エッセイ・コーナー  KAZUOは要りませんか?

しまむらかずおが描くつれづれ(その4)  第16話~第20話

16-20 ギター


20-友だち


第20話 「友だち」        by しまむらかずお


あなたには友だちが何人いますか?

多いほうだと思いますか? 

それとも、少ないほうだと思いますか?

 

でも、「友だち」って、どういう人をそう呼ぶのでしょうね。

それが分からないと、

「多いか、少ないか」なんて、すぐに答えられませんよね。

 

「数じゃないよ、要は本当の友だちかどうかだよ」…

そう思う方もいらっしゃるでしょうね。

でも、「本当の…」の意味も範囲も、またまた分からないですよね。

「私には友だちがいっぱいいる」って思える人は幸せです。

また、「私には本当の友だちがいる」って思える人も幸せだと思います。

 

私はどうなんでしょう。

何となくですが、「少ないほう」だと思っています。

えっ? 意外、と思われますか?

あれほどいろんな活動をしていて、そんな訳ないじゃないのって

思われるでしょうねえ。

 

そうなんです。

私の周りには本当に沢山の人がいてくれています。

それぞれ、私と一緒にいろんなことをしてくれています。

それでもそれでも、「少ない」と感じているのは

どうしてなんでしょうねえ。

 

そんなことを言うと、「私は友だちだって、思っていたのに」と

叱られるかもしれませんねえ。

けれど、いっぱいの人たちがいてくれるのに

「淋しい」と思う時間のほうが長い気がするのです。

どうしてなんでしょうねえ。

 

生れついての淋しがり屋?

元来、欲張りのほう?

んー、それは認めます。

人を信じてないからじゃない?

人を頼っていかないからじゃない?

んー、そうかも知れませんねえ。

 

振り返ってみれば

淋しくなりたくないから、いろんなことをして

みんなと一緒にいる時間を一生懸命に増やしているのかも。

もっともっと深く交わりたいから

沢山の関わる機会を作っているのかもしれません。

 

認められたい、愛されたい

頼りにしてほしい、喜んでほしい

その思いが人一倍大きいからこそ

それがまっとうできていないと思うのでしょうかねえ。

 

愛されている実感がなかなか持てない、とか

そんなに人気があるはずがない、などと

要は、自分に自信がないのでしょうねえ。

私自身は、その人の本当の友だちでいたい…

そう願ってはいるのですがねえ。

 

もっと素直に単純に

その方々といることを嬉しく思えばいいのにねえ。

やっぱりどこかに「不足感」を持っているんでしょうかねえ。

困ったものです。

 

「共立ち」と書いて、「ともだち」と読む

そんな話をどこかで聞きました。

互いに寄りかかるだけでなく

しっかりと自分は自分で立ったうえで共に生きる

それが友だちなのでしょうか。

なんでも話ができる、というのが

本当の友だちなのでしょうか。

または、何も話してくれないでも一緒にいられる

それも本当の友だちなのでしょうか。

考え始めると、ますます分からなくなってきます。

 

私の歌の中に「友だちってなんだろう?」という歌があります。

小学生向けの「やさしくなろうコンサート」の際によく歌う曲です。

その中では、友だちは

「笑い顔も泣き顔も見せ合った人たちのこと」だと歌っています。

 

先日、音楽会にお邪魔した川口小学校の子どもたちは

「川口の仲間は宇宙一のともだち」と仲間を表現しました。

「キミがいるから明日が楽しみ」だと言い、

友だち同士は「離れていても心の無線がつながってる」と書いていました。

実に素晴らしい「友だち感」です。

その詩にメロディを付けましたが

とっても嬉しくて楽しい曲になったのは当然です。

 

でも私は、友だちというものに

そんなにもシンプルではいられない気がします。

なぜでしょうねえ。

大人になったから?

ひねくれてしまったから?

世の中、そんなに甘くはないと知っているから?

いずれにしても、何だか哀しくなりますねえ。

 

「遠い親戚より、近い他人」という諺があります。

じゃあ、「遠い親友より、近い知人」というのはどうでしょう。

やっぱり「近さ」は大事だとは思うのですが。

「遠い親友」にめちゃくちゃ会いたい時が、たまにあります。

離れてるからこそ、「特別な友だち」と思えるのかもしれません。

ならば、何かあれば電話でもすればいいのに

結局、それもしないままでいることが多いように思います。

どうしてでしょうねえ。

やっぱりよく分かりません。

 

「友だち」をテーマに書き始めたこのエッセイですが

あまりに広くて深くて収拾がつかない気がしてきました。

どうしてこのテーマで書き始めたのだろう…

ああ、そうだ、松江の人たちのことだと

今、気がつきました。

 

今月のはじめ、その町での2度目のコンサートに招かれ

一緒に舞台をつくり、一緒に歌を歌い

その夜、一緒にお酒を酌み交わした人たち。

笑顔だらけの写メを撮り、フェイスブックの「ともだち」に登録し合い

一緒に「ハッピーバースデイ」を歌った人たち。

今度いつ会えるかも分からず、会えないかも知れない人たちなのに

いや、そうだからこそ「友だち」でいたいと思うのでしょうか。

コンサートの主催者と招聘された講師…

その関係を超えたつながり。

それを表現する言葉はやはり「友だち」。

 

同じ場所で同じ時間を共に過ごし

同じ空気を吸って、心配や感動や達成感を共有する。

言わば「なかま」で味わったからこそ「なかま」になる。

そして、そのつながりから「友だち」になる。

そういうことかもしれません。

 

遠くても、付き合いが短くても、

それにもかかわらず、友だちになれるのだ。

そう思うと嬉しくなる。

人生は出会いのつくる物語…

またまた、しんみりとそう思います。

 

どちらかというと、

その出会いをつくる側にいる私ですが

ひとつひとつの出会いと

ひとりひとりのつながりを

今以上に大切にしたい…

 

改めてそう思います。

2014.11.14

 

 


 

▼エッセイへのご感想をお書きください。

(注)文章の内容がこの欄にふさわしくない場合には、掲載しない場合があります。ご了承ください。

 

コメント: 4
  • #4

    土佐のおんちゃん (月曜日, 24 11月 2014 20:36)


     最近の島村さんのエッセイには哲学的で深く考えさせられます。
    そして、みなさんのご感想も、島村さんのエッセイ同様に為になり深く考えさせられます。

     今、25年ぶりに音信不通だった昔の友が県外から会いに来てくれてました。

    病気で残り限られた人生だそうです。


    彼とは若かりし日の5年間あのバブル期を毎日といゆうぐらいに一緒に過ごした仲です。
    その彼は25年の間、高知には三回しか帰ってこなかったそうです、拘りの強い奴で今時携帯電話も持ってないので一度も会えませんでしたが、最後に会いに来てくれてゆっくりと話ができました。

    県外に帰ればもう会えないでしょう。

    25年ぶりに会いましたが、今でも「ともだち」でした・・・「親友」でした。

  • #3

    sakura (日曜日, 16 11月 2014 00:43)

    先日、中学時代からの友だちに会いました。
    “から”と言っても高校は違い、短大は“科"が違った。

    実は中学時代 学校でイジメに会ってた私の友だちはたった二人。そのうちの一人が彼女。

    優しさと、勇気を教えてくれた。

    恋話をしたり、進路に悩んだり、濃い時代を一緒に過ごしてくれた友だち。

    だからかな?何年かぶりなのに、会えばいつでも続き感覚で話が出来る存在。

    今では、ある銀行の窓口・・・の後ろの席で業務をこなす彼女は、如何にも“お局様”

    それが、私に気が付くと
    「あらっ!」の一言で、5歳は若返った顔になった。
    様な気がした。

    友だちって、ふっと緊張を溶かしてくれる存在かな?

