額で。

 

お金を払いながら、レジの年配の女性に声をかけた。

「もう閉店ですねえ。」

「はい…」と少し淋しげだった。

「後はどうなるんですか?」

「はい、取り壊してサラ地になります」

「へえー、で、その後は?」

「いえ、まだ何にも決まっていません。」とのことだった。

 

このブリコがこの地にオープンしたのは39年前だが

実はその前のことも私は知っている。

まだ私が高校生だったころ、

この建物はなんと、アイス・スケート場だった。

もちろん高知唯一。

なけなしのお小遣いをはたいて

通い詰めたものだった。

 

生意気にもスピードスケート用のシューズを履いて

ちょっとその気になってリンクを周っていたものだ。

今でもあのひんやりした場内の空気をはっきりと覚えている。

その後、一時期、ボウリング場も併設したが、ほどなく閉場。

そして、大きな文字で「ブリコ」とペイントされた店が開店したのだった。

「家一軒建てれる」と言われるほど、品揃えは幅広く画期的だった。

私は大のブリコ・ファンとなった。

 

最近では同様のホームセンターも出来、大手のチェーン店も進出して

珍しくなくなった。

自分で作る、自分で直すよりも、買った方が安くて楽な時代になった。

それに老朽化が加わって、閉店は仕方ないのかも知れない。

 

またひとつ、馴染みの店が消える。

この場所に限らず、思い出の場所が、サラ地になったり空き地になったり、

100円パーキングになったりして、淋しい限りだ。

時の流れというものは、結構むごいことをするものだ。

 

高度経済成長と呼ばれた時代

何もかもが壊され過ぎて、造られ過ぎた時代、

私たちは、新しいものを追い求め

便利なものを追いかけた。

そこに豊かさを求めていたからだったが、

僕らよりも先に生まれた人たちは、もっともっと淋しい気持ちで

町の変貌を見ていたに違いない。

 

あの大きな建物が取り壊されて、だだっ広い空き地になった頃

私はどんな思いでその場所を見つめるのだろうか。

若き日は遠去かり、目を閉じることでしか見えない景色になるのだろう。

そしてそのうち、何も思い出さないようになるのだろうか。

何だか悔しい。

 

町には、あらゆるところに思い出がある。

たとえカタチはなくなってしまっても

そこで出会った人たちと、そこから生れた物語を

できればできれば、忘れたくないものだ。

 

何だか胸が苦しい。

2015.2.1


 

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(注)文章の内容がこの欄にふさわしくない場合には、掲載しない場合があります。ご了承ください。

コメント: 5
  • #5

    カノン (火曜日, 03 2月 2015 19:28)

    D.I.Yってショーゲキでしたよね!
    それまでの看板って、
    何屋さんか分かる為のもの
    だったのに、
    鮮やかなブルーに白抜きで
    大きく“D.I.Y"
    なんのこっちゃ???
    子どもながらに口を開けて
    ブリコ吉田店を見上げました。

    斬新だった物も、時の流れと共に
    古くなって
    無くなってしまうんですね。
    寂しいなぁ。

    そう言えば、最近よく
    「あれ?ここの空き地、何があったっけ?」
    って話になります。
    形あるものは、いつか古びて
    壊されてしまうでしょうけど、

    一度 大切!って思った
    人の絆はいつまでも
    大切にして行きたいですね。

  • #4

    あっぷる (月曜日, 02 2月 2015 20:36)

    アイススケート場、行ったことあります♪♪
    その後が、ブリコだったんですかぁ⁉︎

    私も、ここのブリコ、大好きでした(^^)
    珍しい家庭用品もあり、けっこう通ったものです(^^)

    KAZUOさんのお庭のレンガも、ブリコで購入したんですか?
    あ、エッセイコメントには、返信ないんでしたね(笑)

  • #3

    土佐のおんちゃん (月曜日, 02 2月 2015 15:21)

    今までは、自宅を訪ねられると介良のブリコの・・・と答えると
    すぐに通じ合えたものですが、これからは、目印が無くなるのが
    非常に困るし淋しいし・・・時代の流れかぁ

  • #2

    ぴあの (月曜日, 02 2月 2015 12:37)

    私も、最近毎日通る道にできただだっ広いさら地を、
    そこだけ、音のない、違う空間があるみたいだなと、思いながら見ています。

    違う建物ができてしまうと、やっぱり忘れられるスピードは速いように思います。
    でも、さら地のままの姿をみると、余計に思い出してさみしさを感じます。
    だからせめて、また新しく、人が出会う場所、思い出を紡ぐ場所となってほしいなと思います。

    ずっと思い出していたら、忘れない。
    知ったばかりのフレーズをつぶやいてみます。

  • #1

    ちえみ (月曜日, 02 2月 2015 01:56)

    私も淋しく感じます。小さい頃から実家で一番近いホームセンターが高知市北部のブリコだったのでよく親に連れられて行きました。園芸系から日用雑貨それから、私達姉妹の夏休みの宿題の工作の材料も買ったのを覚えています。
    父からも昔ブリコの前はスケート場やボーリング場だったと聞いた事があります。「さて、ブリコの次は何が来るろか?」と先日話していたばかりでした。さら地になるんですね。

    普段からあったものが急に無くなる。まるでそこだけポッカ穴が空いた気分ですね。

29-芝居


第29話 「芝居」   by しまむらかずお

 

 このところ私の周りが妙に芝居づいている。

ん?どーいう意味?って思うでしょねえ。

周りの人が演劇関係者で埋め尽くされている、というのではなく、

はたまた

周りの人たちがこのところ嘘っぽい、というのでもない。

ともかく

去年の秋ごろから、私に「お芝居が近づいて来ている」のだ。

 

この欄でも「選ぶ」のテーマで書いたが

昨年11月の「高知県高校演劇コンクール」の審査員を務めて以降

やたらとお芝居が接近して来て、というか

降るようにそれに接触する機会が増えた。

まるで私自身が演劇界にいるような錯覚がするほどに。

 

30年も前にお世話したプロ劇団もこの冬に高知に来演し

当時からの役者さんたちとも再会を果たしたし、

同劇団の新作劇への挿入歌の制作が依頼されたり…

ほらね、お芝居が私に近づいて来ているでしょ。

 

とはいえ、こちらからも近づいているも事実だ。

先日、市内の老舗の喫茶店にできたシネマホールで

お芝居のDVD上映会を開いた。

題して「K‘sシアター」。

10数年前にやっていた「劇団Kちゃんねる」のVTR上映だ。

 

特大のスクリーンに映し出された役者たちは、ほぼ原寸大。

3Dとは行かないが、結構リアルに芝居が観れる。

見に来ていただいた皆さんからは、

一様に「良かった、感動した」との声をいただいた。

近くの学校の演劇部の皆さんも多数参加してくれた。

何かの力になれば嬉しいと思う。

 

第1回の演目は「ソング・オブ・メモリー」。

下界と天空との間にある「中空」を舞台に描いた作品である。

私自身の5作目にあたるもので

若い役者たちのテンポのいい芝居に仕上がっている。

 

ま、今となれば、ちょっと、もたついてるかな、とか

いろいろ感じないではないが

「あの時の精一杯」だったと開き直って、私も観た。

面白かった。

 

それにしてもみんな若い。

当たり前だけど、若い。

こんなにもイキのいい男たちや女たちが

よくも揃ったものだと、改めて思う。

 

それと、2時間もの台本をよく書いたなあ、と自分でも思うし

いわゆる「アテ書き」と呼ぶ、役者に合わせて役を作りセリフを与えるのだが

それもよくできているなあ、と我ながら思う。

それができるほどに、その人たちと深く交わっていたのだろう。

 

当日は当時の役者たちも数名参加して、上映後、舞台に立った。

何とも嬉しそうで、上気したおしゃべりが楽しかった。

共に過ごした一時期が何より愛しい。

 

とはいえ、この上映会は単に過ぎ去ったものを懐かしむのではない気がする。

私にもよく分からないが、その芝居を見ていると、何だか元気になれるのだ。

どうしてなんだろう。

きっとみんなが一生懸命だからだろうと思う。

 

お芝居は、映画と違って、始まったら止められない。

「カット!」の声はかからない。「テイク2」はあり得ない。

ノン・ストップのワン・テイク。

その点、ライブとスタジオ録音との違いと似ている。

 

セリフが飛んでも、何とかつなげねばならないし

たとえば、着替えが間に合わなくても、

やり直しはきかないのだ。

一緒にその時間を作り上げてゆく、その一生懸命さが

時を超えて、甦ってくるのだ。

お芝居の魅力はまさにそこにある。

 

Kちゃんねるは、いい劇団だった。確かにそう思う。

旗揚げは1998年。端からピア・ステージの大舞台。

スケール感を大事にする劇団だった。

最大時25人の団員数は、県下随一。

照明の活用、音楽の多用など

他では見られない異空間を作り上げるのが信条だった。

 