    その彼女が私の顔を見て「楽しそうやん」
    て。
    「今更ながらに 友だち 増えたよ」
    と言うと、
    「良かったやん。羨ましいわ。」
    と笑顔で言ってくれた。

    やっぱり彼女は大事な友だち。

    そして、友だちと呼びたい

    仲間と出逢わせてくれた島村さん

    ありがとう(^_^)


  • #2

    pegasus (土曜日, 15 11月 2014)

    会社を経営する知り合いがいて、
    社員を募集する時は、まず、その人の『友達』を見ると言います。
    『古い友達』がいるのかどうか、
    その人の周りの人が絶え間なく入れ替わっているのかどうか。
    そして、“類は友を呼ぶ”
    どんな人と付き合っているのかで、
    その人の社会的価値観までもがわかるそうです。


    友達は、同じ感覚・感性、価値観の上に繋がり、
    切磋琢磨してお互いに高め合いながら、
    お互いを尊敬し、信頼の世界へと成長する、
    人間として成長し続けることができる間柄、
    それが友達ではないかと思うのです。

    信頼が前提にある友とは、
    同じ方向に向かって意見を戦わせることも出来るし、
    自分の姿が曲がっているのか歪んでいるのかも映ってしまうし、
    素直な自分を映せる一番の鏡。

    信頼出来る友の側にいると不思議に心が安らぎ、
    何もかもが安心できるから、
    友達とは誠に不思議な、
    なくてはならない大切な存在なのです。

  • #1

    フェアリー (金曜日, 14 11月 2014 21:19)

    私、人見知りなんですよね(~_~;)

    で、人の好き嫌いが激しくて(>_<)

    でも、人生 そこそこ生きてると、

    顔に出さないで、無難に過ごす事は出来るようになってるつもり・・・

    でも、そこそこ生きて来てると
    もうそろそろ"地”で生きてもいいんじやないかとも思う今日この頃。

    となると、やっぱり一緒の感性の人と居たいなぁと思いますね。

    同じ風景を見て、あ〜素敵だね。

    同じ物を、食べたいなって思って、
    美味しいね(^_^)

    気を使わないで、でもだからこそ、
    ダメな所はちゃんと言ってくれる。

    「笑い顔も泣き顔も見せ合っている・・」

    ってすごく解ります。

    そんな人 “友達"って、好き嫌いの激しい、人見知りの私には、本当に貴重な存在だから
    大切にしたいと思いますね。

    友達って大切にしたい人。

    大切にするって、やっぱりその人の為にかける時間も必要になってくるわけで、
    と思うとそんなにたくさんいないのかもしれませんね。

    "友達"

    私は誰かの友達になれてるのかな?

    ふと、不安になります。

19-笑い

 

第19話 「笑い」    by しまむらかずお

 

余りピンと来ないかもしれないけれど、

 

私は「お笑い」が好きだ。

 

大阪に行くと決まって難波に立ち寄って

 

「よしもと」を見に行ったりする。

 

「なんばグランド花月」のチケットを買って

 

一人お好み焼きを喰ってから。

 

 

 

「花月」では結構ベテラン芸人が舞台に上がる。

 

ひと昔前の「漫才ブーム」の時に一世を風靡したコンビも上がる。

 

ブームの時にはもちろん若手。

 

あの頃あんなに面白かったのに、

 

熟練した筈のしゃべりが痛々しく思うこともある。

 

「芸」とは不思議なものだ。

 

特にお笑いは不思議だ。

 

年数だけでは、笑いは取れない。

 

 

 

その点、落語の方は、熟練すればするほど面白い。

 

さすがに伝統芸。

 

話し方もそうだが、特に「間」がいい。

 

思わず吹き出して笑ってしまう。

 

自分自身もお芝居を書く私は、

 

ほとんど「観察」のような目付きで舞台を見ていることが多いのだが、

 

思わず笑わされてしまうのだ。

 

そんな時が快感で、「やめられまへーん」。

 

 

 

その花月では、寄席のあとに毎回「よしもと新喜劇が」が上演される。

 

1時間ほどのお芝居。にぎやかに幕が上がる。

 

出演者登場の度に、定番のギャグが繰り返される。

 

お約束どおりにみんながコケる。

 

ほんまにくだらん。でもおかしい。

 

期待を裏切らない笑いがここにはある。

 

笑うと何だかスッキリする。

 

学習になる訳もないが、効果は絶大だ。

 

 

 

今年も何回か行ったが、

 

先日は、団体様ご一行のお蔭で、残念ながら満員札止め。

 

弱ったなと思ってると、「今なら千円引き」との声に誘われて

 

すぐ前のビルにある「5up(ファイブ・アップ)よしもと」のチケットを買った。

 

 

 

「5up」は、名前のとおり、ビルの5階に上がったところにあった。

 

予想に反して立派なホール。600人は入れそう。ほぼ満員だった。

 

そこでは売り出し中の芸人たちばかりが登場する。

 

私から見るとみんな無名、というよりテレビに出てないだけかも知れない。

 

みんな一生懸命に笑いを取ろうとするが、客席の反応はイマイチ。

 

おかしなものだ。知らない人のギャグに、客は厳しい。

 

 

 

そんな中で、拍手と歓声で迎えられたチームがあった。

 

私でも顔は知っている。

 

ネタは大したことはないのに、笑いが起こる。

 

私も急に楽しくなる。

 

笑いとはホントに不思議なものだ。

 

 

 

それにしても大阪の人たちは笑いが好きだ。

 

常に面白がらせようとするのが最大のおもてなし。

 

ボケたらツッコムのは、当然の礼儀。

 

オチのない話など、初めからするべきでないというのは、

 

もはや常識のようだ。

 

 

 

いつだったか、テレビで見て感心したことがある。

 

阪神優勝で飛び込むあの道頓堀の戎橋での街頭インタビュー。

 

レポーターが、「ちょっと電話してくれませんか」と

 

通りすがりの、さっきタコ焼き喰ってたようなオッチャンに、「はいっ」とバナナを渡す。

 

すると、「あーもしもし…、オレオレ、そやねん。そいでな…」としばらくしてから

 

「これ、バナナやないけ!」と叫ぶ。

 

かの有名な「ノリ・ツッコミ」の見事な演技。

 

そのあと、ヒョウ柄のオバチャンも、イケイケの女の子も見事に「ノリ・ツッコミ」を完成。

 

一番驚いたのは、幼稚園の園児までもが見事な「ノリ・ツッコミ」を披露したこと。

 

大阪のDNA恐るべし。

 

 

 

ひるがえって、この高知ではどうだろう。

 

私もそうだが、一様に笑うのがヘタな気がする。

 

ほんとはおかしいのにすぐには笑えない。

 

笑顔を返したいのに、うまく笑顔になれない。

 

結局、ムッとした顔つきに見えるのは何ともまずい。

 

敵意はないのに、本当は自分を気に入ってもらいたいのに

 

悲しいほどにヘタである。

 

 

 

ましてや、人を笑わそうなどとすれば

 

思いっ切りさげすんだ視線で見られ、

 

たとえそれがおかしくても、口の片側だけでフンとするぐらい。

 

まずは前置きで「これは冗談ですが…」とやらないと浮いてしまう。

 

そんなもので笑いが得られる訳もない。

 

 

 

「高知の客はノリが悪い」…

 

中央から来たミュージシャンがそう言ったという話を聞いたことがある。

 

ほかの町なら、登場早々に大きな歓声が上がり、

 

演奏が始まれば、いきなりリズムに合わせて一斉に手を振り始める。

 

ところが、高知は違う。

 

「イクゼー」と叫んでも、「ノッテるかー」と大声を上げても、

 

さほどの返しもなく、冗談を言っても薄い反応。

 

途中で「帰る」と、舞台を去ったミュージシャンもいたそうな。

 

 

 

ま、本人の力量や人気がどれほどのものかは知らないけれど、

 

帰ってどうする!