芝居もコンサートと同様に

やや非日常の時空間を創出したいと私は思っている。

物語もひと言で言えば「あり得ない」設定を好んだのはそのせいである。

「面白い・分かりやすい・心に残る・元気になれる」お芝居を、

というのがモットーだった。

だから、なんやかんやと起伏はあれど、最後はきっちりと解決して

ハッピーエンド、かつ、大フィナーレに向かう。

ホールの外へ出たとき、みんながいい顔になれる…

そんな時間を作りたかったのだ。

 

結局、Kちゃんねるでは、5年間で9公演。

うち、5本は私が書き下ろしたものだった。

それらの作品を順次、「シアター」で見ていただくことにしている。

 

次回は、2月21日。

上映作品は6公演目で人気のあった「オーロラの歌が聞こえる」。

これもまた、ちょっと不思議な物語。

どうぞ、ご覧いただきたい。

2016.1.31

 

 


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コメント: 3
  • #3

    sakura (火曜日, 03 2月 2015)

    一生懸命っていいですね。
    テイク2の無い世界で、
    役者の皆さんは
    仲間を信じ、成功を夢見て、
    自分の役割を果たさんと、
    懸命に取り組まれたんでしょうね。

    大きなスクリーンに、映し出された
    ほぼ等身大の役者さんは、
    とても活き活きと
    その役を生きてました。

    終わってから、
    何人かの役者さんが
    お話をしてくださいましたね。
    ちょっと恥ずかしくて、
    でも仲間と過ごした素敵な思い出で。
    だから、久しぶりに会っても
    すぐに当時の仲間に、戻れて。
    羨ましく思って見てました。
    また来てくださいね(^ ^)

    台本に、演出に、音楽に、舞台のセット…

    島村さんから産まれてくる
    無限大の才能の上映会

    「オーロラの歌が聞こえる」
    非日常に浸れる事を楽しみにしています。

  • #2

    土佐のおんちゃん (月曜日, 02 2月 2015 15:33)

    やっぱり、Kちゃんねる劇団の、”楽しく、そして真剣に・・”的なところに
    惹かれます。

    次回の上映作「オーロラ・・・」めっちゃ楽しみにしています

  • #1

    あっぷる (日曜日, 01 2月 2015 06:16)

    エッセイのKAZUOさん、お久しぶりです(笑)

    大画面での「ソングオブメモリー」、大感動しました(^^)
    途中から、主人公のまことさんになって見ていた気がします(^^)
    アナログっぽいからこそ、感情移入が容易だった気がします(^^)

    先日の明け方、珍しく夢を見ました。
    「おばあちゃん、明日は百歳の誕生祝いするきね。」と言われて眠りについた次の朝のシーン。
    場所は天国でした。
    この世で大好きだった方たちが、拍手で私を迎えてくれました。
    「百歳まで、○○○○○をがんばってきて偉かったねぇ。」って迎えてくれた笑顔が、とってもとっても素敵でした。
    「えー⁉︎寿命分のお芝居だったの⁉︎」って、驚いたことでした(笑)

    「人生は出会いの作る物語」の名言を持つKAZUOさん。
    「面白い・分かりやすい・心に残る・元気になれる」、ケイズシアター、次回も楽しみにしています(^^)

28-青天


第28話 「晴天」   by しまむらかずお

 

 

今日はいい天気。

空は青く晴れ上がり、

住宅の屋根はまぶしい陽光に輝いている。

夏の晴れよりも冬の晴天の方が

より青色が深い気がする。

 

こんな日は何だかどこかへ出かけたくなる。

不思議なものだ。

どんよりと曇った日は、何にもしたくなくなるものだ。

やっぱり我々人間も自然の中の自然な生き物なのだろう。

とはいえ、ちっとも自然には生きられないけれど。

 

明日は、阪神淡路大震災から丁度20年の日。

自然の大きな動きには逆らえない人間の暮らし。

そんな時にしか、我々の「小ささ」が分からないというのは

哀しいものだ。

 

明日は沢山の人々の命日。

なかなか普段は身近には感じられないが

こんな日こそ、顔も知らない人々だが

目を閉じて、その人や周りの人たちのことに思いを馳せつつ

手を合わせたいと思う。

 

晴天の霹靂(へきれき)という言葉がある。

急に轟く雷鳴のことだが

平穏無事なところへ突然大きな異変が起こること、

予想もしないことで驚愕する、といった意味に使われる。

予想の範囲、計画通りにことが進むというのは

当たり前のように見えて、実はとっても「貴重な偶然」なのではないかと思う。

 