 

それをうまく乗せていくのも、あなたの仕事。

 

うまいだけじゃ人気は出ないし、かっこいいだけじゃ長続きしないよね。

 

 

 

…とここまで書いて、ハッとする。

 

自分の舞台はどうなんだろう。

 

確かに、楽しんでもらおうとくだらないシャレも連発するが、スベリまくるし

 

面白い話のつもりが、途中で脱線して、オチにならないい。

 

やばーい。

 

 

 

…というふうに、客のせいではなく、自分のせいだと常に反省し

 

精進を続けるのが芸の道だ。

 

あれ? オレって芸人?

 

やばーい。

 

 

 

ともかく、歌も声も演奏はもとより

 

身振りも手ぶりも表情も、おしゃべりも、

 

出来るものはすべて使って

 

みんなの心を動かせたい。

 

 

 

笑いはストレスの解消になるのだそうだ。

 

涙を流すのも、精神的にいいのだそうだ。

 

笑うのも、涙を流すのも、納得するのも、

 

元気になるのも、心が洗われるというのでもいい。

 

みんながいい顔でいてくれる。

 

または、いい顔になって帰ってくれる。

 

それが一番だ。

 

 

 

そのために私は、みんながコケてくれなくても

 

爆笑を誘えなくても

 

ボケも、ノリ・ツッコミも、やってみようと思う。

 

それで心が開くなら。

 

 

 

でも言っておきたいが

 

私は、笑ってはほしいけれど、決して笑われたいのではない。

 

笑われたいのなら、自分でコケてみせ、ズボンを床に落とせばいい。

 

 

 

それは嘲笑。さげすみの笑い。

 

見下ろす愉快さである。

 

私のトークの中でも、たまに「あほか」などと口に出ることがある。

 

一緒に笑ってはくれるが、後で気になって仕方がない。

 

ほかにも「デブ」「チビ」「ハゲ」「ブス」など

 

誰かを傷つける笑い。そんな笑いは要らない。

 

 

 

ほかにも笑いは沢山ある。

 

「微笑み」「ほくそ笑み」「苦笑い」「照れ笑い」「冷笑」「あいそ笑い」…

 

いろいろあるけどやっぱり「爆笑」がいいな。

 

みんなこのところ「大笑い」してますか?

 

お腹がよじれるほどのあの笑い…

 

昔はよく笑ったなあ。

 

だんだんと笑えなくなるのは、どうしてだろうね。

 

 

 

私なんぞの話で大笑いする訳もないが、

 

思い当たるフシがあって、思わず笑ってしまう共感の笑いや

 

話の中の景色に身をおいて、

 

一緒におかしがってくれる疑似体験の笑いなど、

 

笑いを誘うことはあるだろうと思う。

 

 

 

自分ができるだけ、薄着になって

 

見栄やプライド、損得を押しのけて、

 

素直に自分を語ることからはじめようと思う。

 

 

 

そんな中に実は本当のおかしさがあって

 

泣き笑いの人生が浮かんでくる気がするから。

 

(2014.10.30)

 

 

 

 

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コメント: 8
  • #8

    カノン (土曜日, 08 11月 2014 09:07)

    前座!ふと思い出しました‼︎

    むか〜し、ちょこっとテレビに出た時

    お笑いのステージなら、若手芸人さんなのでしょうけど、トーク番組だったので

    俗に言う ADさんが収録前に一生懸命盛り上げてましたね。

    司会は誰もが知ってる大御所なのに。

    いえいえ 大御所だからこそなのでしょう。

    見に来たお客さんは 隣り同士 知らない人なんて当たり前の事で、

    でも その場の空気を和ませる事で、さっきまで全く知らなかった人と“つい"顔を見合わせて笑ってる。

    (笑いには“つい”笑わせす 技 がある)

    だって、一人でほくそ笑むより

    一緒にワッハッハが気持ちいいし、
    面白さ倍増ですよね。

    と、ここまで書いて、

    で?

    しまむらかずおさんの前座を・・・

    う〜ん (~_~;)

    笑いを取るより難しいかも⁉︎

  • #7

    土佐のおんちゃん (金曜日, 07 11月 2014 01:50)

     誰かを笑わせるのは大変ですよね、ネタを考えすぎて大きくすべったりね!

     でもそれ以上に島村さんの言うとおりに自分が、くったく無く心から笑うことのほうが

     むつかしいかも?

     その昔・・詩人アランは・・

     「幸福だから笑うわけではない。

     むしろ

     笑うから幸福なのだ」

     とか、言ってたなぁ~笑かぁむつかしいですね

     

     

  • #6

    rittyan (土曜日, 01 11月 2014 12:18)


    しまむらさんがお笑いが好きなんてビックリです。

    私の家族もお笑い好きです。
    特に娘は、大好きです。

    小学校から中学校の8年間徳島ですごし、ローカルニュースは大阪の番組を見ていたことからか、よしもと大好き阪神大好きになりました。

    大学のサークルもお笑いサークルに入り、私も学祭でするコントや漫才を見に行きました*\(^o^)/*

    お笑いサークルの仲間は、プロになって頑張っているそうです。(売れてほしいです)

    しまむらさん、また今度会ったとき、お笑い談義しましょう

  • #5

    レッド (金曜日, 31 10月 2014 19:36)

    日めくり暦、31日。
    「あなたが好きです」

    KAZUOさんの言葉を聞いて、歌を聴いて、笑顔がどんどん広がっていったらいいですね(^^)

    明日も、あさっても♪♪

  • #4

    ぴあの (金曜日, 31 10月 2014 14:21)

    しまむらさんの歌には

    楽しくて笑顔で歌うしまむらさんにつられて笑顔になる歌、

    一緒に涙を流してしまう歌、

    そうなんだと納得しながら、聞く歌。

    元気にしてくれる歌、心が洗われる歌。

    ぜんぶそろってます。

    そのうえに、楽しませようと、全力で向かってくれゆうがやも。

    だから、しまむらさんのコンサートの後は、みんなニコニコ、笑ってます。

    いつも、楽しませてくれて、ありがとうございます。

    31日のしまむらさんの言葉を、しまむらさんに贈ります。

    みんな、あなたのことが大好きです。
     

  • #3

    フェアリー (金曜日, 31 10月 2014 12:40)

    笑顔はこころが解放された気がしますよね。

    会いたかった人の顔が見えた時、あ〜良かったって つい笑顔の自分が居る。

    そこに居てくれるだけで、笑顔を誘う人も居ますよね。

    そう思うと“笑いを造る"のは難しい事ですね。

    そう言えば、大阪に就職した友達が一番のストレスは「オチの無い話をするな!」と、言われたり、さっきのはツッコミどころやろ〜となんて事無い会話の中で怒られる事だと言ってました。