そんな中、カレンダーに年末までのスケジュールを書き込む私たちは

実に平和な信者である。

何が起こるか分からない、自分がどうなるのかも分からない。

周りがそのままとは限らない。

にもかかわらず、予定を立てる私たち。

未だ来ない未来を先取りするかのように約束を取り付ける。

「明日はきっと来る」、「明日は多分晴れる」…

「明けない夜はない」「止まない雨はない」…と

私たちは未来への願望を、自らのよすがとして生きている。

 

4年前の東日本大震災以降、今後の大災害の備えにと

防災知識の啓発や防災組織の構築、また、その訓練が盛んに行われている。

郷土出身の物理学者、寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやってくる」と言った。

「ずっと忘れないでいる」というのは至難のワザだ。
私たちは、自然の脅威をヨソごとにして、不運な事故の可能性を人ごとにして、

なぜか「自分たちは大丈夫」と、理由もなく自らに言い聞かせ

それらを素早く忘れることで今の平穏を保っているからだ。

 

でもね、ずっとビクビクしてたら、辛いよね。

備えはするけど、そのほかのことで忙しく動いてないと

余計にしんどいよね。

だから、気にしながらも、予定は立てさせていただきますよ。

決して忘れ切ってははいないけれど、他のこともやらせていただきます。

未来は今よりもっといいと信じて。

 

逆に言えば、そうやって普段にいっぱい動いて

みんなとつながりを持っていることは、異変が起こったときにきっと助け合える。

そのためでなくても、それは事実。
災害でなくても、事故や事件でなくても、少し困ったことでも

そのつながりに助けられることがあるから。

 

今日は晴天。

どんな明日かは分からない。

だから、今できることは今やっておこうよ。

今そばにいる人たちと

一緒にできることを。

 

3月7日。

4度目の「3.11」を間近にしたこの日。

私たちは「3.11を忘れない高知集会」を開催する。

その準備が本格化してきた。

せめて、この日だけでも記憶を新たにして

私たちが今できることを

お互いに考えてみようと思っている。


2015.1.16




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コメント: 2
  • #2

    あっぷる (金曜日, 16 1月 2015 20:18)

    20年前の今日、1995.1.16、羽田空港にいました。
    家族旅行を終え、明日は朝寝坊をしようと思いつつ飛行機に乗りました。
    ところが、翌朝の大揺れに起こされて、何時間もテレビにかじりついていました。
    ちょうど、県の保育部の役をしていたこともあり、募金は集められたけど、保育ボランティアには参加できず、モヤモヤした日々を過ごしたことを鮮明に覚えています。

    「晴天」のテーマだったのに、そこから続く1995.1.17のことが、心に留まりました。

    「晴天の霹靂」の3.11も、もちろん、記憶に新しいです。
    何もできない自分だからこそ、KAZUOさんたちの「3.11を忘れない」に、関わらせてもらうことをありがたく思います。

    まじコメになってしまいましたが、「今…を大事に」、「目の前の方を大事に」と、改めて思わせてもらいました。

    エッセイ、ありがとうございました。

  • #1

    月のうさぎ (金曜日, 16 1月 2015 13:12)

    晴天に感謝です。

    今、普通に居られる事を

    何をしよう(o^^o)
    ってワクワク出来る事を

    明日を夢見る心に、なれる事を

    だから、自分には何が出来るだろうと思った時に、
    3.11を忘れない高知集会
    を開催してくれる事に感謝です。

    私にも何か出来る?
    そんな仲間にいれる事が嬉しいです。

27-ゆううつ


第27話 「ゆううつ」       by しまむらかずお


 新年早々、こんなテーマでごめんなさい。

だってヒマなんだもん。

ヒマだと、ゆううつになるというのも変ですが

今日は何だか空もどんよりで

気も晴れません。

 

ま、ヒマと言っても毎日何かがあり

時間的にそれほどスキマがある訳でもありません。

でも何だか…って、そんなこと、あなたにもありませんか?

 

「ゆううつ」って漢字、すぐには書けませんよね。

すぐに書けないと、何だか気持が晴れないでしょ。

それが「ゆううつ」そのものですよ。

「けいき」「ふけいき」の文字はすぐに書けるけれど

これも今は晴れ晴れとはしてませんよね。

そんな気分的なものなんですね。ゆううつって。

 

こんな時はどうすればいいんでしょうね。

あなたならどうします?

家でまったりと、溜まった録画でも見ますか?

それもいいでしょうねえ。

でも、二日で嫌になりますよね。

情報誌で美味いお店でも探して思いっ切り食しますか?

それで太ったらゆううつですよね。

ガイドブック片手に旅に出ますか?

それもこれも、実際に出かけないとまたまた、ゆううつになりますよね。

 

さてと、私はどうしましょうかねえ。
年末から正月でなんと2キロ余り肥えてしまったし、

この半月、呑み会はいっぱいあったし、

なんかしないと、ブザマな牛になりそう。

あーあ、ゆううつ。

 

作りかけの曲は4曲もあるのに

それぞれ1番だけで止まっているし、

これからのイベントもいっぱいあるのに、それぞれ作業も手につかないし、

今んとこ、どこも悪くない体があるのに、ロクに動かさないし、

あーあ、ゆううつ。

 

昨年の上半期は、「被災地にピアノを贈る運動」中で

たった1年前の今ごろは、3月に控えたミュージカルの制作の真最中だった。

7月にその運動を終えて

その後は、さまざまな音楽イベントを続けざまに開き

今年に入ってからは演劇のDVD上映会の企画も進行中だ。

3月初めには「3.11を忘れない集会」の準備も進んでいる。

決してヒマはないんだけれど

なんだか晴れ晴れしない。

 

きっと、遠い景色が見えてないのだと思う。

いわば、大きな目標や、新しいテーマが見えてないのだと思う。

とはいえ、いつでも目標に向かってグングンと歩き続ける…とはいかない。

立ち止まって、来た道を振り返り、現在位置を確認して…

そうだ、その後に来るはずの「また前に進む」というフレーズがないのだ。

 

ただ歩けばいいというものではない。

進んでいる方向が、果たして「前」なのか、

目標や基準点がない限り、近づいているのか、遠去かっているのかは

分からないはずなのだ。

 

明日は成人の日。

よく、若者に「夢を持て」などと言われるが

寝て見る夢は、目が覚める。

起きて見る夢は、すぐさま現実と向かい合うものだ。

 

若くはない私にも夢は必要なのだ。

若いとき、何にもなかった私だが

夢はいっぱいあった…はずなのだが

それって、何だったんだろう。

すべて実現したのだろうか。

それとも、諦めたり忘れたりしてしまったのだろうか。

 

いずれにしても

夢の元は、欲である。

欲深いのは敬遠されるが、それがないと夢も目標も生まれない。

このところ、ようやく人間が出来てきて()

ありがたいなあ、とか、私は幸せ者だ、とか思えるようになって

欲が消えたのはいいとしても、夢を持てなくなってしまったのだろうか。

あーあ、ゆううつ。

 

人生は出会いのつくる物語…

これは、私自身が常々自分にも人にも言ってきた言葉だが

やっぱりこれかな?

何かと出会いたい。モノでもヒトでもコトでもいい。

新しいものでも、古いものでも、再びのものでもいい。

出会いがないと物語が始まらない。

 

さ、こんなこと書いてないで

出かけようかな。

おっと、もう日が暮れている。

ま、明日にするか。

あーあ、とため息ひとつついて

それに気づいて深呼吸に切り替える。

 

さて、問題です。

このエッセイで「ゆううつ」の言葉は

何回登場したでしょう。

私も数えてみて、そのあとで「あーあ、あほらし」と

このゆううつを捨ててしまおうと思います。

 

こんな私ですが

今年もどうぞよろしく。

2015.1.11

 

 


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コメント: 5
  • #5

    (火曜日, 13 1月 2015 10:45)

    こんなに何回も「ゆううつ」と書いてあるのに、一度も「たいくつ」とは書いてないですね。

    ゆううつな船長さん。
    Kazuo号に乗り込んだ、たいくつな乗員乗客は、向かう港が見えなくても、かずおさんが出会わせてくれたモノ・ヒト・コトで、きっと喜びや楽しみを感じています。

    そんなに慌てて港を探さなくてもイイですよ。
    ユラユラと漂う時間も、時にはいいじゃないですか。
    船長さんも、乗客になって一緒にユラユラしてみましょ。

    みんなをよく見て、自分をよく見て、景色をよく見ているうちに、目指す港が見えてきて、そのうち座り心地のいい自分の席に自然と戻り、帆を張っているを思いますよ。

  • #4

    sakura (月曜日, 12 1月 2015 21:00)