    やっぱり育った環境って大きいですよね。大阪の子どもは大人の”笑い”にツッコミ入れますものね。

    でもでも 今人気の 東京エレキテル連合の明美ちゃんは、ツッコミ時が分からなくて、相方に手を、にぎって合図してもらってるそうですよ。

    上手に笑えなくても、笑わせられなくてもいいじゃ〜ないの〜。

    人を笑顔にするのは天下一品の島村さんですから(^_^)

  • #2

    pegasaus (金曜日, 31 10月 2014 10:05)

    子どもは風の子、薄着の子どもは良く笑う。
    何がおかしいのか分からないけど、良く笑う。
    笑うのがおかしいワケじゃないけど、つられて笑う。

    感性が成長している時は箸が転んでも笑う、

    「笑い」は人間が豊かに成長する心の栄養素。

    しかし、年とともに成長の度合いは、ゆっくり、ゆっくり。
    時たま疲れて、よいしょと休憩。
    それに加えて
    寒がりになり腹巻きだの何だので着込みすぎ!
    薄着になるまでに時間がかかり、
    悲しいかな、3日目ぐらいに周りを見渡して思い出し笑い。

    「笑う門には服着たる!」
    おっと、
    「笑う門には福来たる!」

    ・・・・これでよしっ!

  • #1

    あっぷる (金曜日, 31 10月 2014 05:55)

    KAZUOさんが、「お笑い」が好きだなんて、ピンとこなかったです。

    でもでも、人を楽しませるトークを思い返せば、それ、ありですねぇ。

    いつも、ダジャレ(笑)…もとい、シャレ、笑わせてもらっています。

    先日のライブの中で歌われた曲も、まず、タイトル聞いて笑えました。

    「風に立つライオン」ではなく、「風に向かって立てないペンギン」

    KAZUOさんの、パートナーへの優しさが滲み出ていて、可愛かった♪

    ******

    笑いとはいえ、あたりまえの人権に配慮した笑い。

    人権コンサートを重ねてきたしまむらかずおさん。

    また、そんな角度からのHPも楽しみにしています。

    ******

    ではでは、KAZUOさんもみなさまも、笑顔の毎日を!

    *\(^o^)/*

18-神無月

 

第18話 「神無月」    by しまむらかずお

 

 

 

 

10月のことを「神無月」という。

 

もちろん旧暦の話である。

 

井上陽水のモノマネで知られるあの方は「神奈月」さんなので

 

一応断っておきたい。

 

 

 

旧暦は「陰暦」と呼ばれ、月の満ち欠けのひと巡りを1か月とする暦で

 

新暦と言われる「太陽暦」の今のカレンダーよりも

 

私はちょっとこの「陰暦」が好きである。

 

季節感とその名前が合致するような気がするのだ。

 

 

 

3月始めに「旧暦では今日は啓蟄」…冬ごもりから虫が這い出る日、

 

などとニュースでやっていたりすると

 

へえーなるほど、と結構納得する。

 

 

 

新暦に移行したのは明治の初めだったが

 

今でも正月は、昔のままに

 

「新春」「初春」「迎春」と表記される。

 

新暦の1月1日が「春」の訳はない。

 

「まだまだ冬なのに」と、ずっと違和感があった。

 

旧暦の元旦は、「うるう月」の関係で、毎年移動するとのことで、

 

去年は2月10日、今年は1月31日、来年は2月15日なのだそうだ。

 

それならもう少し「春を迎える」感じがするよね。

 

 

 

月の呼び名は実に文芸的である。

 

1月から順に、睦月、如月、弥生、卯月、

 

6月が水無月、文月、葉月、長月ときて

 

10月が神無月、そして霜月、年末がご存知の師走である。

 

この季節感あふれる呼び名がやはりいい。

 

 

 

この呼び名は、それぞれ農作業にまつわるものが多いが

 

この「神無月」だけが、ちょっと別物である。

 

いわく、全国の神様たちが島根の出雲大社に集まり、

 

その他のところには神様がいなくなる、とのこと。

 

従って、島根の地では10月のことを「神在月」と呼ぶそうな。

 

 

 

じゃあ、島根以外は大変じゃないかって思ったら

 

ちゃんと留守を守る神様がいらっしゃるという。

 

あの笑顔いっぱいの恵比寿様が、その役を果たしているのだそうだ。

 

 

 

私はその神様のいない月に生まれた。

 

今年の神無月は充実していた。

 

10月3日には、初のリクエスト・コンサート。

 

事前投票や、当日のランク当てクイズなど

 

賑やかに楽しんでいただいた。

 

私も、大好きなバンド、カノンズのみんなと一緒に

 

17曲もの演奏を楽しませてもらった。

 

このオフィシャル・ページもその取り組みの一環だった。

 

お蔭で、お客さんとの距離が縮まったように思える。

 

 

 

10月11日には、「リレー・フォー・ライフin高知」に出演。

 

今年で7回連続の出演となった。

 

10月25日には、これも初となるバースデイ・ライブ。

 

本当にごく身近な方々にお越しいただいた。

 

「心のリンゴ」になぞらえて、みんなから1個ずつ、

 

真っ赤なリンゴをカゴいっぱいに頂戴した。

 

私は実に幸せ者だ。

 

「ウソ!」って言われるだろうけれど、根っからのシャイな私、

 

顔にはすぐに反応出来なかったけれど

 

めちゃくちゃ嬉しかったし、めっちゃテレた。

 

本当にありがとうでした。

 

 

 

小規模のライブとはいえ、高知市内では久々のソロ・ライブ。

 

それなりにいろいろと思い巡らせて準備はした。

 

会場がシネマホールだったので、それを活かそうと

 

ライブの前後にと動画を制作。

 

大スクリーンいっぱいに映像を楽しんでいただいた。

 

我がスタッフの労作である。

 

 

 

なんとそのテーマは「ドロボー」。

 

オープニングは、「ピンク・パンサー」。

 

エンディングは「ルパンⅢ世」が登場。

 

最後の銭形のセリフが効いている。

 

「ヤツはとんでもないものを盗んでいきました

 

「…あなたの心です。」だなんて、

 

発熱しそうなキザなセリフ。

 

ああ、こっぱずかしい。

 

 

 

でも、このところ「みんなに楽しんでもらってナンボ」と

 

心を入れ替えたワタシ。

 

第1部の登場シーンには、ピンクのレイを首に巻き

 

ピンクのネコの仮面をかぶって登場。

 

これがほんとの、ネコかぶり…

 

 

 

シャイな私には、精一杯だったけれど

 

後から「お面を取るのが早すぎる!」

 

「写真撮る間もないじゃない!」と、叱られる始末。

 

しょーがないので、終了後の「生誕祝賀会」…

 

という名の単なる呑み会までグッズを持参して

 

その恰好で街を歩いた。

 

 

 

折から、その日は「ハロウィンまつり」。

 

街にはピエロ姿やマント姿の人もいっぱい。

 

結構楽しみながら2次会への行列に加わった。

 

そこで得た教訓は次のとおり。

 

「顔が見えねば、全然平気。」

 

 

 

これは大きな発見だった。

 

歌声もさることながら

 

顔も売ってナンボのシンガーなので

 

おいそれと、ヘンなマネはできない。

 