    訂正
    走り疲れたらお歩き
    歩き疲れたらお休み
    やがて 休み疲れたなら
    どうせ
    また走りたくなるさ

    さだまさし 名言集より

    大変失礼いたしましたm(_ _)m

    ゆううつ
    12回でしたね σ(^_^;)

  • #3

    あっぷる (月曜日, 12 1月 2015 00:20)

    ため息つけば、それで済む〜♪
    後ろだけは、見ちゃだめと〜♪

    いえいえ、ため息つけば、幸せも一緒に逃げちゃうんですって(^_^;)

    でもでも、KAZUOさんが本音で書いてくれて嬉しくもあります(^^)

    ゆううつを12回書いて、その分のゆううつが消えていますように♪♪

    そして、何かしらのモノ、ヒト、コトとの出会いがありますように♪♪

  • #2

    sakura (日曜日, 11 1月 2015 22:12)

    “ゆううつ” 題も入れてジャスト 10!
    正解ですか?

    ちなみに“憂鬱”すごい字ですよね。
    書こうとして、まさに“ゆううつ”になります。
    考えて出会えるものでも無く、出会えてても気付いてない事もありますよね。
    心がガチガチだと気付けない事もあるでしょう。
    自分をフリーにしてあげるのもいいんじゃないですか?
    昔、さだまさしのコンサートに行った時、入り口にあった立て看板を思い出しました。
    「走り続けたら歩けばいい、歩き疲れたらまた走りたくなるから。」
    こんなじゃなかったかな?

  • #1

    花ちゃん (日曜日, 11 1月 2015 20:08)

    島村さんの声でそのまま、
    この文章が聞こえてくるようです。
    本当にブツブツブツブツ
    文句になって聞こえてきます。
    これはすごい。

26-振り返り


第26話 「振り返り」       by しまむらかずお

 

今年も、もうわずか。

夜の7時過ぎから、国民的番組の「紅白」が始まっている。

超ミニのふわふわスカートの可愛い女子たちと

ジャニーズ系のかっこいい男子たちがいっぱい。

それはいいんだけれど、ちょっと見飽きてしまって

パソコンのある部屋に来た。

 

あと2時間ほどで新しい年が来る。

こんな時、やっぱり振り返りは大切だよね。

そうは思うが、私は振り返るのが大の苦手。

もちろん首が回らないという意味ではないが

目も鼻も口も耳も前向きに付いているから

ちゃんと意識しないと後ろは見えないものだ。

それに、走ってたり歩いているときには前しか見えないものだ。

 

前向き…というのは元気な言葉と受け止められ

後ろ向き…というのはマイナスのイメージがある。

でも、普通にしてれば前しか見えないということになる。

 

もはや大晦日。

まもなく新しい年がやってくる。

たった1日をまたぐだけで

全国一斉に「おめでとう」の大合唱となる。

 

また違う新しい1年…という期待に胸を膨らませる。

何の保証もないにもかかわらず、である。

明日、未来、これから…は、やっぱり希望の言葉である。

かくいう私も、みんなと一緒。

誰からもお年玉をもらう訳ではないが

やっぱり何となく嬉しいものである。

 

だからこそ、その前に振り返っておかねばなるない。

せめてこの1年の365日分。

何をしたのか、何ができなかったのか、

そして、何をしたかったのか、と。

 

 

今年の1月。ミュージカル「桜咲くころ」の練習が佳境に入り

その強化合宿で初めての14幕分の通し稽古。

通すのに3日もかかったが、ようやく全体像が初めて見えた。

…それがまだ今年のことだったなんて信じられないほどに

遠い日のように思えるのはなぜだろう。

 

2月末。そのプレ公演。

初めてのノン・ストッフ゜の公演。

開演寸前に、クルックの一人が高熱で病院へ運ばれ、

手作りの舞台では、開演のご挨拶の途中でなんと停電。

ウラは大騒ぎだったが、それでも100人のお客さんに大きな拍手をいただいた。

けれど、制作者の私は山ほどの課題を背負うことになった。

 

3月1日。美術館ホールで「東北へピアノを贈ろうコンサート」。

5回目となった支援コンサートで、「あと5台のピアノを」と開いた集いだった。

お馴染みの玄蕃太鼓や野市グリーンコールの皆さんも出演していただいた。

本公演間近のクルックたちも、そのミュージカルの一部を演じ、

我々カノンズも、もちろん精一杯の演奏をご披露した。

お蔭さまで、4月の第5便の目途がついた。

 

3月27日。「桜咲くころ」、いよいよ本公演。

半年がかりの取り組みの成果を見せるときだ。

昼・夜の2公演には400人もの方々に見守られ

2時間20分にも及ぶミュージカルをやり切ることができた。

きれいなライトがきらめく舞台でのクルックたちは

一人ひとりがさらに輝いて、大きく成長した姿を見ていただいた。

やはりこれも、たった9カ月前だとは信じられないほどに

随分前のことのように感じられる。

 

4月4日。ピアノ最終便。
念願だった高知市役所前からの第5便の出発である。

やや肌寒い日だったが、ピアノ・トラックの前で

私たちは歌い、踊って、まだまだ春の来ない東北へと

みんなの思いを乗せたピアノ5台を送り出した。

この運動、3年間で33台ものピアノをお届けできたことを

本当にありがたく思い、本当に嬉しい最終便だった。

 

そのあとの5月と6月には、

保育士さん向けの、「やさしくなろうコンサート」があり、

郊外のレストランで、ソロ・コンサート「あじさい色の歌」を開き、

四万十町川口では、子どもたちと一緒にコンサートをやらせていただいた。

これらのつながりは、今も続いている。

 

7月6日。「被災地の学校へピアノを贈る・一滴の会」、その最終集会。

3年間を振り返りながら、ご報告を兼ねて感謝の思いを伝える集いだった。

併せて、クルックたちの卒業公演と卒業式も開かせてもらった。

その夜の交流会には、カノンズの面々が勢ぞろいしてライブを開いた。
その場内を賑やかに飾った白い鳥の風船を

中央公園までパレードして、夜更けの空にみんなで飛ばした。

3年前の3月、震災後に生まれた白い鳥は、

本当の空に翼を広げて舞い上がった。

これもまた、わずか半年足らず前のこと。

そうとは思えないほど、昔のことのようだ。

 

8月。初の公式ホームページを開設。

よさこいも踊り、「かわぐちフレンズ」の曲も出来、

少年少女チャレンジ・セミナーの模様も

それらは漏らさずホームページを飾った。
合わせて私のエッセイ「KAZUOは要りませんか?」の連載も始めた。

 

9月には、なぜか急にウッドデッキづくりをスタートに
自宅の庭の改造に取りかかり
KAZUOさんも、ついにウチに向いてしまったか」、と

やや心配された向きもあったようだが、

空いた時間に、ツルハシを振り、セメントをこねて、第3期工事までを終えた。
何ごとも初めてのことは楽しいものだ。

 

10月3日。「SONGS★15」と銘打った初のリクエスト・コンサート。

前述のホームページに投票箱を設けて、上位15曲を演奏。

なかなかスリリングな企画だったが、とっても面白かった。

お越しいただいた200人の皆様にも

充分お楽しみいただけたと思っている。

 

その直後の12日には、6回目となった「リレー・フォー・ライフ」への出演。

私たちカノンズの誕生のきっかけとなったこの事業。
再びクルックたちにも出演してもらって、いい2日間となった。

さらには、10月25日には、初のバースデー・ライブ。

久々のソロ・ライブで、親しい人たちに集まってもらって
みんなで楽しいひとときを作っていただいた。

なかなか忙しい神無月となった。

 

11月冒頭には松江市でソロ公演。

帰りには遠回りして出雲大社にお参りして、「雨男」を返上。

11月中旬には高知県高校演劇コンクール。

2週間にわたって16校の熱演を審査員として見せてもらった。
なかなかハードなお仕事で、

元々、優劣をつけられないものを「選ぶ」、または「選ばない」という

辛い役割を体験した。

けれどそれ以来、何となく周りの環境が「お芝居」への接近を促しているようで

どうしたものかと、戸惑っているところだ。

 

そして、12月13日は、クリスマス・ライブ。

新しく誕生した「カンノンズat.」というアコースティック・チームの

デビューとなった。

当日、5人のメンバーはサンタのコスチュームで登場し

ホールは一気にクリスマス気分になった。

その後のディナー・パーティーも賑やかな出し物で
楽しい一日となった。

 

そんなこんなで、1年。

皆さんには本当にお世話になりました。

ずっとずっとの応援に心からお礼を申し上げます。
これからも精一杯頑張りますので

ぜひ来年もお付き合いください。

 

ところで、

「あなたの1年」はどうでしたか?

何が一番印象に残ってますか?
やり残したことはありませんか?

誰かと喧嘩しましたか?  計何回?

呑み会の総合計は? 数えられますか?