…そういうふうに生きてきたのに。

 

ひょっとして、これがヤミツキになったらどうしよう。

 

なんぞのパーティーの度に仮装して現れる…

 

なんだか自分がこわくなる。

 

 

 

…この話、キリがないので本題に戻そう。

 

そうそう、コンサートの準備の話である。

 

その準備とは、こうである。

 

 

 

まず当日のお客さんたちを連想しながら

 

候補曲を並べてゆく。

 

オフィシャル・ページのリクエスト・コーナーも見たりして、

 

曲を絞り、曲順を考えてゆく。

 

合わせて会場全体をイメージ。

 

スクリーンを活用するとなると、ライティングにも工夫がいる。

 

小舞台を持ち込むことも決めた。

 

 

 

そんな作業の中で、一番のポイントは1曲目である。

 

何からスタートするか。どう始めるか。

 

その1曲がなかなか決まらない。

 

そうこうしているうちに、歌が生まれはじめた。

 

 

 

私の歌づくりは、言葉がメロディと共に、

 

要は、歌になって少しずつ出て来るタイプなので、

 

はじめから全体像もないし、物語の筋書きもない。

 

まるで、砂浜に埋まった、砂の像を彫り出していくような作業だったりする。

 

 

 

この歌もそうだった。

 

そうして出来上がった曲は、

 

「神無月に生まれて」と名前がついた。

 

 

 

♪小さな頃には 神様がそばにいた…

 

と始まるこの曲は

 

幼い頃のこと、自信満々の頃のこと、というふうに展開し、

 

そして、今の自分の気持を綴った曲になった。

 

バースデイ・ライブにはふさわしい、と自分でも思った。

 

ところが、結構スケール感のある曲になり

 

これはオープニングには向いてない、そう思い始めた。

 

 

 

またまた困ってしまった。

 

すると、なんということでしょう。

 

もう1曲、生れてくるではありませんか。

 

その時すでにライブの2日前。

 

それでも生れてくるものは産んでやらないと、と

 

またもや歌い続けて、曲に仕上げた。

 

それが「Thank you Birthday」。

 

 

 

♪誰にもそれぞれ 名前があるように

 

♪誰にも必ず 誕生日があるよね…

 

 

 

ようやく1曲目が決まった。

 

後は早い。

 

6曲ずつの2部構成で、全12曲はすぐに決まったが

 

譜面を並び終えたのは、当日の朝だった。

 

 

 

おかげで、歌い過ぎてややノドが枯れ

 

出来上がったばかりの歌は練習不足。

 

大いに反省しています。ごめんなさい。

 

それでも、こんな私を祝ってくれる皆さんに

 

単に今までの歌を歌うだけでなく

 

何か私からお返しがしたかったのです。

 

 

 

仕上がった1曲目のサビは、こうでした。

 

♪おめでとうを聞く前に  ありがとうを贈りたい~

 

♪あなたがいたから私がいる  ほんとにありがとう…

 

 

 

私からの精一杯のお返しです。

 

本当にありがとう。

 

 

 

余談になるが、私の実の妹の娘が今日

 

可愛い女の子を無事出産。

妹にとっては初孫の誕生だ。

聞けば、早くも名前が決まったとのこと。

 

神無月に生まれたから、「柑奈(かんな)」ちゃんだって。

 

…ものすごく嬉しい。

 

   

     (2014.10.27)

 

 

 

 

 

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コメント: 7
  • #7

    カプチーノ (月曜日, 03 11月 2014 06:23)

    「神在月」のお酒を持ってるのが見えました。
    スマホでは気づかなくて、iPadで見返した時。

    大きい画面で見えた時、ふと頭に浮かびました。

    「大きいことはいいことだ」
    「大は小を兼ねる」

    大きな器のKAZUOさん。
    そして、人の心の機微に気づく繊細さも持ち合わせているKAZUOさん。

    見習います^ ^

  • #6

    レッド (水曜日, 29 10月 2014 05:38)

    KAZUOさん、おはようございます(^^)

    そうなんだぁ、神無月は満面笑顔の恵比寿様がお留守番してるんだぁ(^^)

    KAZUOさん、これからも、笑顔いっぱいの人生を送ってくださいね(^^)

    そして、楽しいことして周りを笑顔いっぱいにしていってくださいね(^^)

    ♪生まれてきて良かった〜
    ♪そう言える瞬間が〜
    ♪多いほど幸せな人生だと思う〜

  • #5

    sakura (火曜日, 28 10月 2014 23:14)

    素敵なコンサートを
    ありがとうございました。

    ピンクパンサーのアニメから始まった時はびっくりしましたよ。
    ショッキングピンクの羽のレイにピンクのラメの猫の仮面を着けて出て来て誰?

    と思った瞬間仮面を取って、しまむらさ
    ん登場〜
    もう少し焦らしてセクシーでも良かったかな?と思いつつ。

    今までに無い演出で楽しかったです。

    その後の照れた様子がとっても初々しくて、年齢を重ねた誕生日というより、
    新しく誕生*\(^o^)/*って感じで良かったです。

    Tank you birthday も とっても好きになりました。
    おめでとうを聞く前に、ありがとうを贈りたい〜
    なんて素敵なんだろうって(^_^)

    もちろん"神無月に生まれて"ももっと聴きたいです。物語みたいになってて、最後キュンてして、すぐ好きな曲になりました。
    ぜひ(^_^)CDにして下さい。
    これまでなんども聴いた曲もギターだけで聴くと、また全然違う感じでカッコ良かったです。

    そして、大スクリーン映像をバックにした
    Never Forget〜3.11を忘れない

    実際東北に行ってない私にとって、あの大画面で見る瓦礫の山は今更ながらに衝撃でした。
    それが、しまむらさん、クルックちゃん達の活動がいろいろあり、
    最後 満開の桜で埋め尽くされた時には
    言葉にならない感動が有りました。
    今回来て良かった〜と思いました。

    お祝いに来たつもりのしまむらさんのバースデイ・ライブで、たくさんの感動をいただきました。

    ありがとうございました。

    そしてまんまと「心を盗まれてしまいました。」


    そんな 感動の中 新しい命の誕生!
    本当におめでとうございます。

  • #4

    フェアリー (火曜日, 28 10月 2014 20:18)

    お誕生日、
    おめでとうございます*\(^o^)/*

    コンサートも2回してくださって、ホントに本当に周りの私達に取っても、素敵な月
    “神無月"でしたよ。

    “陰暦"を改めて学んで、日本人に生まれて良かったな、と思いました。

    季節を愛でて、人をおもてなしして。

    そう!このエッセイを読んで
    祝ってもらうはずの しまむらさんが一番忙しかった事に
    今、気が付きましたm(_ _)m

    みんなで囲んでお祝いしたつもりが
    たくさん楽しませてもらってたんですね。

    ありがとうございます。

    何歳になられたか、芸能人は言わないんだと言いつつ
    今年の誕生日で“仮装の楽しみ”に目覚めたしまむらさん。

    これからも、周りに居て楽しませて下さいね。

    こんな素敵な月に、姪御さんのお誕生(^_^)
    心からおめでとうございます。





  • #3

    土佐のおんちゃん (火曜日, 28 10月 2014 17:27)

    バースディ・ライブお疲れ様でした。とても楽しませていただきました

    井上陽水といえば「神無月に僕はかこまれて~口笛吹くそれはこだまする~♪」

    なんて曲が頭をよぎります。なぜか暦の中で10月(神無月)は、絵になりますね。

    話し変わってKAZUOさんにおかれましては、しばらくは林檎三昧の日々がつづくの

    ではないでしょうか(^^)

    はたまた、今度はどの様な趣向で楽しませていただけるのやら、

    今から、来年のバースデーコンサートを楽しみにしています。

    追伸

    そうかぁ 妹さんもおばあちゃんですかぁ めでたしめでたし!





  • #2

    カフェオレ (火曜日, 28 10月 2014 16:39)

    柑奈ちゃん、お誕生日、おめでとう!
    柑奈ちゃん、ハッピーバースデー!

    同じ月生まれって、親近感が、余計にわきますよね(^^)

    大おじちゃまに似て、才能豊かに成長されますように♪♪

  • #1

    あっぷる (火曜日, 28 10月 2014 08:04)

    KAZUOさん、楽しいバースデイ・ライブをありがとうございました(^^)

    陰暦…今更ながらに勉強になりました、さすが、博識のKAZUOさんですね。

    神無月前に産まれたホームページ、KAZUOさんにも管理人さんにも、ありがとうです。

    当日の、全員からのリンゴプレゼントのアイデアを出したスタッフさんも素敵…ファンの想いを形にしましたからね。

    大スクリーンの活用もお見事でしたね、ハートを盗まれました(笑)

    あ⁉︎

    読んだことや見たことの感想になりましたが、KAZUOさんはシンガーでしたね。

    新曲も、懐かしい曲も、あの素敵な空間で、心に染みわたりました。

    あれ?

    盗まれたはずのハートが、あったかくなって、心の中に戻ってきていますよ(笑)

    今度は銭形平次みたいに、各家を回って、そっと置きに来てくれたんですか?…なぁんてね(笑)

    ******

    さてさて、何があっても、何がなくても、幸せ感を感じられる一日になりますように…、はぶあないすでぃ〜♪♪

17-day

 

 

第17話 「DⅠY」    by しまむらかずお

 

 

「DⅠY」…

 

私は、そう書かれた店の常連である。

 

コンサートやお芝居の舞台セットも

 

その種の店でチャーターする。

 

そんなイベントがないときでも、通りすがりに店内を巡る。

 

何がどこにあるのかを見ておくのだ。

 

店によって、置いてあるものが少しずつ違う。

 

たまには今までなかった品物が並んでいたりする。

 

それが、次の舞台に活かされる。

 

 

 

舞台の姿を描くとき、ここにはあの店のあの部品を。

 

あそこには、あの材料を。

 

というふうに、頭の中で組み上げてゆくのだ。

 

そして、いよいよとなった日、

 

一気に3軒、4軒を巡って買い揃えるのが常である。

 

 

 

かくして、私のワゴン車は

 

一日中走り回って、荷台をいっぱいにするのである。

 

それはたいがい、開演日の2日前の「大人買い」である。

 

それらを一気に買い揃えるのは、ちょっとした快感だ。

 

 

 

「DⅠY」は、Do It Yourselfの略。

 

直訳すると、「それはあなた自身でやりなさい」。

 

子どもの頃に母親によく言われた

 

「それぐらいのことは自分でしなさい」を思い出す。

 

 

 

この言葉は実は、第二次世界大戦の際

 

ドイツ軍の空襲を受けたロンドンで

 

戦後になって、破壊された街を自分たちの手で復興させようという

 

その国民運動のスローガンだった。

 

その後「DⅠY」は、「復興」から「週末レジャー」のひとつとなり

 

日本では70年代に「日曜大工の店」として各地に誕生。

 

今では4,500店舗にのぼるのだそうだ。

 

 

 

そのDIYの店に、このところ通い詰めている。

 

前にも書いた「ウチの庭」の工事のためである。

 

ウッドデッキも、塀代わりのラティスもリーフフェンスも

 

既に終わって、念願のBBQも実現した。

 

 

 

その第2部。

 

庭そのものの整備・美化に取りかかっているのである。

 

粘土質の水はけの悪い庭で

 

あまり陽も当たらないことから、庭にはコケが目立っていたし、

 

中途半端な和風、とでも言うべき庭の整備を始めたのだ。

 

 

 

にわかに、排水のお勉強…

 

現代はこれらはネットでできる。

 

しかも、ていねいに写真入りで解説してくれる。

 

道具の使い方は動画で学べる。

 

便利な世の中になったものだ。

 

 

 

陶酔感…もとい、透水管を買い込んで

 

ツルハシを振るって深さ50センチで8メートルも穴を掘り

 

玉砂利を大量に投入して、土止めまでして

 

結構本格的に「工事」を進めた。

 

お蔭で、先日の台風の大雨でも、庭に水が溜まることはなかった。

 

ちょっとエッヘンである。

 

 

 

しかし、私は文化系。

 

ツルハシが似合う訳がない。

 

スコップは向いてない。

 

しかし、腰は痛いが、何だか楽しい。

 

15キロもの玉砂利やバラスやセメントなど

 

もうどれだけ運んだか分からない。

 

その他の重たい資材運びもなぜか苦にならない。

 

フーフー言いながらも、ドウー・イッツ・マイセルフ。

 

 

 

昨日は生まれて初めてセメントを練った。

 

左官の真似ごとで、レンガも積んだ。

 

その姿を見てヨメさんがこう言った。

 

「やりゆう姿、写真撮っちゃおか?」

 

私は凜としてこう答えた。

 

「楽屋の姿は見せないものだ」…

 

どうだ、実にカッコいいだろう。

 

いやいや本当は、

 

フーフー言ってる姿がカッコ悪いだけなのだ。

 

 

 

とはいえ、何でもそうだが

 

作品展には仕上がった作品を出すものだ。

 

作りかけのものは出さない。

 

「生みの苦しみ」という言葉があるが

 

それは歌づくりでも同じこと。

 

どんなに楽しげな歌でさえ、

 

作っている時はものすごい形相で

 

眉をしかめて、ウーウー唸って仕上げてゆくのだ。

 

そんな姿は見せられない。

 

 

 

「それがいいんじゃない…」と言われる方もいて、

 

「○○ができるまで」なんていう、

 

メイキング・ビデオも確かに面白いのかも知れない。

 

でも、私はあんまり好きくない。

 

人のは見たいけれど、自分のは見せたくない。

 

ちょっと我がままだけど

 

出産シーンは、ものすごく限られた人だけが立ち会えるものだ。

 

 

 

だからメイキングなどは、端からそのつもりで撮られ

 

「いいとこどり」で監修と編集を経たものだと思う。

 

 

 

それにしても、自分でできること

 

自分でやってみること、自分で作り上げること

 

それは絶対に面白い。

 

造られたものを買ってくる。

 

完成したものを手に入れる。

 

それはそれで、間違いなくいいものだ。

 

けれど、曲がったキュウリや不細工な茄子でも

 

自分で作った野菜なら、何となく嬉しい食卓になるように

 

自分でやってみる、自分で作ってみることの面白さは

 

たとえ出来が悪くても、面白いものである。

 

 

 

人生は作品である。

 

決して一人では作れない作品である。

 

誰かに手伝ってもらって

 

しかも、いつまでも仕上がらない作品である。

 

自分で出来ることは精一杯やりながら

 

誰かの人生の、いい共作者でもありたいものだ。

 

 

 

Do It Yourself & 

 

May I Help You?