美術展やコンサート、観劇など、文化・芸術の鑑賞は?

旅行はしましたか?  どこが一番良かったですか? その訳は?

一番嬉しかったことは何ですか?

幸せだなあと思ったその一番の瞬間は?

何か生み出したり、作ったりしましたか? それはどんなものですか?

この1年で増えたものは何ですか?

結構いい年だったと思えますか?

 

振り返りは、あんまり好きくないけれど

振り返り方にコツがあるよね。

いいことだっけ、と言う訳にはいかないけれど、

誰かの笑顔が想像できるといいよね。

 

お正月を迎えると

久々の友だちや、遠くにいる家族たちとも会えるのがいいよね。

いっぱい写真も撮るだろうね。

その時に私から提案があります。

一度、背中を見せてから振り返った写真…

撮ってみてくださいよ。きっといい写真になると思うよ。
「見返り美人」っていう言葉が昔からあるんだから。

 

そういえば、「見返り美人図」というのがあって

江戸時代の絵師・菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の筆によるもの。

これは、1948年の趣味週間の記念切手の絵柄となって、

当時、5円の切手が今じゃ、1万5千円の高値を呼んでいるという。

あなたも、ちゃっかりと値の高い「見返り美人」になってしまおうよ。

 

振り返ってばかりじゃ、前に進めない。

だから今年の整理が終わったら

新しい1年に思いを馳せてみようよ。

思っているもの、気にしているものにしか出会えないものだ。

気にしてなければ、出会ってもすれ違うし、目に入らない。

あなたがこれから心がけてみるものは何ですか?

まずは自分を見つめることから始めましょう。

そのための振り返りなのだと思います。

そのために1年の区切りがあるのだと思います。

 

皆さん、どうぞよいお年を。

…できれば、私ともご一緒に。

(2014.12.31)


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コメント: 4
  • #4

    土佐のおんちゃん (日曜日, 04 1月 2015 19:03)

     あけましておめでとうございます。
    昨年中は大変お世話になりましてありがとうございました。
    今年もよろしくお願いいたします。

    はてさて、「あなたの1年」はどうでしたか?・・と問われると
    島村さんの書かれてる年中行事に参加させていただき

    「新しい1年に思いを馳せてみようよ」・・と考えると
    今年もやっぱり島村ワールドにフル参加しようと思いをはせる
    今日でございますので、

    今からワクワク・ドキドキしておりますので今年もよろしくお願いいたします。

  • #3

    ぴあの (木曜日, 01 1月 2015 02:17)

    私のこの一年は、しまむらさんのおかげで
    何かを生み出したり作ったりできることの素晴らしさ、まぶしさを感じさせてくれる、とっても貴重な、素敵な、楽しくてたまらない瞬間の連続でした。

    でも、それと同時に、自分のふがいなさに涙したり、焦ったりと、自分を見つめなおすことが多くなった一年でした。
     
    しまむらさんの言葉に、歌に。
    そして、しまむらさんのおかげで出会えた人たちの
    言葉や、笑顔に。
    励まされ、頑張れた一年でした。

    新しい年になりました。
    この出会いを大切に、自分に何ができるのか、何をしたいのか、しっかり考えながら、やんわり頑張ろうと思います。


  • #2

    フェアリー (木曜日, 01 1月 2015 00:50)

    何人分のスケジュールですか?
    ってくらい盛りだくさんの一年でしたね。いつも全力投球だった姿を思い出します。
    シンガーソングライターで、脚本家で、演出家で、まだまだエッセイストに庭師に…
    どれだけの才能があるんでしょう。
    でも だからたくさんの方々がワクワク、ドキドキの時間を過ごす事が出来ました。
    ホントに感謝いっぱいの一年でした。
    ありがとうございましたm(_ _)m

    飲み会も突然増えました。
    ずっと付き合っていきたい
    本物の友達にも出逢えました。

    いくつになっても新しい事のため
    明日何をしようって前向きに過ごせる事は幸せな事だと実感しました。

    それも たくさんの方々と笑顔で、手を繋ぎ、心を合わせて行けたら
    きっと幸せは大きく膨らむんでしょうね
    (^_^)
    “見返り美人 ”風の写真も撮りつつ
    そんな一年に向かって
    今年もよろしくお願いしますm(_ _)m



  • #1

    あっぷる (木曜日, 01 1月 2015 00:10)

    温故知新?
    心機一転?

    そのブレンド?
    それとも?

    KAZUOさんが魅せてくれるいい時間、今年も楽しみにしています