 

2014.10.20

 

 

▼エッセイへのご感想をお書きください。

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コメント: 5
  • #5

    土佐のおんちゃん (月曜日, 27 10月 2014)

     Let‘s Do It Yourself!

     Life is BEAUTY FULL

     SMILE HAPPY SWEET HOOME !

    DIY LIFE



  • #4

    月のうさぎ (月曜日, 20 10月 2014 23:53)

    しまむらさんのエッセイ
    楽しみに読んでいます。

    へぇ〜そんなんだと毎回
    学ぶ事があって、

    知らない私生活が垣間見れて。

    ちょっと笑って(^_^)

    しまむらさんが感じて言葉にした事を
    そのままシャワーを浴びる様に

    心を開いて浴びるのが好きです。

    だから、あえてコメントにするのは
    得意じゃないけど、

    きっと ずっと ファンです。

  • #3

    ぴあの (月曜日, 20 10月 2014 17:46)

    自分がやったことのないことを、やってみもせず、無理とあきらめて、
    人任せにしていた私。
    それではいかんと、パソコンにデータを取り込んでUSBに出力、という
    たぶん簡単なことを、初めて教えてもらって数日前にやってみました。

    「それはあなた自身でやりなさい。」
    すごく、胸に刺さりました。

    自分でやりなさい。子どもにはいつも言ってるし。
    自分でやってみいや。周りにそう言ってくれる人もいる。
    でも、自分で自分に言ったことなかったな。

    しまむらさんの歌が、言葉が、
    考えながら、思いながら、感じながら、
    生きていくための助けになってます。




  • #2

    あっぷる (月曜日, 20 10月 2014 06:19)

    ワーカーKAZUOさん、お疲れさまっ(⌒▽⌒)

    「DIY、本当はどんな意味の略語やったねぇ。今はネットで調べられるけど、ま、いいか。」と、話したとこなので、とっても嬉しいです(笑)

    「DIY」ですら、お洒落なエッセイの素材にしてしまうKAZUOさんは流石です(笑)

    ところで、

    最後の一行も、KAZUOさんなりの直訳、解説を聴きたいものです。

    ま、

    お願いしたことは、「質問して忘れたら、どこかから答えがやってくる。」そうな。
    今日の来客から、ポッカリ答えが出ることを楽しんでみます(笑)

    ではでは、はぶあないすでぃ〜

  • #1

    pegasas (月曜日, 20 10月 2014 05:01)

    ついに、庭をキャンパスに絵を描きはじめましたか(笑)

    途中公開・・・・・、
    出来上がりを予測させ期待させる、
    途中であれ、出来上がりと一体化してしまう、
    制作者にとっては高いコンセプトが要求される代物、
    特に歌が出来るまでの産みの苦しみ・・・・、
    私は、苦しみをも含めて歌で表現されるものと思うのです。
    だから奥の深い、
    より多くの人の心を打つ歌になると思うのです。

    産みの途中は形にならず、
    もし形にしたとしたら、
    それは歌の世界とはまったく違うもの、
    独立した別の世界になるでしょう。
    ・・・・と、思います。

    誕生の神秘と尊厳を大切にされて下さい。

16-忘れること

 

 

第16話 「忘れること」    by しまむらかずお

 

 

 

玄関を出て車のドアを開く。

 

「えーと、何を取りに来たんだけっけ」…。

 

もう一度、部屋まで戻って、その辺りを見回す。

 

「そうだ!財布が要るんだった」…。

 

 

 

歳のせいか、このところそんなことが増えた。

 

いや、歳のせいばかりじゃない。

 

昔から「忘れんぼ」だった。

 

忘れる、というより、覚えが悪い。

 

おそらく私のメモリー回路は容量不足なのだ。

 

 

 

数学の方程式、化学の元素記号、歴史の年号…。

 

そんな単純記憶が大の苦手。

 

歴史は大好きなのだが、年号が覚えられない。

 

だから、ゴロ合わせで覚えるのが常だった。

 

テストで出た「平安京遷都は何年?」の問いに

 

「えーと、なんかの鳥が鳴くんだったよな」

 

「何の鳥だったかなあ…」てな調子。

 

…ダメじゃん。

 

 

 

電話番号もすべてゴロ合わせだったが

 

携帯のお蔭で、覚えなくても済むし、電話帳は不要になった。

 

実にありがたい。

 

 

 

人間は忘れるから、生きていられる…

 

そんなことをどこかで聞いた。

 

もしも、幼い時のことも、青い時のことも、ぜーんぶ覚えていたら

 

多分、恥ずかしくて、申し訳なくて、外を歩けない。

 

いいとこだけ覚えといて、ぜーんぶ忘れてるから、

 

顔を上げて歩くことができる。

 

忘却バンザイである。

 

 

 

「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」。

 

菊田一夫の名作「君の名は」の冒頭の名台詞である。

 

昭和27年から週イチで放送されたラジオドラマ。

 

2年もの長い間、人気を博した。

 

木曜の夜8時からの生放送だったが、

 

その時間帯は「銭湯の女湯が空になる」と言われるほどだった。

 

 

 

その後、3部作が映画化されたが、

 

町角に張り出されたポスターの絵柄は今でも覚えている。

 

子ども心にも、岸恵子の美貌と佐田啓二のハンサムぶりは鮮烈だった。

 

岸の演じた真知子は、ストールを肩からぐるりと耳や頭をくるんでいた。

 

この「真知子巻き」は大流行し、うちの母ですら同じ格好を好んでしていた。

 

佐田は、「世紀の二枚目」と称され、鼻筋の通った顔立ちで

 

ポマードできっちりまとめた艶のある髪、これもまた男性陣がそれを真似た。

 

その息子が中井貴一である。

 

 

 

そのストーリーはあんまり知らないが、

 

タイトルのごとく、互いの名前も知らない男女が

 

半年後の再会を約し、もしも都合がつかなければ、

 

更に半年後に…と誓って別れる。

 

結局は、不運な「すれ違い」が続き、その切なさが後の恋愛ドラマの典型となったが、

 

携帯電話もメールも、ラインも写メもある現代では

 

「ありえなーい」と、一笑されるだろう。

 

 

 

話を進めよう。

 

私に限らず、人間は忘れる生き物である。

 

だからこそ、「3.11を忘れないで」と

 

繰り返し巻き返し言い続けてないと忘れ去りそうなのだ。

 

死者・行方不明者1万8千人余りを出したあの大災害でさえ、

 

「忘れない」とは言い切れないのだ。

 

 

 

もう10月を迎えた今になって

 

忘れていたことに気がついたことがある。

 

9.11」…2001年のアメリカ同時多発テロのことである。

 

これも「We Remember 9.11」と唱えられている大事件。

 

あの日私は、ニューヨークの世界貿易センタービルに

 

2機目のジェット機が突っ込んで行く瞬間を生の映像で見た。

 

 

 

大きなショックだった。

 

その後、アメリカは、「悪魔の国アフガン」への報復だと攻撃を開始。

 

さらには「テロ支援国家イラク」との戦争にも踏み切った。

 

戦争はいつの時代でも仕掛ける側が「正義」を唱えるが、

 

どのような理由をつけても、人が人を殺すことに正義はない。

 

報復は恨みの報復を生んで、「報復と悲劇の連鎖」を作り出す最悪の愚策である。


9.11
の後の世界の動きも、日本の動きも、私にとっては大きな衝撃だった。

 

 

 

私は、その半年後にそのことをテーマに1本の戯曲を書いた。

 

「蝉しぐれは初恋のレクイエム」がそれである。

 

「戦争を知らない」私だが、私の周りには、

 

「戦争は二度としてはならない」と繰り返し教えてくれる人たちが沢山いた。

 

当時活動していた「劇団Kちゃんねる」の若い役者たちは、

 

その親はもちろん「戦争を知らない」し、戦時中を生きた人も近くにはいなかった。

 

そんな彼らには、戦争をテーマとしたこの劇は、まったくピンと来なかったようだった。

 

 

 

それでも、私は何かしないではいられなかった。

 

遠い日本の片隅のこの高知の小さな劇団が、2時間ほどの演劇で訴えても、

 

何の役にも立たないことは分かっていた。

 

私も役者たちも、このお芝居には苦労した。

 

私の8本の作品の中でも、最もモメた作品だった。

 

けれど私は、何とかして伝えたかったことがあった。

 

それは、「悪魔の国」に住んでいるのは普通の人々だということ。

 

しかも、その国の子どもたちは「戦争しか知らない子どもたち」だということだった。

 

その矛盾と虚しさと嘆きを、少しでも身近に引き寄せたかったのだ。

 

 

 

それほどに入れ込んでいた筈の「9.11」でさえ忘れていたのである。

 

忘れるということは、無意識に重ねる罪である。

 

 

 

一昨年、宮城県の石巻から講師を迎えて

 

3.11を忘れない高知集会」を開いたときのこと。

 

講演の翌日、桂浜にその講師をお連れしたとき、私はこう尋ねた。

 

「これから先、私たちができることは?

 

彼は静かにこう言った。「それは、忘れないでいてくれることです」。

 

「忘れないだけじゃ、何にもならないでしょ」と食い下がると

 

彼はさらにこう付け加えた。

 

「しまむらさん、阪神淡路のことって、今は年に何回報道されてると思いますか?

 

「石巻のことだって、そのうちそうなるかもしれないでしょ」

 

「忘れられてしまえば、私たちがいくら町づくりを提唱しても、叶わなくなる」

 

「だから、忘れないっていうことは、私たちのチカラになることなんです。」

 

 

 

私はこのとき、「分かった!僕はゼッタイ忘れない!」と自分に誓った。

 

Never Forget」の歌はこのあと生まれ、そして私の一番大切な歌になった。

 

 

 

忘れ去るのが人間の常ならば

 

忘れないでいるためには

 

いつも気にかけていて、何度も何度も思い出す。

 

…その繰り返しが必要だ。

                                                   

 

                                                             (2014.10.10)



 

 

 

 

 

▼エッセイへのご感想をお書きください。

(注)文章の内容がこの欄にふさわしくない場合には、掲載しない場合があります。ご了承ください。

コメント: 5
  • #5

    カプチーノ (金曜日, 17 10月 2014 00:37)

    「♪ずっとずっとの物語」

    ♪忘れないで〜
    ♪でも振り返らないで〜

    嫌だったことを忘れたらいいのは、わかりやすい話。
    でも、良かったことも忘れたらいい…というか、良かったことも大事にしまった方がいいかもしれませんね。
    じゃないと、次の小さな幸せに気づきにくいとか(笑)

    さてさて、今日の小さな幸せを数えながら眠りにつくとしましょうか。

    ありがイチ♪
    ありがニー♪
    ありがサン♪
    ありがシー♪





    ありが10ー♪

    おやすみなさい☆彡

  • #4

    フェアリー (土曜日, 11 10月 2014 01:11)

    忘れないでいる事が
    誰かの力になるのであれば、

    頑張って忘れないでいたい
    って思いますね。

    とは言え なかなか難しいです(~_~;)

    だから「メモリー回路が容量不足」
    と言いながら

    「何かしないでいられない」
    しまむらさんに着いて行こうと思います。

    戦争を知らないしまむらさんが
    戦争を知らない若者たちと
    モメてまで伝えたかった、

    人の命の大切さ。

    戦争は二度と繰り返しては
    いけないという願い。

    忘れてはいけないから。

    その思いで創った
    戯曲、観てみたいですね。

    そして 「3.11を忘れない」ために
    たくさんの人と6ヶ月ごとに
    コンサートとかで
    会う約束をしていたら、
    きっと忘れないでしょう。

    素敵な歌と忘れない秘策を
    ありがとうございます。













  • #3

    レッド (金曜日, 10 10月 2014 22:34)

    うわぁ〜!
    ホームページのパソコン版がリニューアルされてる〜!
    スッキリと綺麗なカラーや〜!

    はてさて、昨日までは、どんな画面だったんだろう?
    違うことはわかるけれど、クッキリとは思い出せない(^_^;)

    でもでも、しまむらさんの書いてくれてるように、自分のしてきたことを全部覚えていたら、顔をあげて生きていけない(笑)

    嫌だったことも、反省して忘れる(^^)
    良かったことも、大事にしまって忘れる(^^)

    「前へ」です♪

  • #2

    Pegasus (金曜日, 10 10月 2014 11:04)

    はじめまして、
    しまむらさんが書いておられたブログの隠れフアンの一人です。

    お元気でご活躍されているご様子、拝見しております。
    また、ご活躍されてきた中の忘れないこと、
    忘れてはならないことも併せて読ませていただきました。

    とっても深いテーマ、「忘れること」。

    忘れる事にかけては、自慢じゃないけど私も人一倍!
    きっと親が私に入れてくれてメモリーカードが欠陥品なんでしょう。
    そんな私でも、
    「忘れたくても忘れられない」
    そんな回路も作れるみたいです。
        ※
    「ええっと、何を言おうとしてたんだったっけ?」
    「忘れるくらいのことなら、たいした事じゃないんでない?」
    私がよく言われます。
    でも考えてみると、
    どうも、このことが「忘れること」の本質を言い得てるのかも・・・。
    自分にとって大切なこと、
    大切だったこと、
    大切な人たちと生きたこと、
    大切な人たちと長く長く一緒に生きてきたこと、
    これだけは欠陥品のメモリーカードでも、
    しっかりと刻まれているようです。

    価値観と時間を共有することは、
    「忘れないこと」に比例するなあ・・・・、
    そんなことを、しみじみ思います。

    ちなみに、あなたはもう忘れたかしら、
    「しまにいのイロイロかんがえる」

  • #1

    あっぷる (金曜日, 10 10月 2014 06:21)

    ♪ 私は忘れない〜
    ♪ あの日を忘れない〜

    3.11も、9.11も、テレビをつけた時は、ドラマの予告かなと思うくらい、現実とは思えませんでした。

    3.11の直後、宮城県出身の友人のお母様が九死に一生を得た話を、レストランで友人から聞いた日のことは、今でもリアルに覚えています。

    その後、KAZUOさんが東日本のお二人を呼んでくださって講演を聞いた日のことも、あの淡々とした話し方がよけいに胸にグッときたことを鮮明に覚えています。

    とはいえ、人間はその一瞬一瞬は、一つのことしか考えられないそうですね。

    食べながら何かを考えているようでも、ミクロの一瞬一瞬は一つ一つだそうですね。

    だからこそ、同じ24時間を「忘れないこと」に使う…、「思いを寄せる」って、やっぱり大事なことだなって、エッセイを読み終えて、改めて思いました。

    とりとめなくなりそうなので、このへんで…。


    KAZUOさん、おはようございます!

    今日も、充実した一日になりますように(^^)